連載
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#10 #アルビノ女子日記
「ふつう」のふりはもうやめた アルビノの私が弱視を受け入れるまで
「誰かに迷惑をかけるのは恥じゃない」と思えた理由

生まれつき髪や肌が白いアルビノの神原由佳さん(26)には、ひそかに悩んできたことがあります。症状の一つ、弱視です。眼鏡をかけても十分に視力が上がらず、日常生活で不便を感じることもしばしば。しかし、「ふつう」であることを望む気持ちゆえに、周囲に助けを求められずにいました。今では「信頼する人と迷惑をかけ合いたい」と思えるようになったという神原さんに、等身大の自分を認めるまでの日々をつづってもらいました。
悩ましい「目」の症状
失敗した、と思った。
初夏を思わせるような、よく晴れた日。家から最寄り駅まで、数分間、歩いただけなのに、目がチクチク痛み、涙がぽろぽろと出てきた。
家を出る前、サングラスをリュックに入れるかどうか一瞬迷った。けれど、仕事の荷物でいっぱいのリュックに、これ以上荷物を増やしたくないと思ってしまったのだ。
遺伝子疾患であるアルビノは肌や髪の毛の「白さ」が話題になるけれど、症状はそれだけでない。
眼鏡やコンタクトレンズを身につけても視力が上がらない「弱視」、光をまぶしいと強く感じる「羞明(しゅうめい)」、無意識に眼球が揺れてしまう「眼振(がんしん)」の症状がある。
私は普段は、度入りの遮光レンズの眼鏡をかけている。強い日差しの日に外出する際は、サングラスをかける。赤ちゃんの頃からそうしているので、もうすっかり、眼鏡は体の一部みたいなものだ。

「見えづらい」という、あいまいさ
ほとんどのアルビノの人に眼の症状が現れる。視力には個人差があり、盲学校に進学する人もいる。私の視力は高い方で、裸眼で0.1程度あり、普通級に進学した。席を最前列にしてもらったり、プリントの文字を拡大コピーしてもらったりと、配慮をしてもらっていた。
私は「全く見えない」のではなく「見えづらい」。言わば「軽度障害」とも呼ばれるもので、その立ち位置はあいまいだ。健常者でもなければ、障害者でもない、どっちつかずな存在。この「見えづらさ」の中で生きる私にとって、物事を「できること」と「できないこと」とに単純に線引きすることはできず、「無理をすれば、できること」も多い。
制度上の「障害者」も私たちアルビノにとって、あいまいだ。身体障害者手帳が交付されない程度の視力があっても、まぶしさを感じる「羞明」があるため、強い光を受ければ、物が見えなくなってしまう。

聞けなかった電車の発車時刻
大学時代、こんなこともあった。部活や飲み会の帰り道、電車に乗るために駅を訪れたが、電光掲示板に記された発車時刻が見えない。しかし、一緒にいた友人に、助けを求められなかった。
こんなとき、私はあたかも「見えている」ように振る舞った。電光掲示板の文字が読み取れないときは、スマホでLINEをチェックしているように見せかけ、乗り換え案内のサイトを調べた。
小さな文字、遠くから手を振ってくれる誰か……。私の視力では認識しづらいものと遭遇したとき、私は「できない自分」「ふつうじゃない存在」になった。
それでも、私は「ふつう」のふりをした。黒板の文字が見えづらくても、友人と一緒に大教室の後ろに座った。「この前、手を振ったのに気づかなかったでしょ」と言われれば、「ごめん、考え事していた」と笑ってごまかした。
「見えづらいんだよね」。たった、その一言が言えなかった。なぜか。
外見が「ふつう」でない以上、せめて言動だけでも周りの人と同じでありたかった。そして、見えづらいことは「弱いこと」と思っていたからだ。周りが苦もなくできることを「できない自分」を認めたくなかった。だから、その姿を人に見せることができなかった。
だけど、見栄(みえ)をはって、できるふりをするのは、疲れることだった。本当の自分を見せられない後ろめたさもあった。

生活に必要でも、車が運転できない
雁屋さんの髪色はミルクティーブラウン、瞳は茶と緑が混ざっているように見える。自分の「色」がとても気に入っているという。でも、「視力がほしい」と何度も口にしている。
「ぶっちゃけ、視力が悪くなければアルビノであることなんて、全く気にならないのに」
そう話す雁屋さんは、移動に車が必要な地方都市に暮らす。弱視の場合、視力が基準に満たないため、運転免許を取れない。だから雁屋さんが車で出かけるときは、いつも乗せてもらう側になる。
「乗せてくれる人と予定を合わせる必要があるし、ちょっとしたお礼も必要になるじゃないですか。自分の都合で、好きなときに出かけたい」
助けてくれる人がいることはうれしいし、ありがたい。だけど、いつもその好意に甘えるわけにもいかない。雁屋さんだって、一人でドライブしながら、考え事をしたい日もあるのかもしれない。

誰かと安心して迷惑をかけあいたい
私が「見えづらい」と、気楽に人に言えるようになったのは、ここ最近のことだ。
何が、私を変えたのか。アルビノのことや自分について、人に話したりエッセーにしたりするようになったことの影響もあるだろう。「ふつう」でない姿をさらけ出すことへの怖さがなくなったのだ。なにより、さりげない配慮してくれる友人たちの存在が大きい。
レストランのメニューを読み上げてくれる友人。笑ってしまうような大きな文字でメールをくれた、本エッセーの担当編集者。当初は「迷惑をかけてごめんなさい」と思っていたけれど、今は相手の気持ちに対して「ありがとう」と素直に思える。
できないことを助けてもらうのは、恥ずべきことでも、自分の弱さでもない。たとえ、迷惑をかけたとしても、関係性によっては、それは信頼の証にもなると思う。
人に迷惑をかけることは必ずしも悪いことではないのかもしれない。私は誰かから迷惑をかけられたい。信頼する人と、安心して迷惑をかけあえる関係になりたい。そんな寛容な気持ちになれたら、もっと優しく、生きやすくなるんじゃないかな。
【連載・#アルビノ女子日記】
他の人と比べ、生まれつき肌や髪が白いアルビノ。「特別な存在」とみなされがちですが、どのような人生を送っているのでしょうか。当事者である神原由佳さんに、等身大の姿をつづってもらいます。不定期連載です。(連載記事一覧はこちら)
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。