連載
#37 「見た目問題」どう向き合う?
くちびるが裂けて生まれた私 嫌いな顔が「自分の代名詞」になるまで
顔の変形やマヒ、アザ……。外見に症状がある人たちが学校生活や恋愛、就活で苦労する「見た目問題」。当事者の多くは「こんな顔でなければ……」と考えた経験があります。くちびるや上あごが裂けた状態で生まれた大阪市の小林栄美香(えみか)さん(26)も、かつては自分の顔が大嫌いでした。学校に通えなくなり、リストカットをした過去も。それでも、今は「同じ病気に生まれても大丈夫だよ」と発信し、患者らが交流するNPO法人を立ち上げました。何がきっかけで変わることができたのか。小林さんに尋ねました。(朝日新聞記者・岩井建樹)
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考えます。
小林さんは重度の口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)で生まれました。くちびるや上あごに割れ目があり、鼻の形もありませんでした。また口唇口蓋裂とは別に、両耳は難聴で右耳には耳たぶがなく、心臓には三つの穴。血が止まりにくい難病も抱えています。
「口唇口蓋裂は500人に1人の割合で発症します。珍しい疾患ではありません。それなのに、知っている人は少ない。本当は『ある』のに『ない』ことにされてきた病気だと考えます」
「手術によって割れ目をふさぐことができるので、ぱっと見ではわからない。だから当事者も病気についてあまり口にしません。とはいえ、『ふつう』の顔とも少し違います。手術痕が残り、口元の形が目立つ人もいるので。私が見ると『あの駅員さんも、コンビニの店員さんも同じ病気だな』と気づきます」
治療できるとはいえ、「見た目に悩んでいる当事者が多い」と、小林さんは言います。
「私も悩んできました。『鼻が曲がっている』『あごが出ている』『顔が変』と言われた経験があります。ある当事者は、傷跡が目立たず形がきれいでも、悩んでいました。聞くと『鼻の形が左右で違う』とのこと。女性はとくに外見が評価されることが多いので、悩む傾向があります。周りが気にしていなくても、本人の悩みは深いです」
「当事者は就職活動や恋愛など、うまくいかないことがあると、『口唇口蓋裂のせいで……』と落ち込みがち。そう思うのは仕方ないし、当たり前だと思う。でも、そこで立ち止まっていても前に進めません。うまくいかないのは、本当に口唇口蓋裂が原因なのか。ほかに方法はないのかと考えることが大事です」
「周りにどう思われているか、敏感になる気持ちはわかります。ただ、どう受け止るかは相手側の問題。他人の言動をコントロールはできませんから、悩んでも仕方がない。他人の反応がどうであれ、『自分らしくいられたらいいや』と、私は開き直っています」
こう前向きに語る小林さんですが、過去はつらくて暗いものでした。子どものころは「痛い」という感覚が身近でした。
「手術ばかり受けていました。痛くて、不安で、怖かった。子どもの頃は学校生活よりも手術や治療の思い出のほうが多いんです。病院の帰りに、好きなお菓子や本を買ってもらえるのがうれしかったな」
中学校では人とは違う見た目に悩み、不登校に。校長室で卒業証書を受け取りました。
「顔をからかわれた経験はありますが、ひどいいじめを受けたわけではありません。でも、学校では、同級生たちに『ふつう』の顔を見せつけられるように感じました」
「人と接するのが怖くなり、学校から足が遠のきました。『どうして私は変な口をしているん?』『よりによって、なんで顔の病気なん?』。生まれてこなければよかったと思い、リストカットしました。悩むのは、弱いからだと自分を責めました。今思うと、私を苦しめていたのは、私自身でした」
「誰にも相談できませんでした。親は共働きで家にいる時間が少なく、距離もあった。弱い自分を見せるのは恥ずかしかった。友だちには『どうせわかってもらえない』と勝手に決めつけていました」
通信制の高校に進むと、複雑な事情を抱えた子たちがいました。虐待を受けた経験があったり、補導歴があったり。そうした子たちと気が合い、友人になりました。
「私だけがこんなに悩んでいると思っていたけど、自分だけじゃなかった。みんな、いろんなものを背負って生きていました」
「ある日、手術のため学校を休まないといけなくなったため、仲の良い子に病気を打ち明けました。どんな反応が返ってくるのか不安でした。友人は『めっちゃ頑張ってるんやなぁ。退院したら遊ぼうな!』と励ましてくれました。それがうれしくて。友人が私を受け入れてくれるんだから、私も自らを肯定しようと思いました」
「見た目の悩みは続いていました。病気を意識しない日がなかった。自分の顔を鏡で見るのも嫌。『ふつう』の顔の友人がやっぱりうらやましかった」
顔への嫌悪感を和らげてくれたのが、メイクでした。
「夜な夜なメイク研究をしました。ノーズシャドウを入れて鼻が高く見えるようにします。ゆがみがある口元に視線がいかないように、目をぱっちりさせ、口紅は薄めに。髪の毛で、あごの変形を隠します。あれこれ工夫するうちに、口唇口蓋裂でもメイクを楽しんでいいんだと思えるように。メイクのおかげで、顔へのコンプレックスも少しやわらぎました」
微妙だった親との関係も改善します。きっかけは、気持ちをぶつけたことでした。
「高校3年のとき、1年間で3回も手術を受けました。貴重な青春の時間を奪われたようで、両親に『手術なんてもう嫌だ』と泣き叫びました。そんな私を見て、両親も泣きました」
「それまでは親との温度差を感じていたんです。顔について自分はこんなに悩んでいるのに、親は軽くとらえていると。そうした思いをはき出すと、両親は『そうじゃない。あえて明るく振る舞っていただけや』と語ってくれました。互いの本音を知り、家族の結びつきが強くなるように感じました」
高校を卒業。長く続いていた治療は、20歳のときに落ち着きました。その翌年の2015年、自らの体験をつづったブログ「私、重度の口唇口蓋裂です。」を立ち上げます。
「自分だけしかできないことを考え、闘病記を書こうと思いました。それまで口唇口蓋裂についてのネット情報はネガティブなものばかり。『楽しく生きている当事者もいますよ』と伝えたかった」
「ブログを始めると、応援メッセージもありましたが、『ポジティブの押しつけ』といった批判や中傷も受けました。私がメディアで『隠さなくてもいい病気』と発言したところ、ある当事者から『わざわざ周りに言う必要もない』と言われたときは、とても考えさせられました。言いたくない人は言わなくてもいいです。ただ、口唇口蓋裂がありふれた病気であることを知ってもらえるだけでも、親や当事者が悲観することも少なくなると考えます」
ブログの読者から「交流会をつくってくれませんか」と声をかけられ、小林さんは2015年に、当事者や家族が集う患者会「笑みだち会」を立ち上げました。これまでに15回開催し、約420人が集い、互いの悩みを共有しました。今年1月にはNPO法人化。交流会を全国で開きたいと意気込みます。
「私の名前「えみか」と「友だち」をかけて、『笑みだち会』です。当事者が笑顔で生きられる社会になってほしいとの思いが込められています」
口唇口蓋裂とともに生きる小林さんですが、恋愛だけは苦手意識があります。
「高校の時に、告白されたことがあります。でも病気について伝えたら『可哀想やな』と言われて振られました。『好きって言ってきたのは、あんたやん!?』。苦い記憶です」
「恋愛や結婚、出産は『女の幸せ』という価値観が私の中にあります。病気を隠して付き合うのは私にはできません。病気と私は一体なので、パートナーには理解してほしい。よい人と出会えたらいいなと思っています」
小林さんにとって、口唇口蓋裂とは何ですか? そう尋ねると、小林さんは少し考え込んだあと、きっぱりと答えました。
「小林栄美香の代名詞です。ずっと口唇口蓋裂でなければと思っていたし、自分のことが嫌いでした。でも、今は口唇口蓋裂でなければ、私でないとさえ思っています。確かに口唇口蓋裂のせいで、つらい思いをしたけど、そのおかげで今があります」
「まだ自分のことを『大好きだ』とまでは言えないけど、嫌いではないかな。好き寄りの普通です」
「口唇口蓋裂は不幸じゃないと胸を張って伝えられるような、楽しい人生にしていきたいと考えています。私はメイクに救われたので、心理療法を用いたメイクセラピーなど美容にかかわる仕事をするのが夢です」
「笑みだち会」とは
— NPO法人 笑みだち会 (@npo_emidachikai) February 3, 2020
通院する病院と関係なく口唇口蓋裂に関わる人々が集い交流する患者会です。
2015年に立ち上げた当団体は大阪を中心に年に数回集まり情報を共有し同じ病気を持つ人同士が笑顔になれるような活動をしています。
特に当事者の集まりは珍しく大変喜ばれています。 pic.twitter.com/T3Gi9ogD7P
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