連載
#5 #アルビノ女子日記
もう「感動」には頼らない アルビノ女子が選んだ「ダメダメ路線」
傷つきながら、情報を発信し続ける理由
髪や肌が白いアルビノの一人として、メディアの取材を受けてきた神原由佳さん(26)。自らの半生を語る際は、あえて「ダメダメ」で弱い姿もさらけ出すようにしているそうです。その原動力は、「誰とでも自然にコミュニケーションを取れる社会にしたい」という気持ち。外見による差別を乗り越え、強く生きる――。そんな「感動ストーリー」に頼らない情報発信を続ける理由について、つづってもらいました。
「最近、ネットニュースとかでよく見るよ」
知り合いからそう言われることが増えた。照れくさいので、いつも「えへへ」とごまかしてしまう。
「承認欲求がまったくない」と言えば嘘になる。せっかく写真が掲載されるなら、少しでも綺麗に写りたい。けれど、承認欲求だけでは、語り続けることはできない。厳しく、理不尽な言葉も浴びなければならないからだ。「ブス」とか「性格に問題がありそう」とか……。
最初にメディアに出たのは、2018年のこと。NHK の福祉情報番組「ハートネットTV」だった。当時、私は大学院生。まさか自分が取材されるなんて! しかも、好きな番組じゃないか! 初めは好奇心が先立った。でも、収録前の取材や打ち合わせを重ねるうちに、ディレクターの本気度が伝わってきた。ミーハー気分は消え去り、私も本気になった。
以来、様々な媒体から取材を受けるように。メディア以外にも、人を「本」に見立て、目の前にいる「読者」(聞き手)に向けて経験を語る「ヒューマンライブラリー」の「本」役も務めている。
思いは、ただ一つ。アルビノや、外見に症状がある人たちが差別にあう「見た目問題」について、一人でも多くの人に知ってもらうことだ。
外見に症状がある当事者の中には、社会への怒りを表明する人もいる。ひどい差別を受けた体験を語り、「社会と闘え」「当事者はもっと声を上げろ」と促す。
彼らが怒るのは当然だ。深く傷つけられてきたのだから。でも、私には、アルビノであるがゆえにひどい差別を受けた経験はない。だから怒りはないし、私がしたいのは闘いじゃない
私の考えは、こうだ。どんな人も社会の中で生きている。それなら社会と敵対するのではなく、相互によい影響を与える関係でありたい。もちろん理不尽な扱いを受けて、凹んだことが私にもある。そんな社会を変えたいとは思う。
そのために私ができることは、アルビノの存在を知ってもらうことだ。見慣れて「こういう人もいるよね」となれば、自然なコミュニケーションができるようになると信じている。見た目に症状がある人が特異な存在でなくなれば、ジロジロ見るなどの差別も少しは減ると思う。
社会に対し怒っている人たちの考え方や、やり方を否定するつもりはない。障害者や性的少数者の歴史を振り返れば、裁判といった「闘争」によって、彼らが存在感を高め、権利を勝ち取ってきた。だから、素直に尊敬する。ひょっとした見た目問題にもそうした闘いは必要かもしれない。
ただし、私には自分なりのやり方がある。どちらのやり方にも正解、不正解はない。違う立場の相手を冷笑するようなことはしたくないし、してほしくないと思う。
メディアで取り上げられる当事者たちは、困難を乗り越えたヒーローのように描かれがちだ。まるで「合格体験記」のように思えることもある。
そうしたエピソードは勇気を与えることができる。しかし、共感できなかったり、リアルに感じられなかったりする人もいるのではないだろうか。過去の私が、まさにそうだった。
テレビや新聞に出ている当事者を見ては「強く、努力ができる人たちだから、今こうして幸せを手に入れることができているのだ」と思っていた。弱くて、頑張りたくても頑張り方がわからなかった私は、彼ら・彼女らと自分を比較しては、ますます自分が嫌いになった。
だから私はサクセスストーリーではなく、積極的に「ダメダメ」な日常や素直な思いを発信していきたい。「なんだ、私と変わんないじゃん」と思ってもらいたいから。
私は中高生時代が最もつらい時期だった。周りにアルビノの人がいなかったし、インターネットもあったが、検索に引っかかるのは医療情報が中心で、知りたいものではなかった。
アルビノの大人はどんな仕事をしているのか、メイクはどうしているのか、結婚や出産は……。分からないことが多すぎて、自分の将来像がどうしても描けなかった。
だから今は、かつての自分がほしかった情報を届けることを意識している。そのような思いで発信したことを、「感動ポルノ」として消費してほしくはない。
自分が書いた記事や、出演した番組を見た人から「感動しました」と言われることがある。少し意地悪かもしれないけれど、よければぜひ「どのように感動したのか」教えてください。
今は「取材バブル」だ。
一つの記事がきっかけとなり、複数のメディアから取材依頼が来ることを、私は「取材バブル」と呼んでいる。
取材で自らの過去を話すことは、何度か経験すると慣れる。だけど、短期間に集中して過去についてアウトプットし続けると、なんとも言えない「消耗感」が襲ってくる。初めはその正体が分からなかった。先日も突然、何か大切なものがなくなってしまったような寂しさが襲ってきた。
この感覚は、なぜ起こるのか。自分で考えたり、人に話したりする中で、一つの仮説に行き着いた。
それは、記憶を頻繁に呼び起こせば呼び起こすほど、大切にしたい記憶を粗末に扱ってしまうからではないのか。
取材では、楽しいエピソードよりも、つらいエピソードを尋ねられることが多い。つらい経験も、今の自分を形作る大切な要素だ。
でも、取材慣れする中で、「いつもの話」として、気軽に語ってしまっている。自分で粗末に扱ってしまうことに胸が痛む。もっと大切に語るようにしたいし、取材者にも丁寧に扱ってほしい。
読者のみなさんに、一つお願いがある。それは「私をアルビノの代表として見ないでほしい」ということだ。
私が語ることは、あくまで個人的な経験に過ぎない。同じアルビノでも、いろんな人がいて、考え方は違う。あくまで、一人のアルビノ当事者の声として、頭に置いておいてもらえるとありがたい。
これまで「社会をより良くしたい」という使命感に駆られ、取材に応じてきた。今は「社会のため」だけでなく、「自分のため」にも活動をしている。わがままにも聞こえるかもしれない。だけど、私も社会の一員なのだから、自分が生きやすい環境にしたい。もちろん、私の価値観を他の人に押し付けたりしないように気をつけたい。
私は、自分自身にも今の社会にも、まだ納得していない。もっと良くすることができると思う。
私は体験や考えを語ったり、書いたりすることが楽しいし、好きだ。これからも、私なりのやり方で、自分が納得できる社会のあり方を見つけていきたいと思う。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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