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バンコクの日本食店が苦境 コロナ禍で見つけた“かけがえのない絆”
「私も助けてもらった。恩返しというと偉そうですが…」
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「私も助けてもらった。恩返しというと偉そうですが…」
新型コロナウイルスは、海外で商売をする日本人にも打撃を与えています。そんな中、世界で2番目に多く日本人のいる都市、バンコクで、一つのサイトが生まれました。経営に苦しむ日本食レストランを助けようと、デリバリー情報などを発信するもの。立ち上げたのは、現地に住む日本人起業家たちでした。支援した人たちも自らの事業がコロナで大打撃を受ける中での活動。現地では、困ったときに助け合う連携の輪が生まれていました。(ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
立ち上げたのは、いずれもタイで起業した日本人です。
西田征悟さん(41)は10年ほど前、タイでレシート紙の工場をつくり、コンビニや飲食店などに卸しています。今年3月22日、バンコク首都圏を中心に飲食店の店内営業が禁止され、取引先の日本食料理店が苦しんでいる現状を見た西田さんは、レシート紙の飲食店への無料配布を思いつきました。
日本食レストランの力になる手はないか。そう考えた西田さんが見つけたのが、飲食店情報を集めたサイトをつくるというアイデアです。もともとは、日本人起業家でつくる「WAOJE(World Association of Overseas Japanese Entrepreneurs)」というグループ内からの発案でした。
どう実現するか、悩んでいた時、西田さんが頼ったのが小田原靖さん(51)です。タイの日本人コミュニティーで知らない人はいないという経営者です。米国の大学卒業後、1994年にタイで人材紹介会社「パーソネルコンサルタント」を設立。タイの人材会社で紹介数が最も多い会社に成長させました。
西田さんの頼みに小田原さんは二つ返事でオーケーし、自社のスタッフでサイトを運営することに。政府の規制緩和などに合わせて営業時間などは頻繁に変わるため、連絡を受けながら毎日のようにサイトを更新し続けているといいます。
取材でわかったのは、西田さんも小田原さんも自らの事業が大きなダメージを受けていた、ということです。
西田さんは、大手飲食店などが店内営業を停止していたため、レシート紙の納入は大幅に減り、売り上げはがた落ちしました。
人材紹介会社として「対面」を重視していた小田原さんの会社も、月に1500人ほどあったタイ人の人たちとの面接が4月はゼロ。「苦しい」どころの話ではありません。
そんな中なのに、どうして他の人に手をさしのべるということができるのでしょうか。西田さんは、「私も右も左もわからない中で起業したとき、日本人コミュニティーに助けてもらった。言葉が通じるというだけで心強かった。恩返しというと偉そうですが……」と話します。
外務省の統計によると、バンコクは2019年10月時点で、ロサンゼルス(約6万9千人)に次いで2番目に多い5万5千人の日本人が住む都市です。日本企業の駐在員のほか、現地で起業した人もたくさんいます。
小田原さんは、「日本から遠く離れた欧米とも、すぐ行き来できる中国や韓国とも違う、独自の日本人コミュニティーがあります」と説明します。「文化も全然違うタイで苦労した日本人起業家のつながりは特に強いと思います」。
小田原さんは中国や豪州、ハワイ、ベルリン、サンパウロなど世界に拠点のあるWAOJEの代表を務めています。
記者自身は、海外の日本人コミュニティーに積極的に参加する方ではありませんでした。
留学で米国に1年間住んでいたとき、「日本人はすぐグループをつくって排他的になる」と言われた経験があり、「その土地に溶け込むべきで、日本人ばかりで固まるのは……」と考えてしまいがちでした。
今回の取材で出会った長谷川真也さん(44)も、コロナまでは日本人コミュニティーとそれほど近くなかったといいます。今はバンコク中心部、アソークという場所で居酒屋「ヒナタ」を営んでいますが、以前は、うどんの「丸亀製麺」の社員としてタイに駐在していました。
その時にできたタイの人とのつながりやタイ語を無駄にするのはもったいないという考え、「自分の店を持ってみたい」という考えから、裸一貫、タイで店を立ち上げることにしました。
場所やメニュー、値段を時間をかけてじっくり考え、2019年7月に開店。その際、内装工事や開店手続きは周りの日本人には頼まず、タイの業者と直接やりとりして進めました。「丸亀の時にタイにいて、他の日本人にお願いしなくてもやっていけるという自信もあったし、タイの人に食べてもらう日本食店を目指したかったからタイの人との交渉を大事にした」と長谷川さんは言います。
タイ人にとって日本食はちょっと特別な食事。日本に比べてやや高い値段の日本料理店も少なくありません。でも、長谷川さんは単品が100~200バーツ(1バーツ=約3.3円)で食べられる庶民的な値段を目指しました。
少しずつ客も増え、順調かに見えた今年3月。新型コロナの影響に襲われ、長谷川さんは途方に暮れたといいます。「でも、生き残るためにやることはなんでもした」と、手探りでデリバリーを始めました。
そんなときに固定客になってくれたのが日本人でした。近くのマンションに住む日本人客が毎日のように注文をしてくれました。長谷川さんも、「1人1人のお客さんの顔を見て感謝したい」と自ら何時間も配達に回り、弁当を届けました。「おかげで肌が真っ黒になりました」
長谷川さんはこれまで、「日本人と距離を置く意図はまったくなかったけれど、積極的に日本人コミュニティーに入るというより、現地でタイ人向けに商売するという意識を持っていた」と話します。
でも、今回のコロナ禍で、日本人に対し、言葉が通じ、海外に住みいろいろな問題を乗り越えてきた「同志」のような感覚を持てたといいます。小田原さんたちが運営するレストランのサイトにも登録しました。
取材を通して、自分の商売が今までにないくらい苦しいのに、それでも助け合おうとする姿に、単なる「きれいごと」ではすまない「熱さ」を感じました。
人材紹介会社社長の小田原さんは、「同じ時期に母国から離れてタイにいるのも何かの縁。日本人が連携すれば、タイの経済にとってもプラスになるはずだ」と話します。特設サイトには将来的にタイ人が経営するローカルの飲食店情報を載せる計画もあるとか。
「日本人はいつも集まっている」と言われたことが気になり、海外で日本人同士で集まることに前向きとは言えなかった記者でしたが、本当に困ったときに手をさしのべ合う人たちの姿が、心に刻まれました。
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