連載
#1 #医と生老病死
設計図どおりの「最期」迎えた父 おかざき真里が描く「医療と宗教」
「医療現場のコミュニケーション・エラーで苦しむ人たちを救いたい」とボランティアの医師4人が活動するプロジェクト「SNS医療のカタチ」。この活動費にあてようと売り出したチャリティーグッズには、漫画家のおかざき真里さんがイラストを寄せています。2年前、がんの父が自宅で息を引き取ったというおかざきさんは「人は〝物語〟の中を生きていると思います。父が『自分の希望する最期』の設計図を示してくれたから、大変だっただろうけれど家族はそれをかなえられた」と振り返ります。
――おかざきさんの描いたチャリティーグッズのイラスト、スプーンの上のクジラがとてもかわいいです。
SNS医療のカタチでグッズをつくるので、何かイラストを描いてくれないかとお願いされました。SNS上で医師の皆さんの活躍は拝見していたので、二つ返事で「何でもやります」と答えました。
――どうしてこのイラストの構図にしたのでしょうか?
身近でやさしい医療を考えたとき、具合が悪くなったときにおかゆを食べさせてもらったスプーンが思い浮かびました。クジラは、いちばん大きくてやさしい「叡智」のイメージです。
私たちに届く医療は、お医者さんや研究者の長い長い汗と涙と努力の結晶なのだと思います。それがスプーンの上に乗ってやってくるような、医療のやさしさを表現したんです。
「医療におけるコミュニケーションエラー」を少しでも減らすため4人の医師が手弁当(本当に手弁当!)で展開する活動、のお手伝いをさせていただきます。8/23オンラインイベントはこちらのチャリティグッズ収益で賄われます。私自身欲しいものを描きました。クジラグッズ。是非下記サイトをご覧の上 https://t.co/C5inSKMYpR pic.twitter.com/niGjknsxiX
— おかざき真里『阿・吽』11巻発売中 (@cafemari) July 22, 2020
――『阿・吽』では「生老病死」についても描かれていると感じました。特に3巻では、にうつ様(丹生都比売)が空海に向かって「命とはなんだね」「延々とくり返す、生と死とはなんだ? 人とはなんだ?」と問いかけています。
漫画を通して問いかけていて、答えを描いているわけではありません。そのまま私が「なんだろう」と思ったことを描いています。分かった気にならないことが大切だと思っています。
90年代は都市論や『メメント・モリ』などが流行りました。バブルの影響がまだ少し残っていた頃、死の匂いはできるだけ隠されていました。人が死を実感できなくなっていた世代と言われていたんです。
私の平安時代のイメージは「雅で豊か」でしたが、それは後期のことでした。奈良から平安へ移る頃って、死が身近で、街中がひっくり返ってるような時代なんです。
死の匂いがしない時代の人がそれを描くおこがましさを感じながら、謙虚に、できるだけ生々しく描こうと思ってきました。
『阿・吽』11巻3月12日発売です。どうぞよろしくお願いいたします。デザイナーさんが作ってくださった素晴らしい表紙4案。全部かっこよくて美しい最高。いつも表1のみのアップですが見ていただきたくて見開きで載せます。どの案がお好きですか以下ツリーにアンケート→ https://t.co/WproB3T0wC pic.twitter.com/VuleVHqHfu
— おかざき真里『阿・吽』11巻発売中 (@cafemari) February 20, 2020
――『阿・吽』でたびたび登場する「怨霊」の存在も印象的です。
「量子力学を学ぶにはこのペースでも半年かかるよ。大学にいらっしゃい」と言われましたが、その大学には聴講生の制度がなかったんです。大学に入り直すところからか……と今の学びは止まっています(笑)
――まだまだ仏教について分からないことが多いのですね。
私が因数分解できず、僧侶に聞いてまわっていることのひとつに「慈悲」があります。
ある僧侶からは、「慈悲の心を受けとる側に用意がないと、慈悲は成立しない」と言われました。
「受けとる用意」ってなんだろう?と考えると、それは医療でも同じかもしれません。
私はすでに、医者は十分きちんとやってくれていると思うんです。患者の受けとる用意も必要なんじゃないかと。
――仏教の教えと医療にも、リンクするところがあるんですね。
――おかざきさんはどんなときに「医療のコミュニケーション・エラー」を感じますか?
今は子ども3人のお母さんとして、検診や予防接種に連れていくことで主に医療と関わっていますが、自分の身体ではない難しさはありますね。
過保護になって常に病気ばかり心配していてもしょうがないし、かといって、じゃあどんな状況なら救急病院にかかっていいのか……そのさじ加減が難しいです。ネットには怖いことは書いてあっても、「大丈夫」とは言ってくれないんですよね。
だから地域のかかりつけ医の存在はとても大きいと思います。今のかかりつけ医には、安心して「行っておいで~」と送り出して、先生も子どもに「お母さん元気にしてる?」と聞いてくれます。
家族のことを全部分かっているお医者さんがいるのはとても安心です。でも、何度か引っ越しをしているので、見つけるのは大変でした。
――2年前にお父さんが亡くなったときは、ご家族が自宅で看取ったそうですね。
がんになった父は、最初は放射線治療も受けないと言っていました。長野の自宅で孫の顔を見ているうちに、「放射線治療はやってもいい」に変わったようです。
手術をして病巣をとったあと、できるだけ入院せずに治療をしたと聞いています。
一度、自宅で昏睡状態になった時も、家に呼ばれた医師が点滴をしようとしたら、父がふと目覚めて「点滴はだめだ」と言ったそうなんです。とにかく「寝たきりにはならない」と決めていました。
母から聞いた最期は、「机に座らせて欲しい」と言われたので支えていつも論文などを書いていた机につかせ、1時間くらい経ったころ「もう寝る」と言ったのでベッドに寝かせた、その後見に行ったら息を引き取っていたそうだ。私は父とは折り合いが悪かったけれど→
— おかざき真里『阿・吽』11巻発売中 (@cafemari) July 29, 2020
最期も、母にトイレに連れていってもらったあと、仕事で使っていた論文を書く机に座らせてもらって、1時間ほどしたあと、「寝る」といって休みました。そのあと様子を見にいったら息を引き取っていたんです。
すごいなぁと思いました。もちろん皆さんに薦めるわけではありませんが、みんなが「よく生きたね」と言える最期でした。
――お父さんには「こう生き抜きたい」という希望の最期があったんですね。
父は頑固だったので「こうだ!」と決めてくれました。家族も腹をくくって、大変だったろうと思いますが、父が書いた設計図通りに、最期を迎えさせてあげた。やれることをやったので家族も思い残すことがないですよね。
父は、理系の大学の先生で、兄がお医者さんで、それなりに知識があったんだと思います。
知識がないとお医者さんにお任せ、になりがちですが、それは医者も困りますよね。
――お父さんの死で感じたことはありますか?
自分が漫画家だから余計にそう思うのかもしれませんが、「人は物語の中を生きてる」と思うんです。父には、こう生きたいという物語があって、それを伝えておいてくれれば、まわりも用意ができる。
でも、医療のアップデートが進むのはかなり早いですし、素人だと間違ったものを勉強してしまう可能性もあるので、「知識を入れろ」とも言えません。
ただ、「自分の人生ってこうなんだ」「こういう物語で終わりたい」って大きく決めておいてくれたら、あとは知識のある専門家が合わせていってくれると思うんです。
とくに家族は、本人のために精いっぱいやるしかないですよね。でも何が本人のための「精いっぱい」なのか分からなければ、やりづらいです。
――家族はわらにもすがる思いで、本人の希望とは違うことをしてしまうこともありそうです。――そういった医療や宗教には「わかりやすい」言葉も多いですね。
タイトルを見ただけで何が書いてあるのか分かる、キャッチーな啓発本もありますよね。
単純な達成感も、バトル漫画にある敵を倒した感じも、分かりやすい呪文でHPが戻って、また同じようにに戦えるということもないんですよね。
――一方で、とっつきにくい医療情報を「漫画」で分かりやすく伝えるということも増えてきました。
医療漫画は、ものすごく責任を負うものになったと感じています。1/9枚