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荻野目洋子さん、デビュー時に悩んだ「女子力」リバイバルヒットまで
歌手の荻野目洋子さんがデビューしたのは1984年のこと。菊池桃子さん、長山洋子さん、岡田有希子さん、倉沢淳美さんらアイドル全盛の時代に「女子力の低さ」に悩み「こんな世界でやっていくのは無理」と本気で思ったそうです。そんな中から生まれた「ダンシング・ヒーロー」は、時代を超えて2度のヒットをもたらします。子育てをしながら歌手を続け、最近では、自ら作詞作曲した「虫のつぶやき」を発表。自分のスタイルを崩さない荻野目さんの「背伸びしない生き方」について聞きました。(朝日新聞・坂本真子)
「ダンシング・ヒーロー」は、1985年11月に発売された、荻野目さんにとって7枚目のシングルでした。
「まさに、人生を変えた1曲です。でも、こんなに幅広くいろんな世代の方に、そして長く受け入れてもらえる楽曲になるとは、当時は思いもしなかったですね」
1984年4月、高校1年のときにソロ歌手としてデビュー。同じ年には菊池桃子さん、吉川晃司さん、長山洋子さん、岡田有希子さん、倉沢淳美さんらが歌手デビューしました。当初はヒット曲に恵まれなかった荻野目さんですが、約1年半後に「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットし、状況は一変しました。
「スタッフさんみんなの情熱、なんとかしてヒット曲を出したいという気持ちが一つになって生まれた作品でした。振り付けにもこだわったし、伝えたいという強い思いは伝わるんですね。私以上に歌のうまい人、踊りのうまい人はいくらでもいると思うんですけど、あのとき、あの時代に、あの曲とめぐりあえて、あのパフォーマンスをしたことに意味があって、勢いがあったんだろうと思います」
その後、「ダンシング・ヒーロー」は、東海地方をはじめ、各地で盆踊りに使われるようになっていきます。
「私が初めて盆踊りの話を知ったのが2001年ぐらいで、そのとき既に10年ぐらいになると聞いて、驚きました。狙ってやったことじゃないので。本当に歌手冥利に尽きます」
「ダンシング・ヒーロー」は、2017年にリバイバルヒット。大阪府立登美丘高等学校ダンス部が踊る「バブリーダンス」の動画がYouTubeで注目され、年末の日本レコード大賞では特別賞を受賞しました。今では9千万回以上再生されています。
「これも狙ってやったことではないので……。最近は、3世代が一緒に見られるテレビ番組は少ないですし、若い子は若い子の音楽を聴いて、小さい子は小さい子の音楽を、みたいにバラバラですよね。でも、この1曲は、世代を超えて共有できる。音楽の力で、みんながハッピーになってくれたら最高です。すごくうれしいことだと思います」
荻野目さん自身は、子どもの頃から歌うことが大好きだったそうです。
「ほかのことは積極的になれなくても、歌っているときだけは、知らない人の前でも堂々とできたんです。当時は子どもが出られる歌番組がいくつもあったので、ちょっと応募してみようか、みたいな感じでオーディションを受けて、わりとトントン拍子でテレビに出させていただいて、スカウトされたんです」
1979年、小学4年のときに、小学生の女子3人組ユニット「ミルク」でレコードデビュー。その活動は1年ほどで終わりましたが、中学時代はフジテレビ系のアニメ「みゆき」のヒロイン役で声優に。そして、ソロ歌手の道へ進みました。
当時の荻野目さんは、かわいいだけのアイドルではなく、芯の強さを感じさせる存在でした。
「よく『ボーイッシュだね』と言われていたし、たまたま歌が好きでデビューさせてもらったけど、アイドル全盛期で、とてもかわいい人たちに囲まれていて、自分は女子力が低かったので、『こんな世界でやっていくのは無理』と本当に思っていました」
「整形した方が……」と本気で悩んだこともあったそうです。
「どうすれば生き残っていけるのか、必死で考えました。でも、頑張っても追いつけない分、自分にあるものはなんだろう、と考えるきっかけにもなったし、みんなと違ったから残ることができたのかな、と今は思います」
50代に入った荻野目さんですが、ほっそりとしたスタイルは変わらず、軽やかにダンスのステップを踏みます。どんな努力をしているのでしょうか。
「そんなに気を遣っているわけではないんですが、例えば、自転車は電動じゃない、というのはこだわりです。電動だと走っている気がしなくて、自分でこぎたいんですよ。アクティブなことは好きで、テニスをやっていた時期もあるし、子どもが小学生の頃は一緒に縄跳びをやったり、自転車を補助なしにするときも一緒に走ったりしていました」
「主人は元テニスプレーヤーですけど、普段は体を動かすよりも家で快適に過ごすタイプ。主人を『静』とすると私が『動』なので、アクティブなことは全て私がやっている感じです」
食事は腹八分目を守り、栄養も偏らないようにしていますが、「スナック菓子を1袋バーッと食べるときもありますよ。海藻とか、体にいいものが好きですけど、パンもご飯もしっかり食べたいので、炭水化物を抜くダイエットとかはできないですね」と、きっぱり。
料理が好きで、お菓子も手作りすることが多いそうです。
「もともと母親が手作り派で、子どもの頃はいつも手作りのケーキでした。私たちが中学生ぐらいになって、手が離れる頃にパートで働くようになって、初めて市販のケーキを買って帰ってきてくれたんです。ほほー、これが市販の味か、みたいな。それはそれで嬉しかったですけど、私もそれを受け継いでいて、誕生日やクリスマスは毎年手作り。料理も別に手のこんだ食事を作るわけじゃないですけど、作った方がおいしいかなぁ、と思うので」
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛期間も、全く苦にならなかった、と言います。
「だって本当にゆっくりできたし、しばらくやっていなかった縫い物とかもできたし、そういう地味な作業がすごく好きなんです。マスクもいっぱい作ったんですよ」
とても前向きな言葉が印象的な荻野目さん。生きるうえで大事にしていることは何ですか、と尋ねると、「悔いのない毎日を送ること」という答えが返ってきました。
「今日までの人生を『本当に幸せだったなぁ』と常に思っていたいし、テレビに出させていただくときも、以前は緊張して思うようにできないときもあったけど、この1回で終わりかもしれないし、3分間なら3分間を思いっきり、100%出せる状態で楽しみたいと思っています」
「もちろん、日々いろんなことがありますけど、自分が生きてきた道を振り返ると感謝することがいっぱいあるし、こんな人たちと出会えて嬉しいな、とかみしめながら、悔いがないように過ごしたいですね」
そう考えるようになったのは、子どもの頃に何度も転校したことがきっかけでした。
「母親が引っ越し好きで、私も小学生ぐらいのときから、5年おきぐらいに引っ越していたんです。友達が変わっちゃうし、できればずっとここにいたかった、と思っても、親が決めたことだからしょうがない。だとしたら、ずっと後ろ向きでいるよりは、新しい環境でもっといい友達を作ろう、と切り替えるようにしてきたので、ポジティブシンキングになりましたね」
「母親は運も強い人だったので、そういうところもちょっと似ているかなぁ、と思うんです。困っているときにいい人と出会えたり、助けられたりしながら、私たちを健康に育ててくれました。母は今80代後半で、満州で暮らした世代。戦争で親と離ればなれになったかもしれない、と聞いて、私はいなかったかもしれないんだな、と思うと、そういう運の強さは、ちょっと受け継がせてもらったのかな、と。『ダンシング・ヒーロー』を2回ヒットさせてもらったことからも、感じますね」
荻野目さんが音楽と向き合う上で大事にしていることは何でしょうか。
「うまい下手じゃない、ということです。以前は『なんでうまくなれないんだろう』と考え始めたらキリがなかったけど、そういうことじゃない。自分が何を伝えたいか、ということが大切なんですよね」
音楽が聞こえたときの、「細胞が活性化される感じが好き」という荻野目さん。今、音楽を通して伝えたいことは?
「人はみんな、大なり小なりコンプレックスとかを持っているじゃないですか。だけど、自分が伝えたいということを一つ持っていれば、それはすごく強い光になり得ると思うんです。私自身の人生を振り返ると、歌うことしかできない、ほかには何も自信を持てない子どもだったし、プロの世界に入ったらそういう自信もどんどん覆されて、全然ダメだと思った。それでも続けてこられたのは、こんな自分でも何か伝える役割があるんじゃないか。そう思えたんです」
「新曲の『虫のつぶやき』もそうですけど、いろんな生き方があると思うし、持って生まれた人生、容姿も含めて、自分のパーソナリティを全て受け入れるということは大事なんじゃないかと。無理して変えるよりも、怖くても自分自身を見つめ直して、いったん受けとめて、心も裸にしてみて、正直な気持ちで、心を打ち明けることは、人と接するときにも大事なんじゃないかな、と思うんです」
最近、10代の娘たちとの会話から感じたことがあります。
「学校で自分を作っているところがあると悩んでいたので、『そんなことはやめて、素の自分を出せば?』と言うと、『もう今さら出せない』と。年齢に関係なく、人は悩みながら生きていくわけで、音楽でちょっとでも背中を押してあげることができたらいいなぁ、と思うし、『そんなに悩まなくていいよ』とか、『同じ気持ちの人はここにもいるよ』とか、そんなことを伝えられたらいいかなぁ、そんな曲が作れたらいいなぁ、と思いますね」
時間に余裕があるときは、好きなミュージシャンのライブを見に行くという荻野目さんは、シンディ・ローパーのファンです。
「シンディ・ローパーは今も現役で、若い頃のイメージを持ちながら、ステージではすごくアグレッシブなパフォーマンスを見せる。チャーミングだし、かっこいいし、大好きですね。自分も、チケットを買って来てくださるお客さんに対して、そういう風に思われる生き方をしていきたいな、と思うんです。歌手を続けていけるにしろ、いけないにせよ、ああ、この人だから今、こういう人生になったんだなぁ、と納得してもらえるように」
アクティブに、自然体で、しなやかに。荻野目さんの生き方は一貫しています。
「コロナ禍の今は、世界中でいろんな価値観が変わっている時期だと思います。私自身も明日はどうなるかわからないし、1年先もどうなっているかわからない。そんな自分が日々向き合っている家族との対話で感じたことや、社会に対して感じたことを、自分のフィルターで、背伸びしないで形にできたらいいなぁ、と思いますね。かっこつけないで」
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