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アフロから天皇制まで、稲垣えみ子さんの「自分のさらけ出し方」
稲垣えみ子さんは、新聞記者時代にもじゃもじゃのアフロヘアとなり、コラムでは髪形から政治の話まで自分の意見を発信し、ネット上で話題を集めました。誰もがSNSで自分のことを発信できる時代、ネット上の発言が思わぬ影響を及ぼすことも少なくありません。50歳で朝日新聞を退社した後は、「自分のこと以外ネタがない」の語る稲垣さん。今の時代に「書くこと」「自分をさらけ出すこと」について、聞きました。
――新聞記者ってなかなか「自分」を主語にして記事を書くことがありませんよね。
新聞って「客観報道」といわれますよね。誰が書こうが同じ記事であることが大事で、そういう〝事実〟を書く。「私はこう思います」なんて余計なもの、自分を出すというのは「邪道」という時代に、私は新聞記者として育ちました。
――自分が地方にいた2000年ごろから、署名記事が出はじめていましたが、ただ名前がついているだけで誰が書いても同じ記事という感じでした。
ずっとそれが窮屈だと思っていたんですけど、今振り返ると、「客観報道」の訓練を経験したことは宝だったと思うんですよね。「自分はこう思う」と「客観的にこうだ」というのは分けなきゃいけない。それを意識できるようになったのは新聞社のおかげだと。
――最初から自分を出さなかったから、客観も意識できたと?
それもありますが、客観って簡単じゃないんですよね。さっき〝事実〟と言いましたが、結局、事実って警察や役所の「発表」で、本当に事実かどうか確かめることができなかったりする。当局が組織を守るためにうそをつくこともある。事実って単純ではない、つかみどころがないと気づけたことも財産でした。
――稲垣さんが「主語を出そう」と思ったきっかけは?
出そうと思ったというより、端的にいうと「ザ・コラム」というコラムの担当になったからです。でもその前に社説を書く部署にいて「会社」が主語になる文章を書くことにすごく苦労していたので、自分を主語にできるっていうのはちょっと嬉しかったですね。
――コラムは社説とは全然違う?
コラムを書くときは自分で責任を持てばいいんですよ。でも、社説では全くそうはいかない。いい加減なことを書いたら会社の顔に泥を塗ることになるわけで、生きた心地のしない毎日だったんです。だから、自分の意見を書くというのはすごく気楽でした。
――そこで、アフロという自分の髪形について書いたコラムが評判を呼んだんですね。
――「アフロ」で注目された後、2本目をまた「アフロ」で書かなかったのはなぜですか?
あることで評価された時、全然違うことをやると、幅が広がっただけで「おー」というか、「こう来た?」と評価されることがあるじゃないですか。2本目は「天皇制」をテーマにしました。
――あえて、だったんですね。
あ、もちろんそういう効果を狙ったところもないわけじゃないんですけど、真面目なところをいうと、自分がそんな苦しい状態にあってぐらぐらしていたときに、前の皇后が詠んだ歌の本を読んだんです。その歌には戦争の話が繰り返し出てきて、その真剣さや迫力がもう全く予想できなかったレベルで、頭を殴られるくらいすごかったんですね。自分がいかに何も考えずにちゃらちゃらとこの問題を考えてきたか、っていうか何も考えてこなかったのか、胸に手を当てて考えずにはいられなかった。で、この本を絶対に紹介しないといけないという思いがありました。
――1本目と2本目につながるテーマはあったのですか?
そうですね。やっぱり当時の私にとっての最大のテーマは、大誤報をして読者の信頼を裏切った新聞社の一員として自分が何をすべきかっていうことだったんです。なのでアフロも天皇制もどちらも、そのことに対する自分なりの答えみたいなものを書いたつもりです。
――今はどのようなテーマを取材していますか?
今、私は何かを取材して書いているわけじゃないんですよ。組織に属さない人間が取材するって、現実にはほとんど不可能なんですよね。例えば大阪に出張して、それに見合う原稿料を稼ぐことなんてできないんです。
今書いているのは全く自分のことですね。自分に取材して自分を書いている感じ。今の大きなテーマは「老後」です。自分の後半生をどう生き抜いていくかが、書くにせよ書かないにせよ私には大テーマなので、その試行錯誤を世の中の人と共有できたらいいなと。
――スマホでのニュースの読まれ方を意識しているwithnewsでは、記者の「個」を出すように編集を心がけています。ネットで「個」を出す際に気をつけるべきことはありますか?
そもそもネットについていけているとは言えない人間なので、私ごときが何かいうのもおこがましいんですが、個人的にブログなどを読んでいて戸惑うのは、どこに食いついたらいいのか分からないような文章。ネットであれ紙であれ、人に読んでもらおうと思ったら「日記」じゃダメだと思うんです。
私自身は、文章を書くのはサービス業だと思っています。それは記者として商業紙に書いてきたおかげだと思っているんですが、読む人のことを考えて、ここに笑いを入れようとか、ここで一発転換しよう、とか。かといって、事実じゃないこと盛ってしまうのも違うと思うんですよね。盛るって、結局誰かの真似だったり、自分の狭い頭の中での想像でしかない。そんなことより事実の方がよっぽどすごいから、盛ってしまったら面白くない。
――書く際の強い動機って怒りに近くて、「いいこと」と本人が思って発信していることが、違う影響を与えてしまうこともありますよね。なるべくパッションを大事にしながら、記事をチェックする「デスク役」を自分の中で作るために必要な心構えはありますか?
新聞記事ってデスクを通らないと載らないんですよね。記者にとっては絶対的な存在であり、関門。私も散々苦しめられました。逆に、自分がデスクになったら楽しかったですねー。私は8年やったんですが、大好きでした。優秀な記者がネタやデータをとってきたのを、鵜飼いになったつもりでゲーゲー吐かせて、記事に仕立てる(笑)。
――今はデスクがいませんよね。
自分が書いたものがスルーで世の中に出て行くっていうのは、実際やってみるとなかなか怖いものがあります。踏み込んだことを書いた時に、「誤解を生むかも」といった助言を欲しい時もある。そう考えると、デスクって愛だったのかもしれないと今となっては思います。
――人為的には「デスク役」はつくれますか?
「自分がデスク」という思いでやるしかないですね。自分の言いたいことを伝えるために、この書き方でいいのかどうか。読まされる側として見てみるだけで違うと思います。
――組織から飛び出して個人で発信することになって、変化はありますか?
今は個人の時代だなという気がします。ひとりの力って無限で、組織の中にいても、昔だったら出世して何かを動かすことが近道だったんでしょうが、これだけ変化の激しい時代になると、偉くなって何かを動かすより、ひとりでゲリラ戦をする方が動きやすい。
そして自分のやることって、明日からでも、1秒後からでもできます。失敗したら撤退できるし、「もう一回やろう」も「次はこうやってみよう」もあり。結果も自分で引き受けられます。
――個の時代をちゃんと生かすには、「責任」というのが大きいですね。成果が帰ってくる一方で、責任も発生すると思えば、自分を客観的にみる「デスク役」も自ずと生まれてくるのかなと思います。
会社を辞めて、書いたり、書く以外のことをしたりしていると、完全に「ひとり」です。次に仕事がくるかどうかなんて全く分かりません。今やっている仕事しか、次につながらない。それがすべて。そしてそれが責任ですよね。
――個人として仕事をする上で気をつけていることは?
一発、荒稼ぎして、でもいろんな人を傷つけたら、その時はいいけど、最終的には誰もいなくなってしまう。やりたい方向にやっていくなら、今の仕事が次につながる、それが責任っていうんだなと思いました。書く内容だけじゃなく、一緒に仕事する人とのやりとりも、仕事の質に影響してくる気がしています。
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