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事故から9年半「イチエフ」の今 屋外の大半、簡易マスクでOKだが…
「イチエフ」と呼ばれる東京電力福島第一原発で発生した事故から9年半が過ぎました。「30~40年で終える」という廃炉作業が続く一方、福島県ではいまだ約3万7千人が避難生活を続けています。地元で原発取材を続ける記者がイチエフの構内に入り、科学記者の視点で今の姿を伝えます。
《ようこそ福島第一原子力発電所へ》
東電が用意した取材用のマイクロバスの車窓から、事故前からある横長の青色の看板が見えました。原発までは1キロ余り。車道沿いの家や建設会社の前には白いバリケードの柵が張られ、大人の背丈を超える高さの雑草が生い茂っています。窓が開いたまま、中が見える家もありました。
10月5日。同僚たちとバスに乗り、福島県大熊町の帰還困難区域を走りました。原発事故の直後からずっと避難指示が出ている地域です。ここに住んでいた人たちはいま、どこでどんな生活を送っているのだろう。そんな思いが頭に浮かびました。
原発に着くと、真新しいきれいな3階建ての「新事務本館」が建ち、その前を作業服姿の人たちがせわしなく行き交っていました。駐車場の脇に花壇があり、男性2人が手入れをしていました。日本中どこにでもある「工場」のように見えました。敷地外の人が住めなくなった町の様子とのギャップの大きさに戸惑いました。
手荷物検査などを終え、東電の広報担当者の指示で薄手のベストを着て胸ポケットに線量計を入れました。
「どうぞ、ご安全に!」
原発構内に続く屋内ゲートをくぐる時、警備員からそう声を掛けられました。「ご安全に!」は、現場の作業員たちが使う掛け声です。そばを作業員たちが次々と通り過ぎていきました。これから構内に入るのだと思うと、緊張感が高まりました。
構内に入ると、また別の取材用のマイクロバスに乗り込みました。ゲートのある建物から、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」を起こした1~3号機の原子炉建屋まで、直線距離でも約1キロあります。福島第一の敷地は「東京ディズニーランドとシーを合わせた面積の3.5個分」(約350万平方メートル)と言われるほど広いのです。
屋外を歩く作業員たちは、放射性物質が体に付くのを防ぐ防護服や、体内への吸い込みから守る全面マスクはしていません。放射性物質の飛散を防ぐ対策が進んだため、「敷地内の96%は簡易マスクと一般の作業服でOK」(政府の担当者)だといいます。
有刺鉄線が張られたフェンスに囲まれたエリアにバスで入ると、正面に鉄骨がむき出しになった建物が見えてきました。水素爆発を起こした1号機です。
「あれが、1号の爆風で窓ガラスが割れた旧事務本館です」。政府の担当者が指すほうを見ると、窓ガラスが割れたままの建物が見えました。9年半前の爆発のすさまじさを物語っていました。
「ここで降ります」。東電の広報担当者に促され、メルトダウンを起こした1~3号機の原子炉建屋が見渡せる高台に降りました。
そこに設置された線量計の電光掲示板は「毎時84.5マイクロシーベルト」と表示されていました。最近の福島市の中心部(同0.13マイクロシーベルト)の650倍です。1、2号機の建屋まではわずか約100メートル。「ここに長居してはいけない」と直感的にそう思いました。
数分ほどのうちに、1~3号機を見渡しました。
一番北側の1号機は水素爆発で建屋の天井と壁が吹き飛び、むき出しになった鉄骨の一部はぐにゃりと曲がっていました。「1号の原子炉建屋の上部は、線量が高いところで毎時2シーベルトあります」。高台と比べ、2万倍以上の高さです。政府の担当者の言葉に耳を疑いました。
その南側の2号機は、建設中のビルのように、大きな足場が組まれていました。建屋の中にある資機材を片付けるため、建屋に穴を開ける際、放射性物質の拡散を防ごうと、コンテナのような部屋を建屋に取り付けたといいます。
さらに南の3号機の原子炉建屋は、ドーム状のカバーが取り付けられていました。昨春に始まった使用済み燃料プールからの燃料取り出し作業で、放射性物質が外部に拡散するのを防ぐために付けたものです。
現場は線量が高いため、別の建物で機械を遠隔操作し、取り出す作業が続いています。震災当時に566体あった核燃料はすでに300体以上が取り出され、政府と東電は来年3月までの取り出し完了を目指しています。
敷地の大半で防護服を着る必要はなくなりましたが、廃炉作業の課題は山積みです。
使用済み燃料プールに残る核燃料の数は、1号機392体、2号機615体。どちらも3号機と同じように遠隔での操作になりそうですが、まだ着手さえ出来ていません。
メルトダウンを起こした1~3号機には、核燃料が溶け、冷えて固まった「デブリ」が内部にたまっています。
福島第一原発では、核燃料は鋼製の「圧力容器」に収容され、その外側に鋼製の「格納容器」があります。デブリは、圧力容器や格納容器の底にたまっています。
政府と東電は、来年中に2号機のデブリから試験的に取り出す予定ですが、その量は数グラム。まずはデブリの性質を分析し、取り出しの戦略づくりにいかすのが目的なのです。
どうやってデブリを取り出すのか。政府の担当者に説明してもらうため、2号機と構造が同じで、同じ敷地内にある福島第一5号機の格納容器に入りました。
5号機は、1~4号機のあるエリアから北に1キロ近く離れたところにあり、震災当時は、定期検査中で運転していませんでした。非常用の発電機が使えたため、核燃料を冷やすことができ、事故には至らなかったのです。
今回の取材では、格納容器の中だけは防護服と全面マスクが必要でした。運転していたころは、汚染した機器を格納容器の中で扱っていたため、放射性物質が体に付く恐れがあるからだといいます。
頭まですっぽり覆う防護服を着て、袖を巻き込むようにゴム手袋を左右2枚ずつ付けました。全面マスクは顔に押しつけて、耳の上のゴムひもを引っ張って固定。ヘルメットもかぶりました。それまでは涼しいぐらいだったのに、だんだん暑くなって首や胸のあたりを汗がつたうのが分かりました。
直径3メートルほどの円形の格納容器の「入り口」から中に入ると、中は薄暗く、先導する政府の担当者の懐中電灯を頼りに歩きました。
「ここが、ロボットを入れるX-6ペネです」。懐中電灯で照らされたほうを見ると、格納容器の壁にマンホールほどの大きさの穴がありました。
「ペネ」は貫通部の意味で、もともとは格納容器内の装置を取り出してメンテナンスをするための穴だといいます。ここからアーム式のロボットを挿入し、デブリを取り出します。それが、政府と東電が描く戦略です。
5号機の圧力容器の下部にも入りました。スペースが狭いため中腰で入ると、頭上にはケーブルや金属製の筒がびっしりと並んでいました。足元の金属製の格子の向こうをのぞくと、コンクリートの床面が見えました。
政府の担当者は「2号機は約70センチ、3号機は2~3メートルぐらいの高さまでデブリなどがたまっている。周囲の機械やコンクリートも混じっていると思われます」と説明しました。
「大量のデブリをすべて取ることができるのか」。そう尋ねると、政府の担当者は「取れるかどうかは、まだ分からない」と答えました。正直な言葉だと感じました。
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