連載
#3 マスニッチの時代
ネットを荒らす魔物の正体 「まとめ職人」の限界と「note」の急成長
「読者は自分だけでもいい」「明治の文壇、今のネットに近い」
膨大な情報に出会えるネットの世界を支えているのが、ユーザー自らコンテンツ制作に参加するUGC(UserGeneratedContents=ユーザー生成コンテンツ)です。多様なニーズを満たしてくれるUGCの仕組みですが、サービスを維持し発展するために数字を求めすぎるあまり誤った情報が発信される問題も起きてしまいます。2020年7月、キュレーションという新しい分野を切り開いた「NAVERまとめ」が9月30日にサービスを終了することが発表されました。その一方で急成長しているのが「note」です。変化の激しいネットの世界で起きた「選手交代」から、ユーザーの関心を集めることをゴールにした「アテンションエコノミー」の未来について考えます。(withnews編集部・奥山晶二郎)
「NAVERまとめ」は、もともと、韓国のポータルサイトである「NAVER」の日本版として始まりました。実は、日本での事業展開は、一度、失敗しています。最初に「NAVER」が日本に上陸したのは2000年でしたが、ヤフーやグーグルの牙城には切り込めず、2005年に撤退しました。
再挑戦は2009年。今度は「NAVERまとめ」として、ユーザー自身が、ネット上の様々な情報を集めて一つのテーマを取り上げる「まとめ」サービスに衣替えしてスタートしました。
ユーザーの関心を、そのままコンテンツ制作につなげる「まとめ」という仕組みは、人気を集めます。
2010年には、報酬制度を導入し、「まとめ職人」という名前が生まれるほど、一つのジャンルを作りました。
「NAVERまとめ」は、情報の届け方という面では画期的な機能でした。
旧来メディア、特に新聞に対する不満として「途中から読んでもついていけない」というものがあります。
新聞は、月額課金を基本とし、購読者が毎日、新聞を読むことを前提にした作りになっているため、1本の記事だけ読んでも、過去の経緯がわかりにくい構造になっています。ウェブに軸足が移ると、1本単位の記事で流通する機会が増え、その課題がよりあらわになりました。
「NAVERまとめ」は、時系列という一つの軸しかなかった旧来メディアのコンテンツの「単純なまとめ方」に、テーマという別の横串を加えました。
荷札の意味もある「タグ」は、ばらばらになった情報を、特定の「タグ」でたぐり寄せてひとまとまりにするウェブ上の機能を指します。「NAVERまとめ」は、どんな「タグ」を与えるかという行為自体に価値を与えました。情報そのものを生み出すのではなく、すでにある情報を編集し直し、新しい文脈のもとに「並べ直す」だけでも、ユーザーのニーズに応えるサービスにしたのです。
新聞社やテレビ局が扱うニュースの範囲は幅広く、一言で表すなら文字どおり「ニュース」としか言いようがありません。仮に、「NAVERまとめ」に「ニュース」というまとめがあったとしたら、必要とされるのは一つか二つです。
ネットでは、検索などでユーザーが能動的に求める情報は、細かく絞り込まれます。「スポーツ」よりも「サッカー」、「サッカー」よりも「Jリーグ」、さらに「J2」くらいまで限定して読みたい人もいるでしょう。ただし、1本の記事まで細分化されると、前述の「いきなり読んでもわかない」「それだけでは満足できない」という問題が出てきます。
大きすぎるとジャンルと、細かすぎる1本の記事の間を埋める単位として「まとめ」は、絶妙な規模感だったと言えます。
「NAVERまとめ」への支持は、裏返すと、旧来メディアの限界を示すものでもありました。
ウェブによって、人々の細分化された関心領域が可視化され、それに応えるコンテンツが必要とされた時、旧来メディアだけでカバーすることの難しさもあらわになりました。
「J2」に特化したメディアはかろうじて運営できても、バレーボールの3部リーグまでいくと困難です。「NAVERまとめ」をはじめとした、ユーザー自身がコンテンツを生み出す「ユーザーサイト」は、ユーザーという「青天井の作り手」を土台に、旧来メディアがすくいきれない領域を埋めていきました。
作り手である「まとめ職人」の強力な動機付けになったのが報酬制度でした。
一方で、報酬制度の土台になっているのはPVに代表される「どれだけ読まれたか、関心を集めたか」という指標です。多くの人の目に触れるという物差しに過度に依存したルールは、コンテンツの内容よりも、数字を作り出すテクニックに偏る問題を生み出します。結果、正確性に問題があったり、他者の権利を侵害するようなコンテンツの増加を招きました。
「NAVERまとめ」が切り開いたキュレーションを分野別に分けて事業化しようとしたのが、DeNAが運営していた医療・健康情報サイト「WELQ(ウェルク)」でした。
「WELQ」は、ユーザーの関心が高い一方、コンテンツが少なかった医療関係の情報について、大量のコンテンツを投入しました。検索の上位を狙うあまりコンテンツの量を優先し、医療情報にとって最も大事な正確性が後回しにされました。
2016年にPV優先の姿勢が問題化し、「WELQ」だけでなくDeNAが運営する女性向けメディアとして人気のあった「MERY(メリー)」など10サイトが閉鎖に追い込まれました。
キュレーションメディアの問題発覚後の2017年2月、グーグルは検索のアルゴリズムを変更し、まとめサイトが上位に表示されない措置を取ります。
検索から閉め出されるというネットサービスにとって致命的ともいえる打撃によって、キュレーションメディアはサービスとして成り立たなくなっていきました。
振り返ると、成長と衰退のきっかけとなった報酬制度は、ユーザーの関心をよりどころにするアテンションエコノミーの一つの「最終形態」だったとも言えます。
現在、急激に規模を拡大しているのが「note」です。
2019年9月に月間アクティブユーザー(MAU)が2000万を超えた「note」は、それから1年もたたない2020年5月、MAUが6300万に達する急成長を見せています。
「note」にユーザーが集まる大きな理由は「荒れない」からだと言われています。目を引くコンテンツで多くの人の目に触れさせようとすると、必然的に、別の意見を持つ人、批判的な意見の人も集めてしまいます。アテンションエコノミーのサイクルに入ると、金銭的な見返りが優先されるため、「荒れても儲かればいい」という流れに傾きがちです。
「note」の持つ「パステルカラーの世界観」の中で、誰もが落ち着いて活動することができていることが最大の魅力と言えます。
では、どうやって「荒れない」場所を作ったのか。
「note」代表の加藤貞顕氏は、コンテンツに広告を掲載しない方針を貫いています。
広告が入ると、アテンションの数が金額に換算されてしまうため、コンテンツの質をはかる物差しが固定されてしまいます。
「note」の場合、多くの人に読まれるかどうかは、コンテンツの評価に直結しないように設計されています。結果、コンテンツの中身と親和性のあるユーザーに読まれることになり、建設的な空気が形成されやすくなります。
加藤氏が強調するのが「マッチング」です。
withnewsの取材に対して加藤氏は、「ユーザー同士が長期的な関係をつくれるような場所にしている。そうすると、激しいこと言うメリットがなくなる。クリエイターの発言を制限するつもりはなく、多様性は重視している。法律や規約に外れなければ、自由に活動してもらいたい。その上で、『違う人と違う人』がぶつからないようにしている」と説明します。
一方で、コンテンツとユーザーの親和性を追求しすぎると、自分の関心のある情報しか触れなくなったり、発信しなくなったりする、閉鎖的な流れを起こしてしまいます。
「note」では、異なる関心領域を持つユーザー同士が交わる「出会い」の場として、コンテストという仕組みを用意しています。
「note」のトップページにある「募集中」というタブを開くと、様々なお題が用意されています。「自己紹介」「推薦図書」のようなものから、「#こんな学校あったらいいな」のような企業とのコラボまで、30ものコンテストが並んでいます。
ユーザーは、作り手としての世界観を大事にしながら、コンテストで別の世界にチャンネルを作ることができています。
加藤氏が例えるのがニューヨークのマンハッタンです。
「高級住宅街から劇場街、ウォールストリートまでモザイク状に配置されていることで、あれだけのパワーを生み出せている。それぞれの生活を大事にしながら、出会いの機会も失っていない」
サービスが急拡大している「note」は、扱うジャンルも広がっています。
2020年5月17日には、四條畷市長の東修平氏が「なぜ10万円給付に時間がかかるのか」というタイトルで「note」に投稿しました。
新型コロナウイルス関連の、批判的な意見も目立つテーマは「noteらしくない」とも言える内容でした。
そんな東氏の投稿を加藤氏は「画期的」と評価します。
「公的な立場にある当事者が発信して、それが認知されて、仲間を作っていくことは、歓迎するべき動き。これからは、みんながメッセージを発信する社会になると思っているし、それを手助けしたい。政治家や企業など当事者の発言と、ジャーナリズムが拮抗してやっていけばいい」
加藤氏は、ハードな話題でも「note」の世界観を壊さず発信してもらうために必要なのが「ゾーニング」だと言います。
「クローズドになりすぎるのはよくない。バラバラであるけど、つながっている。ちょうどいいバランスが重要」
加藤氏が強調するのが技術力です。「マシンラーニングに力を入れている。noteは、テクノロジーの会社でもある。技術者の採用は積極的にしている。人と機械、両方からバランスをとっていくことを目指している」
「note」のコンテンツを読み終えると「こちらもおすすめ」の欄で、ユーザーに親和性の高いものが紹介されます。ログインした状態でトップページを開くと、タイムラインに表示される「閲覧履歴にもとづくおすすめ」や「みんなのオススメ記事」、さらには「あなたにおすすめのクリエイター」が表示されます。
これらの「マッチング」を機能させるための手がかりになるのが、ユーザがどのようなコンテンツを見たのかという行動履歴や、コンテンツの中身の情報です。ユーザの好みをどう表現するか、さらにその好みとマッチングする記事をどうやって抽出するかという場面でマシンラーニングが用いられています。
同時に、「note」では、他のユーザがおすすめした記事がタイムラインに流れる機能があり、システム的なマッチングと、人手が介在するマッチングの両方を機能させているといいます。
加藤氏は、出版社時代、200万部を超えるヒットとなった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を手がけた、いわゆる敏腕編集者でした。
そんな加藤氏に、よいコンテンツとは何か、聞いてみたところ「結論からいうと『定義はない』になってしまう」。その上で、次のように続けました。
「目的次第で変わってくる。編集者のときはたくさん売ることが、よいコンテンツだった。でも今の時代は、誰も読まないかもしれない投稿にも価値を見いだせるようになった。本人が本当に伝えたいことであれば、究極、書いた時点で、つまり読者が自分だけでもいいのではないか」
それを加藤氏は明治の文壇に例えます。
「私生活を作品に転化して新しい価値観を提示した平塚らいてうのような人が活躍した明治の文壇は、今のネットに近い。自分で書いて自分ですっきりする。でも、当時は、出版以外に手段がなかった。今はネットによって発信手段が民主的に広がっている」
ネットの自由さを考えた時、それは、ある意味「荒れる」ことを引き受けた上での多様性とも言えます。マスメディアしかなかった時代のように、発信手段の限られた閉じられた場所なら「荒れる」こともありませんが、自由さも失われます。
多様性と秩序、両方のバランスをめざす「note」ですが、今後、社会のインフラとしての役割が強まれば、四條畷市長の投稿のような、直接の利害や影響、損得にひも付く情報の存在感が大きくなります。いわば「原色」に近い情報を、「パステルカラー」の世界観で同居させていく「マッチング」の手腕は、ますます問われるでしょう。
8月14日には、記事投稿者のIPアドレスがソースコードから確認できてしまう不具合が発覚。一時、アクセスを遮断しました。同日、修正対応をし復旧しましたが、インフラとしてのサービス体制が問われる事態になりました。
加えて、事業として持続させるためには新たなビジネスモデルも考えなければいけません。「note」は企業の情報発信をサポートする有料の「note pro」サービスを2019年にスタートしています。「荒れない世界」を維持するため、従来の広告とは一線を画したビジネスを軌道に乗せていくことは、規模が大きくなればなるほど避けられなくなります。
ネットの世界では、ユーザーの関心の多さを競うアテンションが商売と結びついた途端、数字狙いという「魔物」が顔を出します。そんなアテンションエコノミーのアンチテーゼとして出現した「note」。加藤氏の言う「読者が自分だけでもいい」という場所が完成した先には、ネットにおけるコンテンツの新たな物差しが生まれるかもしれません。UGCにおける「NAVERまとめ」からの「選手交代」からは、どんな課題でも乗り越えて成長しようとするネットのプレイヤーたちのたくましさが伝わってきます。
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