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「実験動物」に言い続ける「ごめんね」 それでも辞めない理由
「殺処分ゼロ」を目指す行政と民間の取り組みにより、殺処分される犬猫はわずか10年で7分の1までに減りました。しかし愛護や福祉の光が当たる動物ばかりではありません。たとえば「実験動物」。命を犠牲にして医療の発展や医薬品の開発に貢献している動物たちは、どのような生活を送っているのでしょうか? 東北大学大学院医学系研究科附属動物実験施設の飼育技術者、末田輝子さんは「ごめんね」と言いながら、日々、実験動物に向き合っています。「実験がない日はホッとしています」と吐露しながらも、「ぶーちゃん」と呼ぶブタの話になると笑顔になる末田さん。動物実験の現場から、動物と人間の向き合い方について考えます。(ライター/編集者・金子志緒)
末田さんが飼育を担当している実験動物は、家畜子ブタ、ミニブタ、イヌ。以前にはマウスを担当したこともあります。動物たちのことを「さん」づけで呼び、中でもブタのことを「ぶーちゃん」と呼んでかわいがっています。
「私はブタさんが大好きなんです。ウィンストン・チャーチルの名言を知っていますか? 猫は人を見下す、犬は人を尊敬する、豚は自分と同等の存在として人を見るっていう。ぶーちゃんは目つきが人とよく似ているし、毛深くなくてお尻なんて赤ちゃんみたいにプリプリなのです。チャーチルは見る目があるね(笑)」
家畜子ブタは食用になる動物なので、成長すると100kgになります。動物実験に多く使用されるのは、取り扱いやすさから40kgを超えない生後2~3カ月の子ブタ。ミニブタは成長しても50kg程度です。「ときどき間違える人がいるけれど、子ブタとミニブタは種類が違うのです」と末田さん。
末田さんが働いているのは、東北大学大学院医学系研究科附属動物実験施設。獣医師や動物関係の職業に就く人は、子どもの頃から動物が好きだったり、『動物のお医者さん』を読んだりしたことがきっかけになりますが、末田さんは違いました。
「私はペットを飼ったことがないのです。もともと臨床検査技師で、人間に関わりたくて医療職を選んだのね。だから医学部にいた頃は、実験動物とか考えたこともありませんでした」
ところが20年ほど前、人事異動で今の動物実験施設へ移ることになりました。末田さんと実験動物の関わりの始まりです。
末田さんが動物の看護と福祉を考える原点になったのは、「チビちゃん」という1頭の子ブタでした。
「チビちゃんは飼育室のケージにポツンとひとりぼっちなのがストレスで、顔色が悪く、食欲もなくてやせてガリガリ。実験処置された足をかじっているような状態でした。研究者も途方にくれていたので、私が見かねて看護を申し出たのです。頭やおなかをなでたら気持ちよさそうでしたね。それでリンゴジュースやエサ団子をあげてお風呂に入れて毛布を敷いて……と世話をしていたら、10日後には元気になり、実験が終わる最期の日までがんばってくれました」
それから手探りで実験動物の看護をするなかで、苦しんでいる姿を見ることが耐え難く、辞めたいと思ったこともあったそうです。「今も自分が動物好きかわからないけど、実験動物たちのことをとてもかわいそうに思っています」と言う末田さん。自分の立場でできる限りのことをするために実験動物の苦痛と向き合い、福祉を向上させる手段を模索することにしました。
末田さんの仕事は実験に必要な動物の発注や飼育。たとえば家畜子ブタは養豚場に注文し、届いたら体調を管理しながら実験の日まで育てます。
「昔はブタさんが大きくならないように食事を減らしたり、ケージに閉じ込めたままだったから、ストレスで左右に行ったり来たりを頻繁に繰り返したり、柵をかじったりと異常行動が目立つ状況でした。今では満腹感を得られるように食事を腹八分目にして、私とのスキンシップのときにはバナナもあげているの(笑)。ぶーちゃんはお風呂も大好き。実験動物は生活の質も大事ですよ」
実験動物の看護も大切な仕事です。実験の前には動物に麻酔薬を注射してから体を洗浄し、手術室(実験室)へ送り出します。実験に使われてそのまま安楽死になる場合もあれば、経過を観察するために一定期間生かされることも。
「ぶーちゃんは用心深いし、まだ子どもだから、見慣れない研究者を見ると怖がるのです。最後は死ぬのに怖い思いをさせたくないから、ブタさんが慣れている私がなでたりジュースを飲ませたりしながら素早く注射するのね」
ブタは体の中も人間に似ているので、外科系、循環器系、消化器系の治療の実験に使われます。いずれの実験も人間の患者を想定した手術なので、末田さんは実験動物の看護も人間を想定するべきだと考え、痛みを減らす術後管理を行っています。
「経過観察するために戻ってきたぶーちゃんが早く回復できるように看護をします。苦しんでいるぶーちゃんをなんとかしたいという気持ちだけど、ストレスや苦痛を軽減することで信頼性と再現性の高い実験結果が出るのです」
これらの方法は末田さんによって「実験動物ブタの福祉のための看護的飼育管理の考案」としてまとめられ、平成24年度科学技術分野の文部科学大臣表彰「創意工夫功労者賞」を受賞しました。
「私は飼育技術者であり、実験動物看護師」という末田さんは、世話や看護に大忙しの日々。一日の大半を実験動物たちに寄り添って過ごしています。
「私にとってのワークライフバランスは、実験動物の看護に全力投球すること。その理由は、実験動物たちがいつも元気だと私も元気モリモリ。実験動物が苦しいと私も苦しいの。手術が終わった後の動物は、いつ容体が急変するかわからない。明日の保証がないんですよ。私が付き合うぶーちゃんはたくさんいるけど、ぶーちゃんにとっては短い一生の中で一瞬だけ付き合う人が私。だから、毎日が一期一会という気持ちです。“ぶーちゃんファースト”ですね」
「動物実験はなくなってほしい。今すぐなくすことはできないけど、いつかなくなればいいなって。私だけじゃなくて、研究者もみんな思っていることです。人間の思想が変わるのに500年かかるって知っていますか? でも250年くらい前にジェレミ・ベンサムが、動物にも配慮される時代が来ると予測していたから、もう半分は過ぎているかもしれない」
末田さんが動物実験施設で働き始めた頃、「動物がかわいそう」という自分の本心をなんとなく言いづらい時代だったそう。それが今では自分の感情をストレートに言えるようになりました。東北大学が動物福祉に先進的に取り組んでいることも理由の一つ。少しずつ変わってきているのでしょう。
「ぶーちゃんに麻酔薬を注射するとき、心の中で『ごめんね、天国でお母さんやきょうだい、養豚場の友だちに会えるといいね』って呼びかけています。そうやって自分を慰めるしかないのね。実験がない日はホッとしています。実験動物に『ごめんね』と言わないで済む世の中がきてほしい」
末田さんの取材中、40分ほど中断した時間がありました。再開したときの「ぶーちゃんに注射をしてきたのです」という末田さんの言葉から、動物を思いながら動物の苦痛や死と向き合い続ける日常がうかがえます。一見、矛盾しながらも、動物実験がなくなる日を願う姿からは、強い使命感が伝わってきました。新たな治療法を待つ患者のために行われている実験動物に関わることで、医療を志した願いを実現しているともいえるでしょう。
「ごめんね」と言いながら、実験動物に別れを告げざるを得ない末田さんのような存在を知ることは、動物の福祉へ意識を向ける一歩になるのではないでしょうか。
6月19日には「動物の愛護及び管理に関する法律等の一部を改正する法律案」が公布となりました。愛玩動物である犬猫が中心で、医療や食品に貢献している実験動物や家畜動物はほとんど触れられていません。末田さんはあらゆる動物に福祉の光が当たることを願っています。そして、定年退職したら家畜子ブタの「ぶーちゃん」と一緒に暮らすのが夢だそうです。
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