IT・科学
名前に“橋”がつく交差点の謎…「暗渠」で味わう街歩きの進化形
川と関係ない「小川橋」・公衆トイレが「暗渠サイン」…スマホ片手に「AR時間旅行」
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川と関係ない「小川橋」・公衆トイレが「暗渠サイン」…スマホ片手に「AR時間旅行」
「暗渠」って知ってますか? 読み方は「あんきょ」です。一見、まわりと変わらない風景だけれど、道幅や建物の様子がちょっと違うエリア。実はそこ、かつて川の流れがあった「暗渠」かもしれません。高層ビルが立ち並ぶ東京都心も、昔は、水路がはりめぐらされた都市でした。地震や空襲からの復興、再開発など様々な理由で「暗渠」になった川や水路たち。スマホのグーグルマップを片手にめぐりながら見えてきたのは、街の歴史が現実世界と重なって浮かび上がるAR(拡張現実)体験でした。
※記事では、川の跡全般について「暗渠」と記しています。
東京に住んでいると川がないのに「橋」のつく交差点が多いことに気づきます。橋があるということは、川があったということ。道路の下には今も川が流れているかもしれないのに、誰も気づかない……。
「普段歩いている街でこそ、暗渠によって新しいFINDが経験できるのではないかと思います」と語るのは『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)の著者、高山英男さんです。
高山さんが、街歩きの進化形として暗渠があると言います。
「拡大・細分化する街歩き市場は、かつて『街を訪れ名所を“Enjoy”する』ことから、ブラタモリの登場によって『街の成り立ちや歴史を“Learn”する』に変わってきました。しかし今は、『自分なりの視点をもって愉しさを“Find”する』時代になりつつあると思っています。その“Find”のひとつの装置が暗渠です」
『暗渠パラダイス!』の共著者である吉村生さんは、「街角の違和感の解消」を挙げます。
「『なんだか変な空間だな』などの違和感が『ああ、川だったからなんだ!』と解消する瞬間は爽快感があります。『暗渠=川』は、水源から海まで、ずっと続くもの。つまりこの川はどこまでもたどれるはずで、一体どこまでいけるだろうか? この先、何があるだろうか? という冒険心がくすぐられます。それが旅行に行かずとも、家のごく近くでできてしまうのです」
吉村さんは、それらの魅力を「街の味わいの深化」と説明します。
「川の歴史を知ることにより、現地において、足元に重層的にものがたりを感じられるようになります。見える景色に、水面や魚、洗濯物やほとりで暮らす人々、船、などが自前CGとして重ねられるような気がしてきて、新たな見え方が獲得できるのです」
今回、取材のために2人が暗渠めぐりのスタート地点として選んでくれたのが、「橋」のつく日本屈指の有名な交差点「京橋」です。かつてあった「京橋川」には「京橋」がかかっていました。
「京橋川」は、もともと江戸時代にできた水路でしたが、戦後、埋め立てられ高速道路が作られました。中央通りを銀座と分けるように走る高速道路の京橋側には、小さな公園「京橋大根河岸おもてなしの庭」があります。ここには青果市場があり、中でも名前の由来となった大根の取引が盛んだったことから名付けられたと言われています。
当時、たいへんなにぎわいを見せていたという大根河岸ですが、1935年(昭和10年)にできた築地市場にその役割が引き継がれ、その築地市場も2018年には閉じられ豊洲に移転しています。
当時の写真には、建物の水路側に荷下ろしするための搬入口が見えます。今は中央通り沿いに高層ビルが立ち並ぶ「京橋」ですが、「大根河岸」周辺に足を踏み入れると並び方が特徴的です。「京橋大根河岸おもてなしの庭」から「外堀通り」に視線を移すと、ちょっと不思議な三差路が目に入ってきます。
グーグルマップで見ると、小さな路地が高速道路と並行して残っており水路に沿って建てられた名残を見つけることができます。搬入口がずらっと並ぶ古い写真と、グーグルマップに表示される細長いビルが集まっているエリアの重なりからは、往時の問屋の面影が伝わってくるようです。
「京橋大根河岸通り」沿いの南側には大根河岸の名前のついたビルもありました。
「京橋大根河岸通り」は「中央通り」を超えると「京橋竹河岸通り」に名前を変えます。「主婦と生活社ビル」を過ぎて右に曲がったとこにあるのが「銀座湯」です。タイル絵が銀座4丁目の交差点というモダンな雰囲気が味わえます。
「銀座湯」から高速道路沿いに歩を進め、「昭和通り」を超えると「京橋プラザ」が見えてきます。近くにある「新金橋がかかっていたのが築地川・楓川連絡運河で、現在は川の水を抜かれて高速道路が走っています。
吉村さんは「都心の暗渠には独特の『暗渠サイン』と呼べるポイントがあります」と話します。
「『暗渠サイン』は暗渠を見つける手がかりの総称として使っていますが、東京都中央区では、小さな公園やトイレ、防災倉庫は『暗渠サイン』です。というのも、関東大震災の後にかけ直された橋は、防災などの目的から『巡査派出所・共同便所・防災関連器具納庫』の施設を作るよう決められていたからです。その後、川が埋め立てられても、一緒に作られた施設は残っていることが少なくありません。違うエリアにはまた違う『暗渠サイン』があったりします」
実際、「新金橋」の交差点には「新金橋児童公園」があります。また、区民館や休日応急診療所などの上が住居になっている19階建ての近代的なビル「京橋プラザ」のような公共施設も確認できます。
「川が埋め立てられ川跡になった土地は公共空間なので、公共施設として活用されやすいんです」と吉村さん。
「新金橋」から首都高沿いに「八丁堀」方向へ歩いていくと、右手に「桜橋ポンプ所」があります。歩いてみないと気づかないのですが、このあたりの地面は盛り上がっています。この一帯も暗渠で、かつて流れていた「桜川」にかかっていた「桜橋」の名残を感じることができます。
もともと「八丁堀」と呼ばれていた「桜川」には、桜橋をはじめ五つの橋がかけられていました。戦後、昭和41年ごろまであった「桜川」でしたが、埋め立てられた後、駅名として残ったのは「八丁堀」の方でした。
「桜橋」から鍛冶橋通りの方に進むと首都高の下に「弾正橋」が見えてきます。「弾正橋」がかかっていたのは「楓川」で、現在は首都高になっています。
吉村さんによると、「弾正橋」は、江戸以降、数回架け替えられているそうです。国内初の、国産の鉄を使って架けられたのは明治11年の架け替えの時。関東震災後に架け替えられることになり、昭和4年、江東区の富岡八幡宮付近にある八幡堀という川に移され、八幡橋に改名されました。その後、八幡堀も暗渠化されて八幡堀遊歩道になり、今は遊歩道に架かる橋として現存しています。
「楓川」は、「もみじかわ」と「かえでかわ」ふた通りの呼び名があり、地図のローマ字表記でも場所によって違っています。
吉村さんは、「楓川問題」のように呼び名が割れる現象について「同一の川にもかかわらず、呼び名が違うことには、住民による愛着とこだわりも感じます」と話します。
「『よそじゃどう呼んでるか知らんけど、ここじゃこう呼ぶもんなんだ』っていう。それを不便だから統一してしまうというのは、合理的ではあるけれど現代的で、よそ者の視点という感じがしますね。楓川のように『読み方』が割れる現象はいかにも人間的で、おもしろいと感じます」
「楓川」のあった首都高に沿って歩くと、「暗渠サイン」の公園、「楓川宝橋公園」が見えてきます。さらに「八重洲通り」まで進むと、またしても「暗渠サイン」のトイレが現れます。「八重洲通り」を左折すれば「東京駅八重洲口」ですが、今回は直進して、日本橋を目指します。
このあたりをグーグルマップで見ると、公園を示す緑色のエリアが首都高沿いに点在しているのがわかります。現実の視界はビルばかりですが、江戸時代には見えたであろう、小ぶりな橋が連なる情緒あふれる風景が浮かび上がってきます。
「永代通り」には、首都高下に少し窮屈そうなコンビニがおさまっています。そんな街に「溶け込んだ」風景を眺めていると、吉村さんが「日本橋に向かって首都高が高くなっているのがわかりますか?」と説明してくれます。
「日本橋川では高速道路が高架になっています。もしかしたら、高さをとる必要があり、このあたりから首都高が上り坂になっているのかもしれませんね」
吉村さんによると、高くなった分のスペースはちゃんと駐車場に利用されているそうです。
今回、初めての川(暗渠に対して開渠と呼びます)である「日本橋川」を「江戸橋」を渡ってこえると、「小舟町」という交差点に出ます。名前の通り、このあたりもかつては「西堀留川」と「東堀留川」があり、荷下ろしなどが盛んだった場所でしたが、現在は埋め立てられています。
人形町方面に進むと、歯医者の入るビルに案内板があることに気づきます。案内板では、近くにあった「親父橋」の説明がしるされています。このちょっと変わった名前の橋は、元吉原(現在の台東区に移る前、人形町にあった吉原)を開いた庄司甚右衛門という人物が仲間内で「おやぢ」と呼ばれており、その庄司が架けた橋なので「親父橋」になったとされています。
「親父橋」の由来には不明瞭な点があったり、親仁橋などの他の呼び名もあったようで、吉村さんは「住民にとっては、近所の川の名前や橋の名前は適当であり、自分たちで好きなように呼んでいたのではないでしょうか」と話します。
「例えば中野新橋付近の神田川は、新橋という橋がかかっていたので、そのエリアでだけ新橋川と呼ばれていたそうです。そもそも、『神田川』も、誰がどういう経緯でその名称をつけたか不明です。他の河川も、ざっくりした説明ばかりで、名の由来をきちっと調べようとすると、途端に不明瞭になります」
吉村さんは、そのような「おおらかさ」を体感できるのが暗渠めぐりの面白さだと言います。
「大したことない、近所のドブ川。管理する必要がなければ、名前は自分たちがわかる最低限で良い。行政も適当、介入してこない。好きに呼ぶ、好きに丸太で橋をかける。そういう、大らかでのどかな時代に触れられます。本当は私たちの生きている世界も、私たちの心も、とっても複雑で混沌(こんとん)で、きれいにまとめられなどしないわけですから、それに近いということなのか……ピリピリとした令和におおらかな時代に触れると、安堵(あんど)さえします」
人形町の交差点を越えて「水天宮」方面に向きを変え少し歩くと、時代を感じさせる料亭やすし屋、洋食屋などが集まるエリアになります。人形町は空襲で焼け残った建物が多く、銅板が使われた趣のある家屋が少なくありません。
すき焼きで有名な「人形町今半」に行く途中の路地で、吉村さんがふと足を止めます。
「ここが竈河岸(へっついかし)の跡です」
そう言って、大人1人が入れるくらいのビルとビルの間の小道に入っていきます。「竈河岸」は、かつて竈(かまど)を扱う店が多かったことから名付けられた水路で、元吉原の境界線にもなっていたそうです。
グーグルマップで見ると、雑居ビルの隙間の道が浜町方面へ細く一直線に伸びているのがわかります。生活感あふれる「普通の小道」を、スマホ片手に暗渠を感じながら「こっち側は遊郭だったのか……」と思いをはせる。そんな街の一風変わった雰囲気を味わうことができます。
「竈河岸」を進むと「浜町川」に行き着きます。「浜町川」も暗渠になっており、一帯は細長い親水公園「浜町川緑道」が伸びています。「緑道」も「暗渠サイン」です。
「浜町川緑道」を「神田川」に向かって進むと、久松警察署に出ます。久松警察署の隣には「久松児童公園」があり「小川橋跡」と呼ばれています。
「小川橋」という「川っぽい」名前ですが、実際は、人の名前です。
1886年(明治19年)、ピストル強盗を追っていた小川佗吉郎巡査が、犯人と格闘となり重傷を負いながら捕らえます。小川巡査はその功績によって2階級特進しますが、傷がもとで24歳で亡くなってしまいます。地域の人たちは小川巡査の死を悼み、「浜町川」にかかっていた橋を「小川橋」と名付けたとされています。
「小川橋」の由来を記した石碑は「久松児童公園」の入り口に今も建っています。
高山さんは、新型コロナウイルスが広がる前は、地元の人に「ここに流れていた川や、どぶのことをご存じありませんか」と聞いてみることもあったそうです。
高山さんが印象的だったのは横浜の「千代崎川」です。
「川のほとりで製麺屋さんのおじいちゃんにお声がけした時には、子どもの頃、川を渡って駄菓子屋に通った話を聴かせてくださいました。その他あちこちで、こんなサカナがいた、川でこんな遊びをした、洪水の時にはこんなものが流れてきた、などなど昔の暮らしがしのばれるエピソードを知るのがたのしいです」
「小川橋」のように、地図からはわからない当時の様子を味わえるのは、暗渠めぐりの真骨頂かもしれません。
「浜町川」を「神田川」の方向に進むと、スナックや小料理屋など飲食店街が密集していた「横丁」跡地に入ります。再開発によって店舗は閉店していますが、付近は周囲より一段、低くなっており、かつて川沿いだったことがわかります。
グーグルマップで見ると「浜町川緑道」から伸びる緑の線がマンションやビルの間を、か細く、でもしっかりと貫いており、水路として生活に欠かせなかった名残を感じさせます。
問屋街を過ぎ「江戸通り」を超えた先に「龍閑児童公園」があります。日本庭園のような公園には石橋もあり「暗渠サイン」を感じます。
現在は埋めたてられた「龍閑川」ですが、「暗渠」となった川筋は、中央区と千代田区の境界線になっています。グーグルマップからは一直線に伸びる小道が確認できます。「龍閑川」だった小道は、首都高1号線や中山道を貫き東北新幹線や中央線の高架をくぐり「日本橋川」につながっています。
最終地点にあるのは「鎌倉児童公園」にある「龍閑橋親柱」です。川の名前は、付近に住んでいた「井上龍閑」という人物の名前からつけられたとされています。「龍閑橋」は、日本で最初の鉄筋コンクリート・トラスの橋で、保存された「龍閑橋親柱」で当時の橋の姿を目にすることができます。
「日本橋川」の上を覆う首都高を、ひっきりなしにトラックや乗用車が行き交います。吉村さんは、そんな風景を前に「かつて江戸中に張り巡らされていた水路は、物流を支える存在でした。埋め立てられても、首都高として、その役割は変わっていないのかもしれませんね」とつぶやきます。
歩きながら見る「虫の目」と、グーグルマップからの「鳥の目」。両方を楽しむことで、一つの風景が文字通り拡張される体験となったのが今回の「暗渠めぐり」でした。普段、気づかない歴史を見直すきっかけになるとともに、ARの可能性も感じる「時間旅行」となりました。
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