連載
#11 クジラと私
捕鯨は結局、文化なの? GHQが許した歴史、TVドラマによる神格化
捕鯨の取材を進めると、いろいろと新しい疑問が生まれてきます。なぜクジラを特別視する人たちがいるのか。鯨肉があまり食べられていないのにどうして日本には「捕鯨支持」の世論が強いのか。飽食の時代に捕鯨にどんな価値があるのか――。文化人類学者の岸上伸啓・国立民族学博物館教授に話を聞きました。
――人類とクジラの関わりはどこまでさかのぼれるのでしょうか。
「例えば石川県にある縄文時代の真脇遺跡からは5千年ほど前にカマイルカやマイルカなどクジラの一種を捕って儀礼で送った跡が出ています。青森県や長崎県の縄文時代の遺跡からもクジラを利用した跡が出ている。いろいろな説がありますが、北欧でも5千年ほど前からクジラを捕っていた可能性があります」
「それが長いというか短いというかはわかりませんが、人類の歴史の少なくとも数千年の間、クジラを見てあがめるだけではなく、捕って利用したり、流れ着いたクジラを利用したりすることがあったということです」
――捕鯨は日本の文化なのかという議論もあります。
「『日本の文化』であるというのは正確ではありませんが、『日本の地方文化』というなら間違いありません。江戸時代までさかのぼれば、少なくとも数カ所の地域ではクジラを捕って、食料や肥料、虫除けや灯りとりなどに使われてきました」
「日本人が津々浦々クジラを食べるというのは第2次世界大戦後の食糧難のときからです。たんぱく質が少ないからと、GHQが南氷洋にクジラを捕りに行くことを許します。それが学校給食や労働者の食として全国的に広まりました」
「一方で文化かどうかというのは考え方の問題でもあります。歴史的にみれば縄文時代から現代まで日本の文化は常に変わってきています。『大和魂が未来永劫続く』というような固定化した文化観というのは間違いです。逆に言えば、いま行われていることが10年後に伝統になっているかもしれません。文化やアイデンティティーをどう考えるかで答えは変わってきます」
――近年は自然保護の象徴のように扱われることもあります。
「1800年代半ばに(大砲で銛を撃ち込む)ノルウェー式捕鯨が開発され、1900年代に多くの国が南氷洋で捕鯨を始めます。ところが、その後アメリカやイギリス、オランダやオーストラリアなど主要な捕鯨国が撤退し、残ったのは日本やソ連など一部だけになりました。さらに、1972年にストックホルムで開かれた国連人間環境会議で商業捕鯨の一時停止が決議されて以降、クジラが守るべき環境や自然の象徴として扱われるようになります」
「この経緯についてはマスメディアの役割が大きかったといわれています。特に大きかったのが米テレビドラマの『わんぱくフリッパー』です。少年とイルカの心の交流を描いた番組で、日本でも放映されたので私も子どもの頃にみました。そのほかにも様々なドキュメンタリーや映画がバックアップする形で、非常に知能が高く、社会的な集団をつくり、体が大きいというイメージが人々のなかにつくられました。結果として『自然のシンボルで、神のように崇高だ』と考える、いわばクジラの『神格化』が進みました」
「ただしこれは、さまざまなクジラの特徴の『いいとこ取り』でもあります。そんな全ての特徴を持ち合わせたクジラを、国内外の研究者が『スーパーホエール』や『メディアホエール』と呼んで分析しています」
――かたや日本では捕鯨支持の世論が大勢とされています。
「たしかにあれだけ紛糾する国会でも、捕鯨となると与野党を問わず多くの議員が支持というのは面白い政治的現象です。理由についてはいくつか説があるのですが、海外からの干渉がよく指摘されます」
「外国から『そんなことをするな』『おまえたちのやっていることはおかしい』と言われたことで、自分たちの主権やアイデンティティーに対する脅威だと感じ、異様なまでに反発したという考えです」
――「反反捕鯨」という言葉も聞きます。
「まさにそれです。積極的に賛成するわけではないけれど、外からあんまり言われるとそれに対して反発するという構図です」
「別の観点では、捕鯨や鯨食に対する『無関心』があるかもしれません。日本人1人当たりの鯨肉消費量は年間50グラム以下ともいわれます。自分は食べないし、積極的な関心もないけども、もし昔から捕って食べていたなら反対する理由もない。あまり深い知識を持たずにそういうふうに考える人も多いかもしれません。無関心ということでいえば、私自身もこの間の共同研究に対して社会の関心があまり集まらず、日本社会は捕鯨問題に冷淡だなと感じています」
――岸上さんが捕鯨の研究を始めた経緯を教えてください。
「カナダやアメリカの先住民イヌイットの研究をしてきました。もともとクジラが専門だったわけではないのですが、アメリカ・アラスカ州に行ったときにたまたまクジラ猟が始まりました。2006年9月のことです。クジラの解体を目の当たりにしたことで興味を持ちました」
「それから2013年まで計13回くらい現地に通い、クジラのお祭りに参加したり、解体作業に参加したり、場合によっては捕鯨の船に乗ったりして、調査をしました。テーマはクジラ猟で得た肉などをどのように分配しあうかという『食物分配』でした」
「見えてきたのは、捕鯨が人々の生活の根幹、アイデンティティーに深く関わっているということ。単なる狩猟活動というだけではなく、そのために着物をつくったり、食料を調達したり、お祭りをおこなったりと、社会全体を巻き込む活動でした。地元の小学校や中学校で『将来何になりたい』と聞くと、男の子はみんな『捕鯨キャプテンになりたい』というのも印象的でした」
「さらに最近は先住民の捕鯨だけではなく、日本の捕鯨や欧州の捕鯨政策の専門家、哲学者やクジラの保護を訴えるNGOの人も一緒になって、クジラに関する共同研究会を立ち上げて議論を続けてきました」
――食料が限られた時代や地域ならまだしも、いまはさまざまな食材にあふれた「飽食の時代」です。それでも捕鯨に意味はあるのでしょうか。
「文化の多様性を維持する、ということでしょうか。なぜ多様性が大事かというと、それは時代が変わればいま有効なものが機能しなくなるかもしれないからです。いま食べているものが食べられなくなるかもしれない。逆にいまは食べていないものが大事な食べ物になるかもしれない。そういう意味で、クジラを捕って食べるという生業技術は、間違いなく人類の遺産であるといえるでしょう」
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