連載
#6 ネットのよこみち
ネットの中傷、人を狂わせ救いもする「1滴」コールセンターでの日々
ネット上で投げつけられる誹謗(ひぼう)中傷が議論になっています。ウェブメディアの編集者をしている吉河未布さんは、会社員時代「お客さま対応」で自社の不祥事に向き合っていました。ひっきりなしにかかってくる苦情や批判、相談に帰宅する時間もないほど忙しい日々の中、1本の電話に救われました。10の褒め言葉より1滴の小さな墨の力が強くはたらく世界。同時に、その1滴は救いになることもあります。インターネットなしでは生きられなくなった時代、「誹謗中傷」との向き合い方について考えます。
ウェブメディアに関わる前、新卒で入った会社員時代、最後に携わった仕事が「お客さま対応」だった。
今から12年前の2008年。大きな会社の、とても大きな事件だった。冷凍食品に、毒が混じっていたというものだ。中身は中国で作っていたことから国レベルの問題に発展し、マスコミが連日報道した。上司がカメラの前で頭を下げていた。コーポレート部門にいた私も不眠不休で対応に追われる同僚をサポートするなか、たしか大使館の人が来るというので、慌ててスーツを買いに走ったこともある。みんな、着替えに帰る余裕もない状況だった。
当たり前に口にする商品だっただけに、人々に与えた衝撃と不安は計り知れなかった。会社にはもともとお客さま相談室があるが、とても対応しきれない。それ故、会社は自社の研修施設内に、あっという間に固定電話とパソコンがずらりと並んだサポートセンターを作った。Twitterは当時まだ日本語版がリリースされておらず、寄せられる声は電話とメールが主だった。
対応は、コールセンタースタッフに加え、社員も駆り出された。実際に冷凍食品を手がける子会社は食品事業部の管轄だったが、他の事業部からも人を出し、持ち回りで24時間の体勢をとった。
オフィシャルアナウンスでは受付時間を区切っていたが、その実、泊まり込みで稼働。電話をとる人、その後ろでサポートにつくリーダー、さらに全体を統括するマネジャー、とチームを組み、全員が必死だった。
電話がかかってくるタイミングはおおむね決まっていた。朝のニュース、昼の情報番組、夕方ニュースの後と、夜だ。問い合わせ内容は大きく三つ。
一つめは、購入したものについてはどうしたらいいか。
二つめはお弁当や夕食を作るにあたり、「大丈夫か」という問い合わせ。原材料やどこで作られているかが心配になった人たちから、当該商品以外の冷凍食品についての質問も多かった。
三つめは食べてしまい、心配で病院に行ったり会社を休まなくてはならなくなったりしたが、その補償について。
リーダーに言われたのは、「まず相手の言うことをすべて聞くこと」だった。
どういった心配があるのかを丁寧に聞き、ひとつひとつ答えていく。自分ではすぐには答えられない問いには食品事業部の担当者に代わったり、折り返して連絡すると約束したりした。「調査中です」としか答えられないものも、たくさんあった。
ただし答えることができる問い合わせは、まだよかった。
なかには「当該商品を持っている。今から食べるぞ」といったいささか脅迫めいたものや、「溶けてしまうから、うちまで取りに来るべきだ」といった厳しい意見もある一方で、夜中には「俺、今日、誕生日なんだ」と、緊張の糸を張り巡らせているこちらが拍子抜けをするほど、単純に話し相手をしてほしい男性からの電話もあった。
人は不安がある時ほど、誰かに話を聞いてほしいのか、長電話になることも多かった。
何時間にも及び、終点が見えないお説教の山手線トークも、聞くしかない。「仮定」の話をされるのも“あるある”で、長くなりがちだ。もしあれがこうだったら、どうするのか。将来的にどうするつもりなのか。「仮定」なので、話はどんどん脱線する。
また、「お前じゃ話にならない」と、声を荒らげられることもしばしばだったが、「上の者に代わります」と別のスタッフに代わると、確かに落ち着く人も多いようだった。
東京にも雪が降った夜が明け、朝のニュース番組のCM中にかかってきた電話をとったのは私だった。同じメーカーの他の冷凍食品を持っているが、子供の弁当に入れるのは大丈夫か、と心配したお母さんからの問い合わせだった。一通りのことを説明し終え、大丈夫である旨を伝えた私に、お母さんはこう言った。
あなたも大変なんでしょう。声がかすれているじゃない、寝てないんじゃない? がんばってね。
思いもよらぬ言葉に、声が詰まった。お礼を言い、受話器を置くと、私は号泣した。徹夜で心身ともに弱りきっていたということもあっただろう。決してなめらかとはいえない話し方で、そりゃ電話対応に不慣れな社員であることはバレバレだよなと苦笑いしつつ、私はその時に思ったのだ。
どんなに自分に心配事や不安がある時でも、顔の見えない相手の状態を推察し、思いやれる人になりたい、と。
あの時のお母さんは、私の師である。
時を経てSNS時代に思うのは、ネットが「心配や不安、怒りを正面から受け止めてくれる」システムではないことだ。人と“やり取り”ができるチャットやメールであったとしても、そこは文字の世界。声質、会話の間、抑揚など、書いてある情報以上のものを空間共有するのは難しい。
絵文字やスタンプなど、会話を補完するものも生まれている。チャットでの会話の便利さや楽しさは確かにあるが、一方で、新しいコミュニケーションの試行錯誤が続いてることも、紛れもない事実だ。
相手がまとっている声や雰囲気、環境がそぎ落とされた、「ゼロとイチ」だけの情報。特に、ネガティブな感情は、受け止めてくれる人がいない限りくすぶり続ける。だからこそ延焼し、炎上するのだろう。
もちろん、電話なら人にぶつけられるからいい、という話ではない。前述した「事件」のような大ごとでなくても、企業にも日常的に誹謗中傷は寄せられる。執拗(しつよう)に電話突撃をする「電凸」という言葉もあるくらいで、相談室のスタッフは精神の消耗からうつになりやすいという話を聞いたこともある。
電話にしろネットにしろ、そして対人であろうと対企業であろうと、発端はちゃんと理由がある「批判」であることが多いが、ネット上では、「批判」が大きな渦となって誹謗中傷を呼びこんでいく。
チラシの裏に書いて、教室の後ろで仲間内で回し読みしているだけならいざ知らず、それを「ネット」上に放流し、あまつさえなんとかして本人(本体)に投げつけるのは、もはや犯罪である。
1滴の小さな墨の力が人生を狂わすことがある。同時に、あのお母さんの言葉のように、誰かを救ってくれる1滴もある。
あの日、お母さんはなぜいたわりの言葉をかけてくれたのだろうか。それは子供であろうと苦情を言う相手であろうと、ひとりの人間として対峙(たいじ)してくれたからのではないかと想像している。
日々、進化しているネットのサービスには、もしかしたら、「順応」など永遠にできないかもしれなせい。でもせめて、1滴の怖さと希望を自覚しながらネットと付き合っていけたらと思う。
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