連載
#11 #アルビノ女子日記
「どうせ長生きできない」日焼けの苦しみ…アルビノの体を愛せるまで
「好きでないものを、大切に扱えないのは当然だった」
髪や肌が白い、遺伝子疾患のアルビノとして生まれた神原由佳さん(26)。疾患の特性から、日焼けすると肌に異常が生じることに、幼い頃から悩んできました。思春期には、周りと違う見た目へのコンプレックスも加わり、自己肯定感を持てずにいました。「こんな身体、嫌いだ」。投げやりな気持ちを変えたのは、ずっと探していた「居場所」を見つけたことだったといいます。「ふつう」とは異なる自らの身体を愛せるようになるまでの日々について、つづってもらいました。
今年の梅雨は長く、夏空が恋しかった。でも、ギラギラと降り注ぐ紫外線を思うと、憂鬱にもなった。
私にとって、太陽光は天敵だ。
アルビノは紫外線の害から体を守ってくれるメラニン色素が薄い。日焼けをした部位は赤く熱を持ち、ひどいときは腫れ上がってしまう。
そして、水ぶくれになる。やけどに近い症状だ。その後、皮膚がちりちりになってはがれ落ちる。完治するまでにも時間がかかる。海水浴に行って、全身水ぶくれになって苦しむことを、多くのアルビノの人たちが体験している。
皮膚がんになりやすいとも言われている。中学生のとき、主治医から「早い人だと20歳くらいでがんになるから気をつけなさい」と告げられた。繰り返し日焼けすることは、そのリスクを高める。
私たちアルビノにとって日焼け対策は、美容の前に、健康を守るために必要となる。
アルビノが日焼けに弱いことは割と知られているらしく、ネット上では「アルビノの人たちは日光に当たれない」「短命だ」といった言説までも流布している。
でも、そんな極端なことはない。皮膚がんにかかったというアルビノの人は、私が知る限りではいない。
私は半袖姿で、夏に野外ライブに出かける。
もちろん、日焼け対策はする。ただ、「ふつう」の人たちがする対策と、そう変わりはない。市販の日焼け止めクリームに、つばが広めの帽子、日傘にサングラスといったラインナップだ。クリームを小まめに塗り直す必要はあるが、それで大丈夫だ。
対策の仕方は人それぞれ。私の友人で、アルビノ・エンターテイナーの粕谷幸司さんは夏でも長袖で過ごすという。日焼け止めを塗るのが面倒だからだそうだ。
今でこそ、性能のよい日焼け止めクリームや、お洒落な帽子やサングラスが簡単に、しかも低価格で手に入る。
だが、私が子どもだった20年前は、そうではなかった。日焼け止めは油っぽくべたつき、においも独特だった。
私の日焼けに敏感になっていた両親は、UVカット加工された薄手のカーディガンを着せようとしてくれた。ただ、それは大人用。いかにも「婦人向け」というデザインで、子どもなりにオシャレ心があった私は着たいとは思えなかった。
小学生の頃は、日焼け対策をよくさぼった。親にちゃんとするように忠告されていたにもかかわらずだ。その危険性が子どもの私にはピンとこなかったし、嫌なにおいがして、べたつくクリームを塗りたくなかった。
でも、結局は後悔する。日焼け止めを塗らずに運動会に参加したら、案の定、水ぶくれができた。その晩、お風呂に入ると、痛くてたまらなかった。
学校のプールの時間は、保健室で過ごした。運動神経のよくない私は「さぼれてラッキー」くらいにとらえていた。大好きな保健室の先生と一緒にいられることもうれしかった。
ただ、泳いだ経験がほとんどない私は、今も水に入ると、ぶくぶくと沈んでしまう。
中高生になると、周りと違う見た目であることに、私は強い違和感を覚えた。せめて言動だけでも「同じ」でありたかったけれど、日焼け止めのクリームを塗る行為によって、自分が「ふつう」でないことを思い知らされた。ふっくらとした幼児体形にもコンプレックスがあり、自己肯定感はずっと低かった。
そして、当時の私は「がんになって、どうせ長く生きられない」と思い込んでいた。「ふつう」の色でなく、皮膚がんのリスクを抱え、ふっくらとした私の身体。とても好きになれなかった。どこか投げやりな気持ちがあり、日焼け止めクリームをぬらずに、外に出ることもあった。
自分の身体を大切にしなくてはいけない、という正論は理解できる。でも、ピンとこなかった。大学時代、何かの授業で「自己肯定感が低い人は、セルフケアが苦手な人が多い」との話を聞き、とても共感したのを覚えている。
私は、自分の身体がずっと嫌いだったのだ。好きでないものを、大切に扱えないのは当然だった。
私は今、自分の身体をいたわれるようになってきた。外に出るときは日焼け対策を欠かさないし、おいしいご飯を食べ、睡眠もしっかりとっている。
変わったのは、ここ数年だ。「アルビノであることに、悩んでしまう私」を、「好きだ」「そのままでいい」と言ってくれる人たちに出会えたのが大きい。この体形を「かわいい」と言ってくれる人もいる。
誰かに認められたことで、自分の身体も心も「よいもの」なのかもしれないと思えてきた。繰り返し言われると、まんざらでもなくなってくる。次第に、自分を大切にしたいという「欲」が出てきた。
最近、「ボディー・ポジティブ」という言葉を見聞きする機会が増えた。外見のコンプレックスを個性ととらえ、多様な美しさとして受け入れる考え方だ。やせていることや二重まぶたといった、日本人が好む「画一的な美しさ」を求めるのではなく、「人それぞれの美しさ」を認めるということだ。
「自分の身体を愛そう」
そういう流れが、一気に押し寄せているんだと思う。この変化を私は歓迎する。救われる人は、きっといるだろう。
ただ、自分の身体を嫌っていた10代の私が「ボディー・ポジティブ」と耳にしたら、絶対に戸惑っていたと思う。好きになれないものを「愛そう」だなんて、そんな酷なことがあるだろうか。
だから、もし過去の自分に声をかけられるなら、こんな言葉をかけてやりたい。
「私はあなたに身体をいたわってほしいと思うけど、今はまだ大切にしたいとは思えないんだね。その気持ちは持っていてもいいよ」
当時の私は、自分を大切にできないというネガティブな気持ちに寄り添ってもらいたかった。居場所がほしかったのだ。
10代の私よ、焦ることはないよ。少しずつ、自分の身体を愛せるようになっていけばいいからね。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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