「包茎は悪いことですか?」。僧侶の稲田ズイキさん(27)には、自身のツイッターアカウントで、そんなダイレクトメッセージ(DM)を受け取った経験があります。「キリスト新聞社」(東京都新宿区)社長の松谷信司さん(42)も、漫画の趣味や進路相談までされることがあるそうです。宗教とは関係ない、一瞬、たじろいでしまうような質問。実は、こうした苦悩に向き合うことにこそ、宗教者が考えるべき「救いの本質」が見いだせるのだと、二人は語ります。一人の人間として、誰かの悲しみに寄り添う上で、必要なこととは? 現代における伝統宗教の役割について、二人の対談から考えます。(構成・編集=withnews編集部・神戸郁人)
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今回対談したのは、僧侶の稲田ズイキさん(27)と、キリスト教徒で、教会についてのニュース媒体を発行する「キリスト新聞社」(東京都新宿区)社長・松谷信司さん(42)です。それぞれ、宗教に関する斬新な語り口が注目されています。
稲田さんは、「月仲山称名寺(げっちゅうざんしょうみょうじ)」(京都府久御山町)の副住職です。大学卒業後は、デジタルマーケティング会社勤務を経て、ライターとしても活動。仏教カルチャーを伝えるメディア
「フリースタイルな僧侶たち」のWeb版編集長を務めたり、人気アーティストの歌詞を仏教的視点から解釈したりと、独自性の高い取り組みを続けてきました。
一方の松谷さんは、これまでに聖書がテーマのカードゲーム
「バイブルハンター」や、各教派を擬人化した漫画
「ピューリたん」を発案・製作。キリスト教と社会との、新たな接点をつくっています。
対談では、稲田さんが送る「家出生活」が話題になりました。所属する寺を離れ、他人の家を転々としながら、自分の生き方を見つめ直すのが目的といいます。僧侶でありながら「自分探し」を続ける稲田さんの姿に触れ、松谷さんは、キリスト教徒が直面する現実について話し始めました。
松谷さん:宗教者ではなく、一人の人間として、自分の生き方を考える。その大切さは、キリスト教においても同じだと思っています。
以前、教会を出て人々と交わる若手牧師を取材しました。彼に聞いた話なんですが、ツイッターのプロフィールに「牧師」と書いているだけで、DMが質問が届くようになったそうです。牧師はどうやって生計を立てているのか、何を考えているのか……。文面を読むと、そんな問いがあふれていた、と教えてくれました。本当は、みんな知りたがっているんですよね。
稲田さん:牧師とはいかなる存在で、その生き方を選んだ人間が何者なのか知りたい、ということですね。
松谷さん:そうなんです。僕たちに興味を持ってくれる人たちって、案外少なくない。一方で彼ら・彼女らのニーズは、キリスト教信者になることとは、全く違います。突き詰めていくと、現代的な宗教の役割が見えてきます。
会社や学校で悩んでいても、相談相手がいない。苦しむ人の逃げ場所として、教会やお寺が、話を聞いてくれる人として、僧侶や牧師がいる。そう考えれば、人々の悲しみの受け皿になることは、出来るのではないでしょうか。
稲田さん:なるほど。自分が信じてきた価値観が破綻(はたん)することは、往々にしてある。それを補う機能を、宗教が担うことは可能ですね。
松谷さん:以前、アイドル文化に詳しい評論家の濱野智史さんに、インタビューしたことがあります。そのとき、こんなことをお話しされていました。
「ドルオタ(アイドルオタク)界隈(かいわい)は宗教コミュニティーと似ている。違うのは、アイドルが『卒業』すること。崇拝対象がいなくなると、ファンは気持ちの行き場を無くしてしまう」。その点、ブッダやキリストが引退することはありませんよね。
生きていると、誰かに評価されることがあります。テストの点数を他人と比べられたり、年収や子どもの有無などで、存在価値を値踏みされたりする場面は、少なくありません。
しかし宗教的価値観は、点数や物量では計れず、普遍的です。そうしたものを大事にする、ちょっと変わった人間が、俗世と全く違う「世界線」で生きている。そんな状況に救われる人たちもいるかもしれません。
キリスト新聞社が発行している雑誌「Ministry」と新聞「KiriShin」
稲田さん:確かに。現代人は、信じる対象を選べるじゃないですか。それって、実はすごく不安定な状況なんですよね。自由に振る舞えるからこそ、生き方に迷いやすい。そうした中、伝統宗教の価値体系を、パッケージとして明け渡すことには、意義があると思います。
同時に、僧侶や牧師は揺れ続けないといけない、とも感じますね。不変である宗教の教えと、自分なりの生き方を求める、人間らしさの間で。
松谷さん:「この考え方が正しい答えだ」と断言されてしまうと、やはり近づきづらい。一緒に悩み、迷ってくれる人にこそ、悩みを打ち明けたくなるものですよね。
松谷さん:最近、キリスト教系の学校から頼まれて、講演する機会がよくあります。終了後、僕の匿名質問箱(Peing)に、出席した生徒から質問が来るんですよ。好きな漫画のキャラクターを問うものから進路相談まで、内容は様々です。
昔だったら、考えられないコミュニケーションですよね。そういう形で投げかけられる疑問に答えるのも、宗教者の役割かなと思っています。
稲田さん:僕も性体験が無い人から、「包茎は悪いことですか?」という趣旨のDMを受け取ったことがあります。僕自身、最近まで童貞だったことを、ネット上で公言していたんです。そうした情報に触れ、信頼してくれたんでしょうね。
稲田さん:本気なんですよ! ものすごい長文で書かれていましたから。更に別の人からも、同じような悩みが寄せられたんです。そのため「一緒に銭湯に行きましょう」と伝えたり、お酒を飲みながら話を聞いたりしました。
そうやって引き寄せられた悩みと向き合うのも、宗教者的な生き方だと感じています。
松谷さん:「会いに行けるお坊さん」ですね! その自己開示は、ムチャクチャ大事だと思います。お経に関する、ありがたい内容をツイートしているだけでは、誰も近づいてこない。
稲田さん:一方で「みだらな話をしてはいけない」といった、宗教的戒律も存在するわけじゃないですか。でも、個人的には違和感があるんです。その点について、貧困者の支援活動を行う、ある神父の方が、こんなことをおっしゃっていました。
「自分が属している宗教の戒律などを気にしながら関わることは、その人をおちょくることでもある」と。
松谷さん:聖書にも、かつて律法に定められた(仕事をしてはいけない)「安息日」に、イエス・キリストが病人を癒やして周囲からたたかれる……というエピソードがあります。そこでイエスは「人の命と、律法・戒律を愛するのと、どっちが大事なんですか」と反論した。
2018年春に話題となった、大相撲春巡業中の出来事とも重なりますよね。女人禁制の土俵で倒れた市長を、女性が救命しようとして、降りるよう促された話です。人命がかかっているんだから、土俵に上がっても良いに決まっている。聖書の物語と、構図がすごく似ています。
稲田さん:よく分かります……! 人に言いづらい悩みを打ち明けてもらえるのは、宗教者としての強みです。相談者の思いに応えるのが、社会的役割を果たすこと、とも言えます。
その上で、自分が望む生き方をしていると、共鳴する人々が集まって来てくれます。いわば「バイブス」が合う人同士で、それぞれが信じている「物語」を共有出来る。今求められているのは、そういう存在なのではないでしょうか。