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アマビエ、いち早く描いていた「国民的漫画家」コロナウイルスで注目
「姿を写して人々に見せよ」の真意とは
アマビエとは、江戸時代の弘化3年(1846年)4月中旬頃に、肥後国(熊本県)の海に現れたとされる妖怪です。くちばしのような口に、ウロコに覆われた体、足は3本という、独特の姿も特徴です。
海の中に毎晩のように光るものが出没するため、役人が向かったところ、このアマビエがいたという記録が当時の瓦版に残されています。この先6年間の豊作を予言するとともに、「病気が流行することがあれば、私の姿を絵に描いて人々に見せよ」と告げたとされています。
「病気の流行」というシチュエーションから、新型コロナウイルスの感染拡大の現状を重ね、3月に入りTwitterでは「アマビエ」の絵を投稿する人が続出。ハッシュタグ「#アマビエ」を含むツイートは多い日で3万件を超え、インスタグラムにも合計1千件以上の投稿があります。
アマビエの投稿はイラストだけにとどまらず、動画やぬいぐるみ、ラテアートや3Dモデルも登場。制作した人同士がつながり合う様子も見られ、新型コロナウイルスによって不安な現状を、少しでも楽しく過ごそうという思いが画面から感じられます。
湯本さんによると、「豊凶(豊作と凶作)と流行病を予言する」という点がアマビエの大きな特徴であり、同様の予言をしたとされる「予言獣」は、他にも新聞などで記録されているといいます。
例えば、明治8年の「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)には、凶作を予言した「天日子尊(あまびこそん)」という幻獣の記載があります。家ごとに天日子尊の姿を写したものを貼り、朝夕拝むことで災難を逃れられると告げたとされ、実際に湯沢の村の家々の入り口には、天日子尊の絵が貼ってあったというものです。
猿のような姿をしているという「尼彦(アマビコ)」の他にも、アマビエと同じく肥後国に現れたとされる「アリエ」、半人半牛の「件(くだん)」、人魚のような姿の「神社姫」などの記録が残っています。目撃される場所も海だったり陸だったり、姿もさまざまですが、「予言する」という点で共通しているといいます。
湯本さんは「豊凶と病気をセットで予言したというのが一番ポピュラーですが、そうではない場合もあり、コレラなど具体的な病名を出して予言したというケースもある」と話します。
一方、「アマビエ」が記録されている資料は1件のみ。他にも予言獣がいる中で、ここまでアマビエが注目されているのはどうしてなのでしょうか。
湯本さんは「そもそも20年ほど前までは、他の予言獣の資料があまり調査されることがなかった」と話します。そんな中、妖怪研究家としても知られる「ゲゲゲの鬼太郎」作者の水木しげるさんが、アマビエを紹介したことで広く認知されるようになったといいます。
「類似する他の予言獣の記録を調査することで、一件しか記録のなかった『アマビエ』も少しずつ実態が見えるようになってきました」
湯本さんは、「アマビエ」は「アマビコ(あま彦・天彦)」を知らない人が、情報を書き写すときに『コ』の字を『エ』と転写してしまったものだという説を唱えています。「原本が失われたことで、偶然『アマビエ』の記録が残ったのではないか」と話しています。
今回のアマビエの大流行の大きなポイントとして、「姿を写して人々に見せる」という指示があります。アマビエは「絵を見せること」のみ告げたとされていますが、他の類似する予言獣と照らし合わせると、これによって「病気を避けられる」という意味だととらえることができるといいます。
こういった伝承の背景に、湯本さんは「人知を超えた出来事への畏怖と、庶民の生活状況があった」と話します。
現代で暮らす私たちは、それらが目に見えなくても、感染症が細菌やウイルスで引き起こされることを知っていますし、適切な予防や治療が必要であることも理解しています。しかし、江戸時代の人々にとってはそうではありません。
「江戸時代の人々にとって、凶作や病気というのは自分、あるいは村という共同体を滅ぼしかねない一番重要なものです。しかし科学的・医学的な知識が広がっていませんから、人々は目に見えない何か、自分たちではどうしようもできないものがそうさせていると考え、畏れや信仰みたいなものが出てきます」
そんな彼らを救う信仰の対象として、神社やお寺も根付いていた一方、供物や賽銭といった「差し出すもの」が必要な場面もあります。
「自分自身が食べられるかどうかという状態の人たちからすれば、単に『拝めば救われる』という形になると藁をもすがる思いになりますよね」
そうした庶民の暮らしぶりから、「予言獣の絵を描き、門口に貼って拝む」という信仰が広がっていったと解説します。
ちなみに湯本さんによると、残されている予言獣の絵には大きく分けて「2つのタイプ」があるといいます。ひとつは肉筆で描かれたもの、もうひとつは木版で印刷されたもの。
「予言獣のプリミティブな信仰としては『自分で描いて拝む』というものですが、これに乗じて、何枚も印刷したものを売って儲けようとした人もいるという記録も残っているんです」
明治20年代になると、「くだん(件)」を例外に、徐々に新聞から「予言獣」の記載は消えていきました。湯本さんは「おそらく科学的な考え、医学的な知識が広がっていく中で、廃れていったものだと考えられます」。
しかしそれから100年以上経ち、医学や情報技術が進歩した現代でいま、再び人々が「アマビエ」を描き、願いを込めています。記者が「この状況が興味深いですね」と話すと、湯本さんは「基本的に怪異というのは、時代にしたたかに乗ってくるものなのです」と語ります。
「昔からタヌキは人間をばかすと言いますよね。大入道に化けたという伝承もありますが、明治時代になるとそれまでなかった『汽車に化ける』というパターンも出てくるんです。明治中期に写真が普及すると、心霊写真という怪異も生まれます。なので怪異というのは、時代に応じて社会の変遷にしたたかに入り込んで、綿々と生き残っているのです」
時代の中で変わっていく「妖怪・幻獣」とのかかわり。江戸時代や明治時代では瓦版や新聞で広められた予言獣も、今ではインターネット、そしてSNSを使って人々に知られています。そして今の私たちにとって、アマビエは純粋な信仰というよりも、新型コロナウイルスによって暗い話題が続く社会の中で、遠隔からお互いに励まし合う共通言語のように使われているように感じます。
更に100年後の未来の人々の目には、このアマビエ現象はどう映るのでしょうか。もっと進化した方法で、広がっていくアマビエの姿を想像してみたくなりました。
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