連載
#17 withコロナの時代
「絶望名言」著者が警告、コロナ禍の「立ち直らないといけない空気」
「立ち上がりたくても立ち上がれない自分にとって、『倒れたままでいい』というメッセージは、どんな言葉よりも救いになったのです」
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#17 withコロナの時代
「立ち上がりたくても立ち上がれない自分にとって、『倒れたままでいい』というメッセージは、どんな言葉よりも救いになったのです」
コロナ禍で先行きが見通せない中、「絶望」をテーマにした名言本が重版になり、注目を集めています。著者は、30年以上、潰瘍性大腸炎という難病を抱える頭木弘樹さん(55)。「希望」の言葉ではなく、あえて「絶望」の言葉を紹介し続けるのはなぜなのでしょうか。(朝日新聞記者・小川尭洋)
頭木さんは、闘病生活を経て35歳の時、不条理文学の作家として知られるフランツ・カフカの翻訳本でデビュー。以来、カフカやドストエフスキー、太宰治など近現代作家の名言を中心に翻訳・編集し、本を出しています。
名言と言うと、希望に満ちた言葉を思い浮かべますが、頭木さんの選ぶ言葉は、真逆の「絶望名言」です。
「失恋した時に失恋ソングを聴くと落ち着くことがありますよね。絶望的な気持ちの時は、明るい言葉よりも、暗い言葉の方が共感できて、心に響くことがあると思うんです」
頭木さんの著書の根底にあるコンセプトは、「絶望」です。
たとえば、「絶望名人カフカの人生論」はカフカが日記やエッセイに残したネガティブな言葉を解説しています。
ラジオ内容を書籍化した「ラジオ深夜便 絶望名言」では、カフカ以外にも多くの文豪の言葉を紹介。「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決」では、対照的な2人の言葉を並べています。
どれも数年前に出た本ですが、新型コロナウイルスの感染が広がり始めた2~6月にかけて、売り上げが伸び、重版になりました。
「絶望」を紹介し続ける原点は、闘病生活にあります。
頭木さんは、20歳だった筑波大学3年生のとき、潰瘍性大腸炎と診断され、入院しました。下痢と血便が激しく、治療のため絶食をしました。体から出ていく栄養分を補うため、心臓近くの血管まで届く点滴を打ちました。
当時はバブル景気前夜の1984年。「大学院に進もうか、どこの企業に入ろうか。選択肢が多すぎて困ってしまうような状況から突然、選択肢ゼロになってしまった。医師からは『親に一生面倒を見てもらいながら生きるしかない』と言われました」
発症後、体重は30kg近く減りました。「筋力も落ちるので、電話の受話器が鉄アレイみたいに重く感じるんです」
入院先は、自分の大学近くの病院。外を歩く同年代の学生たちを横目に、自分の人生を呪いました。「毎日、惨めで不安な気持ちでした。なぜ、こんな目にあわなければならないのか・・・と」
そんな時、思い出したのが、カフカの小説「変身」(1915年)でした。中学の読書感想文で読んだ本を、親に持ってきてもらったそうです。
「普通に生活していたのに、ある日突然、ベッドの上で『虫』になってしまう。周囲の人から、気の毒そうな顔をされたり、だんだん冷たくされたり。まさに今の自分だと、衝撃を受けました」
頭木さんは、カフカの小説だけでなく日記や手紙も読みました。読むにつれ、その底抜けなネガティブさにますます惹かれたそうです。
バブル景気を迎えたばかりの日本。頭木さんのベッドの周りにも、前向きな言葉があふれていました。お見舞いに来た友人からは「大丈夫、きっと治るよ」と言われ、差し入れの啓発本には「本気で願えば何でもかなう」と書かれていました。重たい内容のドラマも、ハッピーエンドがお決まりでした。
「当時は『早く立ち直らないといけない』という強迫観念がありました。でも、病気は、努力してもどうにもならないことの方が多い。倒れっぱなしの自分にとって、カフカの『倒れたままでいい』というメッセージは、どんな言葉よりも救いになったのです」
カフカは、現在のチェコ出身。このラブレターに限らず、生涯にわたって悲観的な日記や手紙を書き続けました。「当時は健康で仕事も順調だった一方で、常に弱い者の視点を大切にしていた」と、頭木さんは言います。
頭木さんは、33歳の時に大腸の手術を受け、入退院を繰り返す生活から、自宅療養中心の生活になりました。発症からすでに13年経っていました。
今も薬は毎日飲み、3カ月に1回通院します。繊維の多い食材は避ける必要があったり、免疫が弱く病気になりやすかったりします。手術前よりは症状は落ち着いたものの、人並みの生活を送れているとは言えません。難病との付き合いは続いています。
「人生で倒れてしまった時、普通は『どうしたら立ち直れるか』と考える。でも、絶望的な時は、立ち直りたくても無理なことが多い。だから、方法論的なものより、倒れっぱなしの人を肯定してくれる言葉もあってもいいんじゃないかと」
闘病経験から、そう考えた頭木さんは、40代半ばを迎えた2011年、本を出しました。闘病中に心に響いたカフカの言葉を集めた「絶望名人カフカの人生論」です。
ただ、当時は東日本大震災の直後でした。「『絆』や『希望』といった明るい言葉が増え、暗いことは言ってはいけない雰囲気があった。実際、書店の運営会社から『置きたくない』と言われたり、ラジオ出演も直前でキャンセルになったりしました」
一方で、読者からは、感動や共感の声が多く届いたそうです。
「被災地の方からのお便りも多かった。ある人は『周りは復興ムードだけど、最愛の人を亡くしてしまい復興の波に乗る気になれない』とつづっていました。『立ち直らないといけない空気』に苦しんでいる人も多いのだと感じました」
頭木さんは、コロナ禍の中でも、「立ち直らないといけない空気」を感じています。
「日本社会は、少しずつ動き出していますが、大切な人を亡くしたり、心が深く傷ついたりして立ち上がれない人たちは多くいます。前向きな雰囲気が強すぎると、そうした人たちは余計に自分を責めることになります。なぜ、自分は立ち直れないんだと」
頭木さんの目には、政治家もその雰囲気に便乗しているように映ります。
「多くの政治家は、暗いことを言わずに、明るい未来を前提に発言したり、政策を進めたりします。聞こえの良いことを言った方が、国民を引きつけられますからね。でも、結局は、暗いことから目をそらしているだけなのではないでしょうか?」
コロナ対応については「『GoToキャンペーン』といった、立ち直ること前提の政策より、『倒れっぱなしの人』に向けた政策を大事にしてほしい。無理やり、元の生活に戻ろうとするのは、危ない」と訴えます。
コロナ社会でも、広がる「立ち直らないといけない空気」。その背景には「コロナ前が正常で、コロナ後は異常」という考えがあるのだと、頭木さんは指摘します。
「確かに『コロナ前』の価値観で見ると、引きこもって何事もオンラインで済ますのは『人間性がない』のかもしれません。でも、我々はもう『コロナ前』には戻れないのだから、『コロナ後』の価値観で物事を見ていく必要があるのです」
コロナや難病に限らず、人生で『元の道に戻れない事態』は起きるかもしれません。
「そんな事態の時、心に寄り添うのは、安易な希望の言葉ではなく、絶望し続けたカフカの言葉なのではないでしょうか」
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