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IT・科学

「情報は人の命を奪う」再確認した日 「自殺報道」の礼儀やマナー

厚生労働省などが出した著名人の自殺に関する報道についての要請文書。
厚生労働省などが出した著名人の自殺に関する報道についての要請文書。

目次

著名人の訃報でSNSに広がった死を悼む声。しかし中には、「原因は〇〇ではないか」「△△なのになぜ」といった内容も。こうした投稿はさらなる自殺を引き起こすリスクがあることが研究で判明しており、「情報は人の命を奪い得る」とされる一つの根拠でもあります。

マスメディアの概念が時代にそぐわなくなり、SNSなどの普及によりパーソナライズが進む中、ますます難しくなる「命に関わる情報」の扱い方。どうすれば健全にネットの言論空間を維持できるのか、ネットの医療情報の問題を追いかける記者が考えます。(朝日新聞・朽木誠一郎)
 
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「原因は〇〇ではないか」「△△なのになぜ」

ある休日の朝、Twitterを開くと、好きな著名人の名前がトレンドに入っていました。何の気なしにクリックすると――シェアされていたのはその方の訃報。目を通すと、「警察は自殺とみて捜査」という一文がありました。

ショックを受けた人も多いようで、Twitterにはその死を悼む声が広がっていました。しかし、一部には気になる記事やツイートも。「原因は〇〇ではないか」「△△なのになぜ」といった、自殺の理由を憶測したり、その方の背景からその死に疑問を呈したりするような内容が多く見られたのです。

私は国立精神・神経医療研究センター精神科医の松本俊彦さんを取材しました。松本さんは同センターで長らく自殺実態の分析や自殺予防の活動に携わっています。松本さんは「自殺の原因を憶測するべきではない」と指摘します。

【参考】芸能人の自殺、個人がツイートする注意点 精神科医が示す7つの配慮

まず、自殺はそもそも複合的な理由で起きるもので、「〇〇」のように単一の理由を特定することはできません。その意味でも「原因は〇〇ではないか」という憶測は意味がないのです。

そして、このような憶測は、遺族や周囲の方々の迷惑になるのみならず、同じように悩む人たちの背中を、自殺へと押してしまう場合があります。つまり、「原因は〇〇ではないか」という情報に接したとき、「〇〇」で悩んでいる人に「自殺という手段がある」と意識させてしまう、ということです。

「△△なのになぜ」も同様です。「△△でも自殺という手段がある」と意識させてしまう。このような情報は、最後の「ひと押し」になってしまうことがあるのです。このように、メディアによる情報発信が自殺を誘発する現象は、主に1970年代から研究が進んできました。

「情報が人の命を奪う」ウェルテル効果

この現象はゲーテの『若きウェルテルの悩み』にちなみ「ウェルテル効果」と呼ばれます。「自殺についての情報に影響を受ける人は、その情報に接しなかったとしても、いずれはどこかで自殺するのではないか」という反論もありますが、これは研究の過程で否定されています。

<ウェルテル効果>マスメディアによるセンセーショナルな著名人などの自殺報道が模倣自殺を引き起こす現象。

つまり、「一定の割合で、その情報に接しなければ自殺しなかった人が自殺している」可能性が判明しているのです。踏み止まれたかもしれない人に対して、発信した情報が知らぬ間に最後の「ひと押し」になっているかもしれない。情報が人の命を奪い得ることは、すでに科学的根拠が積み上がっているのです。

記者は2016年から17年にかけて問題になった、医学的に不正確な内容を掲載する健康情報サイト『WELQ』の追及に関わりました。当時から抱いていたのは「医療情報は人の命に関わる」という思いです。

しかし、それは「『アメリカでは抗がん剤は使われていない』といった医療デマを信じ、治療の選択を誤ることで命を落とす」というようなイメージ。事例としては存在しますが、このような情報が及ぼす影響についての研究が進んでいるわけではありません。

その点で、ウェルテル効果はよりわかりやすく、情報が人の命を奪い得る事例と言えるのではないでしょうか。メディアに関わる者として、情報発信のリスクを再認識した日でもありました。

情報発信を生業とするメディアに対しては、WHOが自殺報道についてのガイドラインを作成し、日本の厚生労働省も呼びかけをするなど、対策が講じられています。シェアされた記事の中にはこれが守られていない記事もあり、あらためてメディア業界の中から声を上げていかなければ、と思いを新たにしました。
 

「マスメディア」から「パーソナライズ」へ

しかし、それだけでウェルテル効果を防げるでしょうか。SNSのようなデジタルメディアが普及した時代、みんなが同じ情報を同じように摂取する「マスメディア」の概念自体が時代にそぐわないものになりつつあります。むしろ向かっているのは「パーソナライズ」。自分の興味がある情報が自動的に届く世界です。

SNSで見たい情報だけを見るようになることは「フィルターバブル」、それが繰り返されることで起きる思想の偏りは「エコーチェンバー化」と呼ばれ、2016年のアメリカ大統領選挙など、世界的にも問題になっています。

もし、自殺についての情報を摂取するうちに、自殺についてより踏み込んだ情報ばかりが目に触れるようになるとしたら――デジタル時代のウェルテル効果はより検証しにくく、それゆえに深刻です。

このような背景のもと、SNSのサービスを提供するプラットフォーム企業も対策を講じています。TwitterやGoogleは「自殺」「死にたい」などの検索結果に相談窓口の情報を表示。表現の自由を守りながら自殺を予防するという、難しいバランスを取ろうとしていると言えるでしょう。

しかし、冒頭で紹介した出来事のように、著名人の自殺が大きなニュースになり、SNSで大量に言及されれば、こうした対策の範囲を超え、どうしても自殺についての情報が多くの人の目に触れることになります。

松本さんは、個人が自殺についての情報を発信をするときの配慮が「『礼儀やマナー』になってほしい」としました。配慮とは具体的に、自殺の原因の憶測をしないことや、ガイドラインにあるように、自殺に用いた手段について明確に表現しないこと、自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないことなどです。
 

「礼儀やマナー」でジレンマを乗り越える

この「礼儀やマナー」というのは、「ネットの医療情報」という問題を考える上でも重要なキーワードになりそうです。というのも、あらゆるサービスは需要と供給の関係により成り立っています。SNSを含めたメディアも同じで、発信側の意思だけでなく、情報を求めることで情報が作られる/広まるのです。

私が新聞社に入社する前のことですが、象徴的なエピソードがあります。当時所属していたメディア運営企業では、例えば「婚約指輪 予算」「お中元 お歳暮 選び方」といった、検索回数の多いキーワードをあらかじめ調べて、その検索結果で上位表示される記事を作る仕事を任されていました。

私は婚約指輪のプロでも、お中元・お歳暮のプロでもありません。それでも読む人がいるとわかっているから記事を作る。プロから見れば不十分な情報の記事だったかも知れません。これと同じことを、ただし医療・健康という命に関わる領域でおこなっていたのが『WELQ』だったのです。

私が『WELQ』追及に関わり、その後、報道記者になったのは、「需要があるから供給される」ことの問題に意識的でなかった反省があったからでした。報道記者になって国民の「知る権利」との間のジレンマにも直面しましたが、何でもかんでも記事にすればいい、というわけでないのは当然のことです。

こと自殺という問題については、ウェルテル効果もあり、やはり配慮が必要です。こうした正しい知識の啓蒙を業界内でも広げていくとともに、「礼儀やマナー」のもと、自殺の理由の憶測をしないことやガイドラインの遵守が個々人を含む社会全体のスタンダードになっていけば、配慮のない記事もなくなることでしょう。

希望はウェルテル効果と逆の「パパゲーノ効果」。「支援先や自殺と自殺対策についての正しい情報を提供する」など、ガイドラインに基づく報道が自殺死亡率や自殺未遂率の減少につながるというものです。誰もが発信できる時代、各々の配慮により「人の命を救う情報」もまた、発信されやすくなるのではないでしょうか。

<パパゲーノ効果>支援先や自殺と自殺対策についての正しい情報を提供するような報道、自殺を考えるような危機的状況を乗り越えたケースの報道が、自殺死亡率や自殺未遂率の減少につながる現象。

<悩みを抱えたときの相談先はこちら>

○自殺予防いのちの電話

フリーダイヤル0120・783・556(毎日午後4時~午後9時、毎月10日は午前8時~翌午前8時)
ナビダイヤル0570・783・556(午前10時~午後10時)

○東京いのちの電話

03・3264・4343(日・月・火は午前8時~午後10時、水・木・金・土は午前8時~翌午前8時)

○よりそいホットライン

フリーダイヤル0120・279・338(24時間、IP電話などからは050・3655・0279)

○公益社団法人日本駆け込み寺

03・5291・5720(平日午前10時~午後5時)

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