連載
#36 #父親のモヤモヤ
早朝出社し印刷「大して仕事も…」産休後の同僚の本音、今なら分かる
仕事と育児家事に向きあう父親の葛藤を書く「#父親のモヤモヤ」の企画がきっかけになり、1日に東京都内で開かれたシンポジウムにパネリストとして参加しました。内閣府主催で、国内外のメディアなどで働く女性たちが集まるイベントのパネルディスカッション。テーマは「女性記者の活躍と未来」です。
私自身は6カ月の育児休業を取得し、仕事と育児家事と向きあうなかで抱いたモヤモヤの正体を探るべく、言語化に挑んでいる最中。「大勢の前で何かをしゃべるなんて……」とお話をいただいたときには一瞬ひるんだのですが、「企画を続けるなかで生まれた縁」ととらえ、ありがたく引き受けることにしました。
参加してみると、なぜ、私がいまこのテーマにこだわっているのか、自分自身の思いに改めて気付くきっかけにもなりました。
【平成のモヤモヤを書籍化!】
結婚、仕事、単身、子育て、食などをテーマに、「昭和」の慣習・制度と新たな価値観の狭間を生きる、平成時代の家族の姿を追ったシリーズ「平成家族」が書籍になりました。橋田寿賀子さんの特別インタビューも収録。
シンポジウムは「女性記者に焦点を当て、各国のメディア業界における女性のさらなる活躍についてともに考える」というものです。
パネルディスカッションのモデレーターは、ジャーナリズム論が専門で、「メディア不信」(岩波新書)「〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム」(岩波書店)などの著書がある林香里・東京大学大学院教授。パネリストはフリージャーナリストの治部れんげさん、NHK国際部記者の久米井彩子さん、シンガポールでストレーツ・タイムズ紙の国際担当論説部長をしているクエック・エン・ラン・オードリーさん、ベトナムでベトナム女性新聞の経済ニュース副部長をしているトゥイ・グエン・トゥーさん、それに私を加えた5人。
冒頭、林さんから、イベント参加する各国の記者らを対象にしたアンケートの結果が紹介されました。「採用時」の男女の違いについて「ある」と答えた人は21%、「ない」と答えた人は76%。一方、入社し、時間を経て「昇進時」の男女の違いについては、「ある」と答えた人が35%、「ない」と答えた人が65%。昇進になると男女差を感じる人が増える様子がうかがえます。
久米井さんは、NHKをいったん退職後、出産を経て、再入局したという経歴を持っています。雇用の男女平等はあっても、どこでもいつでも駆けつけられる人が優先されがちになる、という現状を指摘しました。私も「人事評価が組織への貢献度でみられがちなのが現状。そうなると、長い時間働ける人が有利になり、育児家事を負うことが多い女性は不利になるかもしれない」と話しました。
女性の仕事の継続やキャリアを難しくしている現状について、「家事や育児、介護などのケアを負うことが多いため」と説明したのは治部さんです。ただ、「男性もケアの世界に入ってくるとこの様相も変わってくるのではないか」と付け加えました。
トゥイさんは女性新聞という特殊性もあるとしたうえで、自身の職場で女性の社員が50%、女性の管理職が60%という状況を紹介しました。記者、編集者はジェンダートレーニングを受けることになっているそうです。オードリーさんは「国の制度が大切。ただそれだけでは足りず、やはり家族など周囲の支援があってできている」と話しました。
パネリストが手がけてきた記事の紹介もあり、その後のテーマは、こうした記事を通すデスクなど管理職に、女性が増える意味に移りました。
冒頭の各国の記者らに対するアンケートでは、所属する組織の女性管理職の割合が、海外では30%以上が大半なのに対し、日本では30%以下が8割以上だったそうです。
女性の管理職が増えれば、報道、ひいては社会への影響も変わるのか? パネリストの意見はみな、変わるという肯定的なものでした。
私自身は、例えば紙面を決める立場に女性が増えることで、1面などの総合面が政治、経済、国際などのニュースに偏りがちななか、育児、家事、介護など生活にかかわるニュースがもっとこうした面に出てくるのでは、という期待があり、そのことについて話しました。
もちろん、女性だから単純に増えるということではないと思いますが、育児、家事、介護などの「ケア」は圧倒的に女性に負わされている現状を考えれば、もっとそうした声や政策への共感なり問題意識なりにもとづいた紙面になるのでは、と以前から思っていました。育児家事をやり始めた最近は、さらにその思いは強くなっています。
ただし、自戒を込めていえば、「男性」「女性」と属性で単純化した論理展開には少し注意が必要かもしれないとも思います。本来、男性であれ、女性であれ、異なる立場の人に想像力を働かせ、声を拾い、問題提起していくのは記者として不可欠な要素です。その点にも言及しました。
一方、治部さんからは「日本の状態は男性も、女性もとか言っている状態ではなく、あまりにも女性の頭数が少なすぎると思う。メディア業界はとりわけ少なく、内面の問題という段階ではない。もっといないと、さすがにおかしい」「この議論を日本ですると、必ず『いやいや男性も』という話になるが、そうやって現状の認識ができないことが、まだまだ日本でこの話題がタブーになっていることの証」と指摘されました。この点については、考えさせられました。
質問もいくつかいただき、約1時間半のパネルディスカッションが終了しました。
今回のパネルディスカッションを通じ、まだ私が子育てをする前にあった、同僚の女性記者をめぐる2つのエピソードを思い出しました。
ひとつは、私が取材のまとめ役をしていたときのこと。当時、職場の定例会議の開始時間は18時でした。前例踏襲で、当たり前のようにその時間から始まっていました。「取材優先」が合言葉なのが新聞社の職場。日中はそれぞれ散り散りに取材に出かけていて、そこから帰ってきて、みんなが集まりやすいのがその時間帯。比較的そんな認識で一致していたように思います。
あるとき、出産後に復職した女性記者から声をかけられ、「おかしいと思わないのか?」と指摘されました。保育園に迎えに行かなければいけない記者は当然、参加できません。「私たちがはじめからいなくていい、無用の存在と言っているに等しい、と気付いてほしい」。開始時間をその後、16時に変更しました。
もう一つのエピソードは、パネルディスカッションでも少し紹介しました。
やはり出産後、復職した女性記者から、こんなことを言われました。いつも子どもを保育園に送り届けた後の早朝、職場に着いたら、誰もいないところを見計らって、必要な資料を一気にまとめて印字する。あとは自席で目立たないように仕事をしている。
「大して原稿も書いていないのに、何にプリンターを使うことがあるのか、と思われているのではないか」という後ろめたさがある、と言うのです。
あまりに驚き、「誰もそんなこと思っていない。気にしすぎだよ」と全力で伝えました。
でも……。いま、その女性記者の気持ちがちょっと分かります。個人差はあると思いますが、どこかでいつも「申し訳なさ」と隣合わせ。それを乗り越えようと仕事を頑張れば、空回りし、今度は家事育児にしわ寄せがいき、結局、いつも心の中で「ごめんなさい」と謝っている気がするのです。職場に対しても、家族に対しても。
あのとき、息を潜めるように仕事をしていた女性記者の気持ちを思うと、泣きたくなります。「誰もそんなこと思っていない」じゃなく、もっと伝えるべき言葉があったように思います。
ふと、そんなことを思い出したのは、今回、多くの女性記者たちを前にしゃべりながら、「やっぱり自分は何もわかっていなかったんじゃないか」と思わされたからでした。想像力が大事と言いながら、やっぱり想像しきれいていない自分。圧倒的に男性が優位な職場のなかで、思いが伝わらず心が折れていったであろう同僚女性たちの気持ちを思いました。
「#父親のモヤモヤ」をなぜ書いているのだろうと考えると、そこにはやはり、子どもに残したい何か、があるからなのだろう、と思います。私の子どもはいま2歳。女の子です。
この子が大人になったとき、男性だから、女性だからということで生き方が制約されることなく、もっと自由にいろんなことが選択でき、生きたいように生きられる社会になってほしい、と心から願います。
そのためには、まず、私自身を縛っているモヤモヤの正体。それは、おそらく私の深層心理、性役割の意識とも無縁ではないのですが、そこを言語化していくところに向きあわないといけない。改めて、そう思わせてくれた、シンポジウムとなりました。
記事の感想や体験談を募ります。また、父親にとってのセックスレスをテーマに取材を進めています。そこで「セックスレス」について、モヤモヤを募ります。レスになったきっかけは? どうすればレスを解消できる? そもそも夫婦との間でセックスは必要? みなさんの体験、考えを教えて下さい。
連絡先を明記のうえ、メール(seikatsu@asahi.comメールする)、ファクス(03・5540・7354)、または郵便(〒104・8011=住所不要)で、朝日新聞文化くらし報道部「父親のモヤモヤ」係へお寄せください。
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