暗渠めぐり、東京のもう一つの姿が見えてくる…
「京橋」の交差点にかかる高速道路の高架
埋め立てられ首都高になった「楓川」にかかる「弾正橋」に設けられた公園。かつての川の流れを再現したかのようなモニュメントがあった=東京都中央区
「京橋」の交差点で見つけた、かつての「河岸」の説明板。植物に覆われていた
「京橋」の近く「大根河岸」があったあたりに残る謎のY字路
銀座通りが京橋川を渡る京橋西側の河岸地は大根河岸と呼ばれ、江戸時代から青物市場が開かれた。震災で全焼したものの、再建されて取り引きでにぎわう。市場は1935年に東京市中央卸売市場築地本場の青果部に統合
京橋3丁目・八重洲。京橋大根河岸で撮影=1932年4月撮影
東京の反面。銀座1丁目の町つづき、大根河岸付近からながめた情景=ポストカード、1932年8月ごろ撮影
「桜橋ポンプ所」付近の道路で見つけた「ふくらみ」。かつての川の名残を感じる
埋め立てられ「楓川」にかかる「久安橋」のたもとにある公衆トイレ
高低差のある高速道路に設けられた駐車場。手前に「千代田橋」の親柱と欄干も見える
埋め立てられた「楓川」にかかる「弾正橋」
「もみじかわ」と「かえでかわ」、両方の呼び名がある「楓川」。ここれでは「かえで」が採用されていた
久松警察署の近くにある川とは関係ない「小川橋」付近の様子
埋め立てられた「東堀留川」にかけられていた「親父橋」跡の近くに設置された説明板
関東大震災復旧工事のため、ツルハシやスコップをかついで西掘留川にかかる荒布橋(荒和布橋)を渡る陸軍工兵隊の兵士たち。橋の親柱には「此先親父橋通行不能」の表示がある=1923年9月
人形町にある埋め立てられた「竈河岸」。かつては遊郭「元吉原」を隔てる境界線でもあった
埋め立てられた「浜町川」にあった「横丁」の跡地
埋め立てられた「浜町川」沿いに建つマンションから見上げた空
埋め立てられた「龍閑川」に作られた「龍閑児童公園」
埋め立てられた「龍閑川」にかけられていた「龍閑橋」の一部は今も保存されている