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#80 #父親のモヤモヤ

「今日、お母さんは?」育児中の父親を苦しめている「社会の普通」

父親ではダメ? 「産後うつ」当事者が、心理的な孤立についてつづります。

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写真はイメージです 出典: PIXTA

目次

#父親のモヤモヤ
※クリックすると特集ページ(朝日新聞デジタル)に移ります。

育児に積極的な父親が増えている中、母親だけでなく父親の「産後うつ」リスクも指摘されています。6歳の娘を育てるライターの遠藤光太さん(31)は、「産後うつ」の当事者です。職業人としての責任はそのままに、子育てをしなければならない、頑張らなければならないと、「“父親としての自分”への過剰適応」があったと話します。父親の心理的な孤立についてつづってくれました。
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多くの父親の葛藤に耳を傾けてきた連載「#父親のモヤモヤ」が『妻に言えない夫の本音 仕事と子育てをめぐる葛藤の正体』というタイトルで、朝日新書(朝日新聞出版)から10月13日に発売されます。

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私たちの「父親像」っておかしい?

「今日、お母さんは?」
父親の私が平日に半休を取得し、生後4ヶ月の娘を予防接種に連れて行ったときのことでした。看護師さんは、私と抱っこひもにおさまる娘の2人を見て、母親の不在を気にかけました。「父親ではダメでしょうか?」……とは言いませんでしたが、「育児は母親のもの」、特に「乳児を育てるのは母親」と思われているのを感じ、モヤモヤしたのを覚えています。

妻は職場からの要請により、娘が生後3ヶ月の頃から復職していました。私も会社に勤務していた状況で、夫婦が協力して予防接種や保育園の送り迎え、家事などをこなし、子どもや暮らしと向き合うことを当たり前だと思っていました。しかし、そうした夫婦のあり方や父親像は、地域社会で「普通ではない」と思われてしまう場面もまだまだあります。私が「今日、お母さんは?」と言われてしまったように。

他にも、保育園の面談に夫婦揃って行くと、担任の先生はほとんど妻の目を見て話し、(悪気はないと思いますが)私を見てくれません。「父親も子育ての当事者なのに」と感じました。また、平日の昼間に開かれた保護者会に私が行くと、教室にいた父親は私だけで、存在が際立ってしまいました。

そうした視線に直面しながら、私たち父親は仕事と子育てに取り組んでいます。たとえ家族の中では納得し合っていても、特に出産期から乳児期にかけて負荷が高い子育ての苦労が理解されず、心理的に孤立していくことがあるように感じます。

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写真はイメージです 出典: PIXTA

子育ての「上乗せ」、張りつめた心

ところで昨今、母親だけでなく父親も「産後うつ」のリスクを抱えている可能性があることについて指摘されています。私自身も、いわゆる「産後うつ」の当事者でした。娘が0歳のときにうつを発症し、会社を長く休んだ経験があります。

私のうつは、まず体温に表れました。4月のある朝、体温計が34.6度を示し、「そんなに低いわけがない」と思って測り直しても、やはり34.6度でした。なんとか出社しましたが、限界を感じ、会社を抜けて駆け込んだ内科で言われたのは「あなたはここじゃないね」。精神科に行くよう促され、そこで抑うつ状態と診断されました。うつは身体症状が出ることもあり、低体温の他に頭痛、吐き気、めまい、胃痛なども出ていたのです。

うつにはさまざまな要因がありましたが、背景にあったのは、“父親としての自分”への過剰適応でした。

私は娘が生まれても仕事のペースを変えることなく、深夜まで働く日も少なくありませんでした。保育園のお迎えがあっても、急な会議や外出が発生することも。業務量や会社でのふるまいは変わることなく、夜泣きへの対応やオムツ替えといった子育てのタスクが生活に上乗せされ、いつも心が張りつめていました。“父親としての自分”へ過度に適応しようとして、無理が生じていたのです。また、後に判明したのですが私には発達障害の特性もあり、疲れに気づきにくい傾向が“過剰適応”に拍車をかけていました。そんな状況だったにもかかわらず、父親の子育ての負荷は外から見えづらく、ひとりで負担感を抱えてしまうような状態に陥っていました。

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写真はイメージです 出典: PIXTA


客観的に見ると、やるべき仕事があり、子どもが生まれた状況は幸せ一色に見えます。ただ、主観では、幸せと苦しみはひとりの中に同居することもあると思うのです。そのジレンマに気づかないままに、気持ちではアクセルを踏みながら、身体はブレーキを踏み、私は壊れてしまっていました。

精神科で私は休職を勧められましたが、「自分はまだやれる」と考え、休むことを拒んでいました。しかし身体は重たく、通勤電車に乗っていられずに途中下車し、駅のベンチで長時間過ごしてしまうようなありさまです。妻はそんな私を見かねて、「育休ならどう?」と一言。会社とも相談し、制度上は「育児休暇」という名目の「病気療養」に入りました。

休み中、仕事に行く妻と保育園に行く0歳の娘を布団の中から見送るとき、とても苦しい思いでした。

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写真はイメージです 出典: PIXTA

隠れていた「トキシック・マスキュリニティ」

私が「トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)」に捕われていたことに、今なら気づきます。「父親になったのだから、仕事をもっと頑張らなきゃ」、「男として、家族を強く引っ張っていかなきゃ」といった思いから、空回りしてしまっていたのです。

産前より、職場の同僚からは「お父さん、頑張らないとね」とたびたび言われました。友人からは、祝福の言葉とともに「仕事はどう?」「順調?」と言葉をかけてもらっていました。

当時、無意識のうちに力んでいる自分がいたように思います。私は周囲からも自分自身からも、プレッシャーにさらされ、コントロールの効かない状況に陥ってしまっていました。今振り返れば、自己理解し、業務の調整などの対応をすることで、“父親としての自分”にちょうどよく適応していく術もあったのではないかと思います。ちなみに現在は当時の反省も活かし、娘のいわゆる“小1の壁”への対応のためにも、フリーランスで柔軟に仕事をしています。

「育休」のことを後から妻に聞くと、「もっと休んでほしかった」と言います。当時彼女自身の仕事が忙しかったため、私が休職して回復しはじめた頃に家事や育児を担っていたことをポジティブに捉えていたのだそうです。「そんなものか」と拍子抜けするような思いでした。

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写真はイメージです 出典: PIXTA

弱さを伝え合える関係性づくりを

父親の「弱さ」については情報やロールモデルが少ないため、自己理解することが難しいと感じます。

そんな中でも大切なのは、普段から援助希求できる相手を増やしておくことではないでしょうか。援助希求とは、困ったときに助けを求めることです。父親が抱えやすい「力み」に目を向け、弱さを吐き出し、共感しあえるような相手がいれば、心理的な孤立感は和らいでいくのではないかと思います。

さて、私にとって今の課題は「パパ友づくり」です。私自身の体験から、父親が出産期から乳児期にかけて、見えづらい困難を抱えてうつに陥ってしまうことは、一般的にあり得るだろうと想像します。そういった父親同士が弱さでつながり、心理的安全性を得て子どもと向き合っていけたら良いと考えています。

最後に、「産後うつ」との呼称を父親にも用いることには、私は違和感を持ちます。母親の「産後うつ」には出産による体への負担やホルモン分泌量の変化などの生理学的な要因が指摘されており、父親のそれとは異なる部分があるためです。「パタニティブルー」などの呼称もありますが、ここまで書いてきたような社会的な要因のニュアンスは含まれない印象があります。的確に名付けられた呼称がまだないからこそ、理解されにくい側面があると感じます。

母親でも父親でも、どんな保護者でも、うつになってしまうほどの負荷や心と身体のメカニズムに目を向けられる社会になっていくことを、私は望んでいます。

遠藤光太

フリーライター。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90

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共働き世帯が増え、家事や育児を分かち合うようになり、「父親」もまた、モヤモヤすることがあります。それらを語り、変えようとすることは、誰にとっても生きやすい社会づくりにつながると思い、この企画は始まりました。あなたのモヤモヤ、聞かせてください。
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