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京アニが「聖地巡礼」に果たした役割 西日本に「聖地」が偏る理由
昨今のクールジャパンにつながるアニメブームを引っ張ってきました。
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昨今のクールジャパンにつながるアニメブームを引っ張ってきました。
36人の命が奪われ33人が重軽傷を負った「京都アニメーション放火殺人事件」。7月18日で1年を迎えました。多くの人に愛される京都アニメーション(京アニ)の作品は、「聖地巡礼」の歴史においても、欠かすことができない存在です。「聖地巡礼」で京アニが果たした役割を振り返ります。
「聖地巡礼」がまちおこしとして、地域と版元が協働する形で本格化したのは2007年。アニメ「らき☆すた」が放送され、舞台となった埼玉県久喜市にある鷲宮神社に、大勢のファンが「巡礼」に訪れるようになり、こうしたファンを地元商店街がもてなしたからでした。
「らき☆すた」を制作したのが、京アニです。監督に武本康弘さん、作画監督に木上益治さんや池田晶子さん、西屋太志さんなどが担当されていましたが、事件によって尊い命が失われてしまいました。
作品の舞台をファンが訪れる動きそのものは、「らき☆すた」以前からあり、代表的なものには1974年放送の「アルプスの少女ハイジ」などがあります。京アニ作品においても、2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」では、兵庫県西宮市などが舞台となり、ファンが訪れる動きはありました。しかし、西宮でスタンプラリーなどのイベントが実施されるようになったのは、「らき☆すた」放送よりあと。「聖地巡礼」が地域振興につながることがわかってのことです。
「らき☆すた」以降、京アニは「聖地」を続々と生み出していきます。2009年の「けいおん!」の滋賀県豊郷町。12年の「氷菓」の岐阜県高山市。13年の「たまこまーけっと」の京都市出町枡形商店街や、「Free!」の鳥取県岩美町。15年の「響け! ユーフォニアム」の京都府宇治市。16年の「聲の形」の岐阜県大垣市など、現在でもファンが多く訪れています。
こうしてみると、「らき☆すた」以外は西日本に偏っています。そしてなぜ、京アニ作品に「聖地」が多くみられるのでしょうか。理由には、アニメ業界ではかつて異色と言えた、地方に拠点を構えていることが関係しています。
21世紀に入るまで、地方に本拠地を置く「元請け」のアニメの制作会社は皆無に等しい存在でした。アニメはセル画で作られるものであったため、全ての工程で元請けに“現物”の制作物を集める必要があります。アニメ制作に関わる大半の企業は東京にあるので、地方に元請けがあると、莫大(ばくだい)な輸送コストと時間が発生してしまいます。地方に元請けのアニメ制作会社を置くことは現実的ではなかったのです。
この常識を覆したのが、デジタル化と高速インターネットの登場です。今ではアニメは主にデジタルデータで作られ、データもサーバーで共有されていますが、この二つが可能になったのは2000年代に入ってからでした。
京アニは1981年に創業しましたが、初の元請け作品は2003年の「フルメタル・パニック? ふもっふ」です。「仕上げ」と呼ばれる、キャラクターなどに色を塗る工程を中心に、高い技術力が定評の会社でしたが、元請けになるまで20年近い開きがあるのは、こうした技術的制約があったからでした。一方、もとより高い技術を持っていたため、元請けとなった作品には実写のような高い描写の細かさと、卓越した色彩の表現力で視聴者を驚かせました。
特に「聖地」の誕生においては、背景のデジタル化によるところが大きいです。写真をモデルにする形で、写実的な背景制作が容易になりました。つまり実際にロケハンをしてアニメを制作する形が広まったのです。京アニ作品の舞台が西日本に偏在している理由はここにあります。実は高いアニメの制作技術力と、ファンが舞台を「聖地」として訪れる動きには表裏一体の関係にあるのです。
一方の視聴者側においても、インターネットの普及により舞台の特定と、情報共有がやりやすくなった面もあります。「聖地巡礼」しやすくなったのです。
京アニ以降、地方にアニメ制作会社を移す動きは進んでいます。富山県の「P.A.WORKS」や徳島県の「ufotable」が代表例です。いずれも高い技術力に定評があり、京アニ同様数々の「聖地」を生み出しています。
京アニが後世に残した影響は計り知れないものがあります。2000年代を中心に世界的ヒット作をいくつも生み出し、昨今のクールジャパンにつながるアニメブームの牽引(けんいん)役となりました。そして「聖地巡礼」という現象を生み出し、アニメの社会的役割を一段高めた立役者とも言っても過言ではないと思います。
今年1月からは、アニメ「クレヨンしんちゃん」の制作の下請けを再開するなど、事件前の姿を取り戻そうとしています。一方で、1月に公開が予定されていた映画「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は事件の影響で4月に公開が延期。映画の完成を目前としていたところで、今度は新型コロナウイルスの影響で、公開日が9月18日に再延期となっています。
新型コロナウイルスの影響によるところは残念ではありますが、「フルメタル・パニック? ふもっふ」以来のファンの一人として、京アニ作品を再び見られる日を楽しみにしております。
河嶌 太郎
「聖地巡礼」と呼ばれるアニメなどのコンテンツを用いた地域振興事例の研究に学生時代から携わり、10以上の媒体で記事を執筆する。「聖地巡礼」に関する情報は「Yahoo!ニュース個人」でも発信中。共著に「コンテンツツーリズム研究」(福村出版)など。コンテンツビジネスから地域振興、アニメ・ゲームなどのポップカルチャー、IT、鉄道など幅広いテーマを扱う。
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