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戦艦大和の巨大旋盤、ツイッターで「屋外展示」に賛否 真相は?
三菱重工工作機械【公式】が「え、屋外での展示?!」
戦艦「大和」の主砲製造に使われたとされる貴重な旋盤が、大和ミュージアム(広島県呉市)に寄贈されることが決まりました。しかし、その展示方法を巡って歴史愛好家たちからは懸念の声が上がっています。異論噴出のきっかけは、三菱重工工作機械(滋賀県栗東市)による素朴なSNS投稿でした。(北林慎也)
戦艦「大和」は、広島県呉市にあった呉海軍工廠で建造され、太平洋戦争開戦直後の1941年12月16日に完成しました。
全長は263メートル、最大幅は38.9メートル。射程42キロの主砲を備え、史上最大最強の戦艦と呼ばれました。
沖縄に向かっていた1945年4月7日、米軍の攻撃を受けて鹿児島沖の東シナ海に沈没。乗員3332人のうち生還者は276人でした。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は2005年4月、呉市が開設しました。
目玉展示である大和の10分の1サイズ巨大模型のほか、海底から引き揚げられた貴重な装備品や、戦中戦後の歴史を伝える23万点を超す収蔵資料があります。
広島の代表的な観光スポットの一つとして、近年は年間100万人前後の来館者がいます。
大和ミュージアムでは、大和にちなむ歴史資料の収集も事業の大きな柱としていて、2020年8月、貴重な実物資料の寄贈を受けると発表しました。
大和の主砲の加工に使われたとされる超大型の旋盤です。
旋盤は長さ約17メートル、幅約5メートル、高さ約5メートル、重さ約210トン。
旧呉海軍工廠が1938年にドイツから輸入した2台のうちの1台で、大和の建造に際しては、世界最大級だった主砲の砲身(長さ約20メートル)の削り出しに使われたとみられています。
この旋盤は戦後、民間に払い下げられ、機械加工会社「きしろ」(兵庫県明石市)が2013年まで、兵庫県播磨町の工場で大型船舶のエンジン部品の加工に使っていました。
きしろによると、この旋盤は稼働を終えた後にそのまま工場の建屋内で保管していましたが、この工場の設備更新に伴い、「歴史的に貴重なものなので、しかるべきところで保管してほしい」と寄贈を申し出たということです。
ところが、この貴重な歴史資料の寄贈を巡り、SNS上でにわかに議論が巻き起こりました。
きっかけは、三菱重工グループの工作機械事業会社「三菱重工工作機械」の公式ツイッターによる投稿でした。
10月9日、「来年にも屋外で展示することにしている」と書かれたニュース記事を引用リツイートする形で、こうつぶやきました。
この意表を突かれたかのようなつぶやきに、ツイッター上で多くの反響が寄せられました。
4000近くリツイートされ、6000以上の「いいね」が付いています。
その反響のほとんどは、以下のような「屋外展示」への懸念と批判でした。
これだけの反響を招いた三菱重工工作機械のつぶやき。
「中の人」の意図と狙いは何だったのでしょうか?
三菱重工工作機械の広報担当者によると、中の人は「新しい情報を紹介しただけだった」とのことでした。
もともと、切削工具などにまつわる社内外の情報を紹介したりざっくばらんに解説したりと、フランクな姿勢でフォロワーとの掛け合いも頻繁でした。
そして、この巨大な旋盤を巡っては、歴史的価値も高いことから中の人も以前から注目していて、節目ごとに関連ニュースを紹介していました。
投稿の真意について広報担当者が中の人に確認したところ、「賛成でも反対でもなく、新しい情報だったのでニュースの引用にコメントを付け加えて紹介したい」という意図だった、とのことでした。
三菱重工工作機械側の意図はともかく、にわかに懸念と批判が噴出した巨大旋盤の「屋外展示」。
あらためて、大和ミュージアム側に現時点での方針を尋ねました。
大和ミュージアムの管理業務を指定管理者に委託している呉市によると、あくまで「展示方法の詳細は検討中」とのことです。
ただ、鉄筋4階建て延べ約9600平方メートルの大和ミュージアムの建物には、重さ200トン以上の巨大な重量物を置く余地はなく、「やはり屋内に置くのは難しい」(海事歴史科学館学芸課)のが実情です。
ただ、「屋外展示」への懸念や批判の声は「重く受け止めている」としたうえで、屋外に置くことになった場合には、雨ざらしにならないように屋根のある建屋の設置を検討するとのことです。
呉市では具体的な設置の場所や方法を検討しながら、2020年度中に屋外展示のための地盤調査などを進め、来年以降に兵庫県播磨町から輸送して展示する方針です。
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