家庭の問題を抱えて育った菊池さんは、どう生きづらさと折り合いをつけているのか。それでもタイトルを「生きやすい」にした理由とは。10月16日に第2巻が発売された同作について、菊池さんを取材しました。(朝日新聞・朽木誠一郎)
「手本」ではなく「サンプル」にして
他の人には理解できないかもしれない私の考えすぎの「おかしみ」の向こうに、人によって違う生きにくさというものの正体が見えてくればいいかな、と。手本ではなく、サンプルを提示しているような感覚です。「こういう人もいるので、よろしくお願いします」というマンガですね。
――作品をうまく言い表わしていますね。
くだらないようでいて、それをマンガにしていくことには少なからず意味があると信じています。前作である、父のアルコール依存で家庭が崩壊した実録エッセイマンガ『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)を出版したとき、アルコール依存症の患者を身内に持つ人からの反響がたくさん寄せられて。
【参照】父はアルコール依存、母は新興宗教…娘が親を「他人」と思えるまで
「自分も同じように考えすぎてしまう」「自分だけでないとわかって少し楽になった」という声をいただいたんです。それがすごくうれしかったから。
生きづらさは「解決しなくてもいい」
これは意識的にやっていることでもあって、というのも、私は「解決しなくてもいいかな」とちょっと思っているところがあるんです。
自分の「生きづらさ」を解決しようとすると、「こんなこともできなくて(自分は)ダメなヤツだ」と思ってしまいますよね。でも、例えば「服を買うのが苦手」とか「自分から連絡するのが苦手」とかであれば、「もしこれが他人のことだったら、『ダメだ』なんて断罪することはしないよな」と私は思うので。別にそのままでいいじゃないですか。
マンガ家はもともと自粛生活みたいなものなので(苦笑)、私はむしろコロナ禍で「生きやすい」タイプかもしれません。でも、生活が大きく変わって、心のバランスを崩している人もいますよね。ステイホームやソーシャルディスタンスは年季が入っているので、読んだ人の肩の荷が少しでも軽くなればと思い、描いています。
――菊池さんは自分の話をするのが苦手なのに、自分のことをマンガにするのはなぜなんですか?
なんででしょうね? もともとルポマンガ家で、たまたまここ数年、テーマが自分の内に向かっていっているからというのもありますが……。私は描くことによって、自分のことを客観視しているのかもしれません。複雑な家庭の問題を抱えて育った私が生きていくためには、それが必要なんだと思います。
でも、「そもそも人生に意味なんてないから、人間は自省をしすぎると死んでしまう」と聞いたことが印象に残っていて。あまり深刻になりすぎないように、マンガ家として、日常にも「くだらないオチ」をつけるように意識はしています。
なぜ「生きにくい」ではなく「生きやすい」?
例えば私は「自分の話をするのが苦手」なので、相手が自分の話をしてくれるのはありがたいんです。間が持たないから。でも、前に担当編集者のSさんと打ち合わせ中に雑談をしていたときに、Sさんがネイルをしに行った話になって。そのネイリストさんは1〜2時間の施術中ずっと自分の話をしていたらしいんです。
そこでSさんは「いや、そこまであなたに興味ないからね!?」と思ったと(笑)。私だったら「この人、私なんかに興味がないから、無理して自分の話をしてくれてるのかな」とか思いそうで。「人によって本当に違うんだな」と気づくと、あらためて自分の考えすぎがおもしろくなって、少し楽になりました。
――生きにくさに折り合いをつける作品のタイトルが『生きやすい』なのは、なぜなのでしょうか。
こういう家庭の問題を抱えた人間が大人になったらどうなるのか。よく言われるような「虐待の連鎖」みたいになってしまうのか。決してそうじゃなくて、なんだかんだ考えすぎながらも、元気で生きているよ、ということを伝えたかったんです。読むと、生きにくそうですけどね(笑)。私は今、結構、楽ちんです。