連載
#6 #アルビノ女子日記
両親に聞けなかった「私はアルビノ?」 ネットの情報に覚えた安心感
彼女を孤独から救ったのは、インターネットだった
「インターネットのおかげで、私は一人じゃないと思えた」。髪と肌が白いアルビノの神原由佳さん(26)は10代の思い出を、そう振り返ります。偶然目にした、自らの外見にかかわる資料。両親には詳細を聞けず、頼ったのがネットでした。アルビノの子を育てる家族について知り、「自分と同じ見た目の人が他にもいる」と安心できたそうです。悩んでいた当時の自分に届けるつもりで続けているという、Twitterのつぶやきの原点に迫ります。
つぶやくとき、悩んでいる当事者に「大丈夫だよ。楽しく生きているアルビノもいるよ」とのメッセージが、そっと届けばいいなとも思っている。
ある日、SNSで利用できる匿名質問サービス「Peing」に、次のようなメッセージが届いた。自らもアルビノだと名乗る方からだった。
「ずっと1人だけの気がしていました。カンバラさんを見つけ、うれしい気持ちがあります」
私も昔はひとりぼっちな気がしてきたから、気持ちがわかった。少しでも安心してほしいと、「アルビノの人はいっぱいいます。当事者の集まりもあるので、気が向いたら遊びに来て下さいね」と回答した。
私は髪や肌が白く、弱視だ。それはアルビノだから。今の私にとっては、自明のこと。ただ、それを理解できたのは12歳のときだった。
教えてくれたのは医者でもなく、親でもなく、学校の先生でもなく、インターネットだった。
自分の外見が生まれつき「ふつう」とは違うことは、子どものころから強く意識してきた。でも、アルビノという言葉も知らず、自分が病気という認識さえあまりなかった。「生まれつきの性質」くらいに思っていた。ましてや、自分以外にも同じアルビノの人が存在するなんて思いもよらなかった。
小学校の卒業前、学校から「親に渡して」と返却された書類をこっそり見てみると、「白皮症」という言葉が目に飛び込んできた。「もしや、自分は白皮症なのでは…?」
でも、両親に聞くことはできなかった。資料を勝手に見た、後ろめたさがあったのかもしれない。疑問をぶつければ、親に余計な心配をかけてしまう気もした。私は両親に隠れて、「白皮症」とネット検索した。白皮症が、「アルビノ」と呼ばれる遺伝子疾患であることを知った。
アルビノの子を持つ母親が運営しているホームページにも、たどり着いた。髪色が私とそっくりな赤ちゃんの写真。思考がフリーズし、心拍数が上がるのがわかった。
たびたび、そのホームページを訪れるようになった。自分以外のアルビノの人がこの世に存在し、生きているという実感を得られた。そのことに安心した。
もしネットがなかったら、「自分はアルビノである」と知るのは、もっと遅かったと思う。ひょっとしたら、原因がわからず「私のような存在はこの世にたった一人なんだ」と思い込み、孤独に苦しんでいたかもしれない。
「10代の私」に向けてツイートしていると言ったものの、本当は「私はここにいるよ!」と存在証明をしたいだけなのかもしれない。
私は、感じたこと、思ったこと素直につぶやきたいと思っている。でも、思いをはき出したいだけなら、ノートに書き殴ったっていいはず。それなのに、わざわざ不特定多数の人目に触れるTwitterのタイムライン上に言葉を残すというのは、そういうことなんだと思う。
他人のツイートを読むのも大好きだ。タイムライン上には、本音や弱さが文字となって溢れている。直接会ったら弱音を吐かない人でも、不思議とツイートを通し気持ちを吐露している。
以前、友人がTwitterについて、こんなツイートをしていた。
「ツイッターは心のゴミ箱ですが、僕はゴミ漁(あさ)りがかなり好きです。」
私の思いを言語化してくれたような内容だったから、一字一句覚えている。Twitterは生きづらさを抱え、危うさがある人たちのセーフティーネットになっているのかもしれない。
多くの人にとって、Twitterは「心のアジール(避難所)」なんだと思う。私はフォロワーたちとの淡いつながりの中で、弱さを共有したい。
アルビノは、2万人に1人とされる。そんな珍しい疾患の場合、同じ当事者と知り合うのは、なかなか難しい。患者会に通う手段はあるものの、地方なら、そうした団体がないこともある。
そんな当事者や家族にとって、今やSNSはなくてはならないものだ。私もそうだが、プロフィールに疾患名を記している人も多い。仲間を探し、つながることが容易にできる。私もそうだったが「一人ではない」と実感することが、マイノリティにとって大事なのだ。
先日、外見に症状が現れる病気の女子高生と会った。Twitterを通し、私に「会いたい」とメッセージを送ってくれたのだ。盛り上がった話題の一つが、化粧だった。
私はかつて、白い肌に合う色の化粧品が見つからず、メイクを楽しめないでいた。でも、自分にとって使いやすいメイク用品の存在を知り、生活を豊かにする行為として捉え直すことができた。
そんな経緯を彼女に伝えると、「化粧品に関わる仕事がしたい」という夢を教えてくれた。自分よりも若い世代の当事者とつながり、互いの生き方について語らい、励まし合う。こうした出会いが得られるのも、SNSのおかげだ。
最近は、毎日のように新型コロナウイルスに関するニュースが飛び込んでくる。不安が募り、戸惑うことばかり。気分が沈む。Twitter上でも、コロナ関連のつぶやきが増えている。
ただ私の日常は、「あれが美味しかった」とか「嬉しいことがあった」とか「つらかった」とか、素直な気持ちの連続でもある。そうした感情を、私はやっぱりつぶやきたいし、読みたい。
「空気を読め」と怒られるかもしれないが、Twitterは私にとって「心のアジール」なのだ。
これからも、「10代の私」に「26歳になった自分はそれなりに生きているんだね」と思ってもらえるような言葉を、つぶやいていきたい。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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