連載
#1 #ウイルス残酷物語
アマビエブームで見逃されたこと 民俗学者が書く「物言う魚」の本質
疫病の記憶を「ブーム」で忘れないために
新型コロナウイルスの流行以降、想像上の存在が、にわかに注目を集めています。SNS上では、妖怪や大仏のイメージが流行。「疫病退散」の願いを込め、その姿を描いて拡散したり、仮想の「仏像」を造るアプリを使ったりする動きが広まりました。とりわけ人気なのが、流行病を予言する三本足の幻獣(げんじゅう)「アマビエ」です。民俗学者・畑中章宏さんは「その姿を消費するだけでなく、決して忘れてはいけない」と警鐘を鳴らします。「予言獣」の起源が示す「災難の象徴」という本質についてつづってもらいました。
民俗学者がなぜ感染症について叙述するのか。民俗学のひとつの方法として「世相史」を編むということがある。代表的な仕事は柳田国男の『明治大正史世相篇』(1931年)だ。
柳田は近過去の流行風俗を、人々の〈感情〉がどのように推移したかという興味から捉えていった。こうした仕事には、人々の記憶があやふやなものであることに対する恐れもあった。私たちは、ほんの少し前に起こった出来事でも、すぐ忘れてしまうのである。
日本で新型コロナウイルスの脅威が差し迫ったものとなってから、すでに3か月は経つ。しかし、これまで経験したことのない事態が次々と起こるため、記憶が追いつかないのではないか。
そこで新型コロナウイルスの時代に〈民俗的感情〉がどのように揺れ動いたかについて顧みたいと思う。
現代社会で危機に直面したとき、まじないや言い伝えのような非科学的・前近代的な方法で対処することは、疎んじられがちである。ましてや死に至る病に立ち向かう際に、妖怪のような存在の手を借りるなど、もってのほかだったはずだ。
しかし、今回の新型コロナウイルスによる感染症拡大においては、民間伝承中のアイコンが喜ばれ、持て囃された。そうした妖怪、あるいは霊獣の中で、最も人気を集めているのは「アマビエ」である。
妖怪に詳しい人以外には知られていなかった、この奇妙な存在がなぜ普及したのか。そのきっかけはツイッターで紹介されたからだった。
今回のウイルス禍でアマビエが最初に現れたのは、2月の末だったようである。とある妖怪掛け軸専門店が、妖怪のなかに「流行り病が出たら、対策のために、私の姿を描いて人々にみせるように」と言ったものがいると、アマビエをアレンジした絵とともにつぶやいたことから“祭り”は始まった。
その後、瞬く間に「#アマビエチャレンジ」というハッシュタグを付けて、アマビエをモチーフにした数多くのイラスト、漫画や動画が投稿されていった。投稿者の中には有名な漫画家やイラストレーターらもいたため、その勢いはすさまじかった。
更に、言わずと知れた妖怪漫画の大家、故・水木しげる氏のプロダクションが、「水木の作品に描かれている」と呼応した。これがアマビエのメジャー化に拍車をかけたのだ。
その後、アマビエは和菓子をはじめ、日本酒・ビール・清涼飲料のキャラクター、キーホルダーやストラップ、マスクなど、様々なアイテムに汎用され続けている。
ここでアマビエについて整理しておくと、この妖怪は江戸時代後期の弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)に、肥後国(現・熊本県)に現れた。
海中に毎夜光る物が出るので役人が行ってみると、アマビエはこう告げて、海中に入った。「私は海中に住むアマビエと申すものである。今年から6ヶ年のあいだ諸国は豊作になる。しかし病が流行するから、早々に私を写して人々に見せよ」
そのようすが江戸まで伝えられ、瓦版に描かれた姿は、長い髪でくちばしを持ち、体には鱗、脚の先は三つに分かれている。
つまりアマビエは、病の流行を「予言」していても、疫病から逃れられる「除災」はアピールしていないのだ。
このため、アマビエ研究の第一人者である長野栄俊氏は、今回のアマビエブームには予言の要素が見られず、「護符」としての特徴だけが拡散したと分析。「それなら、その姿を見たものに『無病長寿』を約束し、諸国に広めることを訴えた『アマビコ』という妖怪の方がふさわしい」と指摘したのである。
しかしアマビコは、アマビエと同じ三本足でも、いくつかの写し絵を見ると、猿のようなルックスでかわいげがない。アマビエ自体が「アマビコ」の誤記だという説もあり、そもそもの性格に対する誤解はあっても、女性的な姿形と「アマエビ」にも似た語感が、これほどまでに愛される要因になっていることは間違いない。
アマビエが、ウイルス流行後の日本人の生活に浸透していく中で、ほかにも再浮上した妖怪たちがいる。その一つが、文政2年(1819年)4月18日、肥前国(現在の長崎県・佐賀県)の浜辺に現れたとされる「神社姫」だ。
2本の角と人の顔を持つ魚のようなもので、「向こう7年は豊作だが、その後にコロリ(コレラ)がはやる。しかし私の写し絵を見ると難を逃れ、長寿を得るだろう」と語ったという。
同じ頃、肥前平戸に現れた「姫魚」も、コレラの流行によって多くの死者が出ること、自分の写し絵を貼れば難を逃れられることを告げた。
甲州市川村(現在の山梨市)の名主喜左衛門が安政5年(1858年)に記した「日記」には、頭が二つある「ヨゲンノトリ」が描かれている。この奇妙な鳥は「去年の12月、加賀国白山に現れ、8月、9月頃、世の人の9割が死ぬ難がある。そこで我らの姿を朝夕に仰いで信心するものは、必ずその難を逃れるであろう」と言った。
人の顔、牛の体を持ち、疫病や戦争を予言する「件(くだん)」は、こうした妖怪の中で最もポピュラーだろう。
たとえば天保の大飢饉の最中には、丹波の国の山中に出現。それを報じた瓦版には、件の絵を貼れば、家内繁盛して厄病を免れると記されている。近代に入っても出現例は多く、第二次世界大戦中も戦争や空襲を予言したとのうわさが流れた。
とはいえ、飲料のパッケージなどに用いられている、アマビエやヨゲンノトリと比べれば、これらの妖怪は認知度も普及度もかなり低い。
既に指摘されているように、アマビエ以外の妖怪たちは、災害を予言するだけではなく、その絵を護符として災害から逃れられるという機能をうたっていた。アマビエに「疫病退散」の効き目があることは、今回のウイルス禍で初めて加わった属性なのだ。
今回のウイルス禍では、こうした民間伝承中の存在とは、また別の次元にある「大仏」も持ち出された。この場合の大仏とは、聖武天皇が建立した東大寺大仏殿(奈良市)の盧舎那仏(るしゃなぶつ)、いわゆる「奈良の大仏」をイメージしたものである。
ここでは、大仏そのものを災難除けのシンボルにするのではなく、大仏を“建立”するという行為そのものに意味が見出される。つまり、天平時代の聖武天皇が、飢饉や災害、内乱が打ち続く世をはかなみ、人々が困難から救われることを祈願して大仏を造営した、という“偉業”に見習おうというのだ。
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「アマビエチャレンジ」や大仏建立は、近年では未曽有の疫災に際し、誰もが手軽に参加して立ち向かおうという、意思表示や表現なのかもしれない。そのとき、アマビエ伝承にも大仏の造営にも、もともとは「除災」の意図がなかったことは問われずにいるのだ。
しかし、伝承は時代に合わせて目的や意味を変えていくことも、また民俗的現実である。
ところで、アマビエを民俗学的にみたとき、「予言する妖怪」という性格とともに、人間以外のものが「人の言葉を話す」という側面を持っている。こうした妖怪・霊獣を、民俗学者の柳田国男は「物言う魚」という範疇(はんちゅう)に入れている。
魚を捕らえて帰る途中、怪しいことが起こって復讐(ふくしゅう)を受ける「おとぼう淵」をはじめ、物言う魚伝承は「魚が水の霊の仮の姿である」という信仰があったことを物語っている。
こうした言い伝えのうち、最もよく知られているのは、八重山諸島で起こった津波をめぐる「ヨナタマ」伝承だろう。それは、次のような内容である(註:原文の内容を要約表記しています)。
この大津波は明和8年3月10日(1771年4月24日)に発生し、1万人以上の死者・行方不明者を出したとされる「八重山地震津波」ではないかと言われている。人語を話す魚の存在は、災害をもたらすものとして恐れられてきたのである。
肥後の海中に現れたアマビエの姿を改めて眺めてみると、かわいらしいというより、どこか奇妙で、まがまがしく見えないだろうか。
水木しげる氏の彩色により、ピンクやグリーンで装ったイメージが流通しているが、瓦版に載ったアマビエを、当時の人はおぞましく感じただろう。そして、災難をもたらす脅威の存在として流布していったように思えるのである。この「物言う魚」は、疫病の原因だったかもしれないのだ。
徐々にではあるが、ウイルス禍が収束に向かいつつある今、「アマビエバブル」がはじけたとき、売れ残った商品がどうなるかを案じてもいる。また新たな民間伝承として広まったアマビエは、厚労省の新型コロナウイルス啓発のアイコンに用いられる形で、「公」にもかすめとられてしまった。
私は、「物言う魚」をただ消費するのではなく、その不気味な姿形を、今回の疫災の経験とともに忘れてはいけないと思うのである。
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