連載
時代と共に進化「信楽焼タヌキ」の意外な姿 バブル感じる土産探して
タヌキの置物で有名な信楽には、バブルの痕跡は残っているかーー。
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タヌキの置物で有名な信楽には、バブルの痕跡は残っているかーー。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称です。地名やキャラクターのセリフをローマ字で記し、人間も動物も二頭身のデフォルメのイラストで描かれているのが特徴です。
写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代がピークで、「つくれば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
全国の観光地にあったといいつつも、滋賀県にはファンシー絵みやげが売られていた形跡があまり残っていません。
観光地の地名が書かれているのがファンシー絵みやげの特徴のひとつなのですが、滋賀で見つかったもののほとんどが「BIWAKO(琵琶湖)」と書かれています。
琵琶湖の西側には近江八幡、安土城跡、甲賀などの観光地がありますが、これらの名前が書かれたファンシー絵みやげは少ししか見つかっていません。あとは、京都との府県境にある「HIEIZAN(比叡山)」が少しでしょうか。とにかくバリエーションが少ないのです。
その中でも名前が有名ながら、一切ファンシー絵みやげが見つかっていない場所があります。それが信楽(しがらき)です。
信楽といえば、信楽焼きです。居酒屋などの店先によく置かれている、大きなタヌキの焼き物を思い出してみてください。首に笠をかけ、徳利と台帳を持っているあの置物。あれが「信楽焼き」であるということは有名ですよね。
一方、ファンシー絵みやげには陶磁器もよく売られていました。ファンシーなイラストがプリントされた茶碗や湯呑などです。窯元がある観光地であれば、こういったファンシー絵みやげも売られていたかもしれないと予想しました。
信楽駅は、信楽高原鐡道というローカル線の終点。移動時間や調査範囲の広さから、私にとってなかなか訪れられずにいた場所でした。そこにファンシー絵みやげが存在した可能性を感じつつ、乗換駅を通るたびに気になっていたのです。
ついに、調査のチャンスは2018年にやってきました。
信楽駅につくと大きなタヌキがお出迎え。近付いてみると、タヌキの右腰のあたりに見慣れた緑の電話がついていますあります。なんと公衆電話ボックスでした。
駅を出るとすぐに店が何軒も見つかるものの、ほとんどが信楽焼の専門店であり、観光土産の店といった雰囲気はありません。駅前の地図を見ると、どうもお土産品を売っていそうな小売店や窯元は広いエリアに点在するようなので、レンタサイクルを借りて回ることにしました。
まず駅前のお店に入って圧倒されたのが、タヌキの置物の数。見渡す限りのタヌキ、タヌキ、タヌキ……。
店の外にも中にもタヌキの焼き物だらけです。サッカーボールを持ったタヌキ、マイクを手にしているタヌキなど、種類の多さにも目を奪われてしまいます。しかし、目的はファンシー絵みやげの存在を確かめること。目を凝らして探しますが、タヌキの置物ばかりです。
とはいっても、ここはタヌキの焼き物で有名な生産地。タヌキばかりなのは当然です。しかし、次の店に行っても、次の店に行ってもやっぱりタヌキなのです。タヌキ以外の陶芸品も売っていますが、いずれもファンシー絵みやげはありませんでした。5店舗ほど回っても見つかりませんので、お店の方に尋ねました。
山下メロ
お店の方
見せていただいたのは、確かに信楽の商品にしては珍しく、平面のイラストがプリントされたハンドタオルです。しかし、白目があったり、黒目にハイライトがあったり、口吻(こうふん)を表現していたりと、ファンシー絵みやげのイラスト表現とは時代がまったく違います。多くのファンシー絵みやげで見られる、「点」で描かれた目や頬を赤らめている表現もありません。
やはり信楽にはファンシー絵みやげは存在しないのか……。そんな気持ちにもなりますが、私にとってはいつものことです。何より、店の閉店時間になってしまって調査が中途半端に終わってしまったら、モヤモヤだけが残ってしまいます。
落ち込んで時間を無駄にしないように、どんどん先に進んでいくことが大事です。「無い!」とハッキリしたほうがスッキリしますから。
さて、おびただしい数のタヌキが並ぶ店に驚いていた私ですが、更に驚いたことがあります。タヌキがひしめく店は一軒二軒程度ではなく、何十軒もあるのです。一体私は何体のタヌキの顔を拝んだのでしょうか……。
十数軒でタヌキの顔を見まくった結果、私はあることに気が付きました。
それは、おびただしい数のタヌキの中には、二頭身で目がクリッとした現代的なかわいさのタヌキがいるということです。このかわいさは、居酒屋でよく見る信楽焼のタヌキと明らかに異なり、むしろ「二頭身」などファンシー絵みやげに近い要素もあります。
ただし、白目があったり、口元がリアルに尖っていたりするところは、ファンシー絵みやげとは大きく違います。
居酒屋タヌキから現代的なかわいさを持つタヌキへ進化しているようですが、一足飛びに進化したのでしょうか。バブル時代のカルチャーを映して、漫画風のイラストを取り入れた時期を経ている可能性はないのでしょうか。
ファンシー絵みやげそのものは売られていなくても、信楽でもファンシー絵みやげ的なイラストが生まれた可能性はあるのではないかと思い始めました。
道中、行く店行く店で、信楽タヌキの顔の変化の歴史を質問して歩きましたが、明確な答えは得られませんでした。私は起死回生をはかろうと、小売店ではなくタヌキの製造会社の門を叩いてみました。すると、その会社の社長が私に教えてくださいました。
山下メロ
社長さん
そこにあったのは、昭和初期のものと思われるタヌキの置物。目が穴で表現されていて、今のものに比べると顔の印象が非常に怖いです。居酒屋タヌキより前のデザインがあったとは驚きました。信楽焼のタヌキは、伝統的な雰囲気に固執しすぎることなく、時代の変化を少しずつ受け入れていったのです。
社長さん
社長さんから、岡本太郎さんの写真も見せてもらいました。
1970年の大阪万博のシンボルである、太陽の塔の背面に取り付けられた「黒い太陽」が信楽焼だということをご存じの人は少ないかもしれません。そういえば、信楽駅前の橋に太陽の塔のモチーフが使われていたのを思い出しました。製造会社には太陽の塔の顔の、小さい信楽焼のレプリカ商品もありました。
1970年代までの信楽焼の話を色々と知ることができましたが、1980年代や1990年代が今回のメインテーマなので、思い切って質問してみました。
山下メロ
社長さん
私は少し安堵しました。これだけたくさんの店舗でたくさんのタヌキを調査してヘトヘトになってもファンシー絵みやげは見つからなかったのです。今さら「たくさん作っていました」なんて言われたら、自分の調査能力を恥じ、さらに違う調査方法を模索しなくてはなりません。むしろ「ないんじゃないか」と言われて、なかば解放されたような気持ちになっていました。
土産店以外は陶芸品専門店ですので、もちろん売っているのは現地の特産品である信楽焼ばかりです。その信楽焼が絵付けをしないとなると、平面イラストの文化であるファンシー絵みやげの影響を受けることもなかったのでしょう。
また、現在の信楽の街には駅の中や観光施設など、お土産を売る場所が多くありますが、1980年代当時はもっと少なかった可能性もあります。これではファンシー絵みやげを売る場所が少なく、作るのが難しかったと予測されます。
解放された気持ちで街を歩いていると、面白い発見がありました。それは、よく「子どもが有事に駆け込める場所」として民家の玄関やお店の入り口に貼られている「こども110番の家」というシールです。ここでは「しがらきっこ110番」の名前で、シールではなくタヌキの陶器製人形が使われていたことです。
「ああ、さすが陶芸の里、こども110番の家も特産品を使っていて面白いな」などと思っていました。この時は見逃していたのですが、色んな民家で目にするうちに、あることに気が付きました。かわいらしい顔のタヌキなのですが、ファンシー絵みやげ的に目が点で表現されているのです。これは他のタヌキの置物にはない特徴です。
このタヌキのルーツが知りたくなって、110番タヌキ(と呼ばせてもらおう)を置いている商店で尋ねてみました。この人形は、もともと旧・信楽町PTA連絡協議会主導で作られたとのこと。そして、「そこに行けば同じようなものを作っているかもしれない」と、当時110番タヌキを作成した窯元を教えていただきました。
ところが、110番タヌキに近い作風のタヌキは見つかりませんでした。窯元の責任者の方に聞いてみましたが、あくまで発注されて作成しただけとのことです。このファンシー絵みやげ的な作風が、窯元の特徴などでないとすると、なぜこのような商品が生まれたのでしょうか。あとはもう自治体の施設で聞いてみるしかないようです。
帰り間際、駅の近くにある甲賀市の信楽地域市民センターを訪ねました。そこで、職員の女性に質問してみました。
山下メロ
女性職員
山下メロ
女性職員
元となったイラストは市民センター前に置かれた110番タヌキが持つ、手旗に描かれていました。
置物の元になったイラストを見ると、よりファンシー絵みやげに近いことが分かります。点の目で、左右の目が非常に近い。そして、実際に漫画風のタッチで描かれていたのです。
また、平面のイラストが先にあって、そこから立体物への生産に拡張していく流れも、ファンシー絵みやげと共通しています。
タヌキのイラストを前に感動していると、驚きの一言が飛んできました。
女性職員
なんと、たまたま市民センターで対応してくださった女性の方が、かつて110番タヌキのイラストを描かれたというのです。驚きすぎて声も出ませんでした。
そんな偶然あるでしょうか。RPGのように人づてに探っていったといっても、110番タヌキのルーツそのものに出会えるとは。これはもうタヌキにつままれたような気分になりました。
女性職員
しかも、このイラストを描かれたのは90年代半ばごろとのこと。まさにファンシー絵みやげが売られていた時期とも重なります。
ファンシー絵みやげを作らなかった信楽にも、やはりファンシー絵みやげのような漫画的なイラストが存在したのです。万博、バブル、そして現代……信楽焼にはさまざまな時代がとりこまれていることがわかりました。
「ないかもしれない」と思っても、しつこく追いかけると、意外な展開が待っているもの。今回の旅で、ちょっとやそっとのことで諦めていては真実にたどりつけないということを痛感いたしました。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
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