連載
「子ども」がビジネスチャンスだった時代 懐かしい陶磁器みやげの謎
量産された「陶磁器みやげ」のルーツを、「平成文化研究家」の山下メロさんが探ります。

80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」。「平成文化研究家」の山下メロさんは、時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。ファンシー絵みやげには、陶磁器でつくられたマグカップや茶碗などが多く存在しています。その背景には、民芸品が売れない窯元の苦い思いもありました。量産された「陶磁器みやげ」のルーツを、山下メロさんが探ります。
「ファンシー絵みやげ」とは
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

バブル時代がピークで、「つくれば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
由緒正しい陶芸品、でも子どもには……
常滑焼の常滑(愛知県)や信楽焼の信楽(滋賀県)など、焼き物の窯元が集まる地域は観光地になっていることが多く、観光客向けの展示施設などがあり、焼き物がお土産としても売られていました。このように観光客が陶磁器を買って帰るエリアは、日本各地にあります。
しかし、有田焼や九谷焼など由緒正しい作品も、子どもには魅力が伝わりづらく、価格も高額でとてもお小遣いでは購入できません。そんな観光地の悩みに応えたのが、かわらしい絵が施され、安価で量産できるファンシー絵みやげだったようです。

それを裏付ける出来事が、2015年に山口県萩市でおこなったファンシー絵みやげ保護活動の際に起きました。
「あの……恥ずかしいのですけど」
萩焼の生産地である萩には、窯元直売の陶磁器専門店がそこかしこにあります。

恐らく、そういった店に子ども向けの安価な量産品は置いてないでしょう。しかし可能性が少しでもある以上、「ファンシー絵みやげは無いだろう」という先入観を捨てて調査はすべきです。入店し、高価な萩焼ばかりが並んだ店内をぐるりと見渡しますが、やはりファンシー絵みやげはありません。

少しの沈黙。
「あの……恥ずかしいのですけど。こういう瀬戸物も昔は売っていました」
と言って、本当に恥ずかしそうに、奥ゆかしく、ある箱を見せてくださいました。箱のフタがゆっくりと開かれると、そこには萩の偉人・高杉晋作や吉田松陰がファンシーなイラストで描かれたマグカップが並んでいました。萩焼の専門店ですが、この商品に限っては萩焼ではありません。ファンシー絵みやげ独特の量産品の陶磁器です。

それは、ここ萩でも同じでした。しかし現在では店頭には並べず、「恥ずかしいもの」としてしまい込まれていたのです。
「これを探していました!」と購入させていただきましたが、気になったことがあります。全国的に売られていた量産型陶磁器は、どこでつくられていたのかということです。そこで心にひっかかったのは、お店の方が言った「瀬戸物」という言葉でした。
どこにあるのか、量産品のルーツ
ゴミの分類などでも見る「セトモノ」という表現。これは陶磁器一般を表す言葉になっていますが、もともとは愛知県瀬戸市の「瀬戸焼」から来ています。
陶磁器の中で瀬戸焼が広く普及したために、「ホッチキス」のように特定のブランドが代名詞のようになったわけです。一般的に使われる「瀬戸物」の定義には普段使いの安価な陶磁器の食器も含まれますが、実際の瀬戸焼とは別物です。
萩焼専門店の方が対比として言われた「瀬戸物」も同様に、瀬戸焼のことではなく「萩焼ではない、ノーブランドな陶磁器」といった意味です。しかし、だんだん瀬戸焼が気になりだしてきました。

一般的な陶磁器の代名詞になるほどであるならば、もしや全国の観光地に向けて、子どもが買える安価なファンシー絵みやげ用の陶磁器を供給しているのも瀬戸なのでは?……あまりにも手がかりがなかったので、「とりあえず足がかりになる可能性があるので調査してみよう」という気持ちになっていきました。
しかし、観光地になりがちな場所といえども、これまでの調査とは少し事情が異なります。窯元は製造拠点ですから、土産店のように商品が並んでるわけではありません。勝手に中にも入れないでしょう。窯元ばかりで小売店がなければ「土産店に入って店員さんと話す」といういつも使っている調査手法は使えません。
さらに瀬戸といっても、窯元は無数にあります。どう調査しようかと考えているうちに、気付けば瀬戸物は記憶の片隅に追いやられていました。
「せともの祭」で見つけた「OKINAWAの文字」
3年後の2018年、名古屋で古美術商の方と話をしていたとき「せともの祭」という陶器市に行くという話を聞き、急に瀬戸市のことを思い出しました。聞くと、普段小売りをやっていない窯元も出店する上、昔の在庫が並ぶ可能性が高いとのこと。

私はこれまでの保護活動の経験から、土産店の変則的な開店状況はよくわかっています。正月しか開店しない土産店、祭りの日しか営業しない土産店などがありますので、一番多く店が開いてる可能性の高い「せともの祭り」に瀬戸へ行くのが最適解なのは明白でした。


そして当日。初めて行くせともの祭は大変な賑わいで、早朝、しかも雨天にも関わらず見渡す限り、人でいっぱいでした。たくさんのお店が出ていたので、非常に期待をして調査を開始しました。
せともの祭りは2日間開催されますが、東京で暮らす私が参加できるのはこの日のみ。しかも、あいにくこの日は別件で昼過ぎ頃には名古屋を出発する必要がありました。調査の時間は限られています。

落胆していると、とあるお店でパイナップルのカップを見つけました。そこには、「OKINAWA」という字が。ファンシー絵みやげの特徴である、日本語ローマ字です。特に、地名をローマ字で書くのは基本中の基本です。
でも、沖縄の商品が、なぜ瀬戸に……? これはまさに県外の観光地のお土産を、ここ瀬戸で作っていた証拠ではないでしょうか。ぜひ詳しく知りたいと思い、売っていた方に話を聞くと、最近操業を停止した工房のものだといいます。もし話を聞きたいなら、そこの経営者の「神尾さん」がせともの祭に出店してるから探すように言われました。
しかしせともの祭のエリアには大きな施設や数えきれないほどの露店、そして商店街まで含まれ、1人の「神尾さん」を探すには広すぎます。
ここでも絶望しながら歩いていると、ある場所にたどりつきました。その名も「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」。

入ってみると、陶磁器製のノベルティ商品がずらり。かつて瀬戸エリアの工場でつくられていた製品を後世に残そうと、展示してあるのでした。その中には明らかに東海地方でもない、四国や九州のファンシー絵みやげが飾られていたのです。
さきほど沖縄の商品を見つけたところに、続いて他の地域の商品に出会うという展開。何か核心に近づいていくような空気を感じて、気持ちが高まってきました。


ギャラリーの方に聞いたところ、これらの商品を作っていたのはやはり「神尾さん」の会社だというのです。「神尾さん」は一体何者なのか……。更にギャラリーの人は有力な情報を教えてくれました。「神尾さん」は神社に出店している、とのこと。
しかし、神社を回ってもそれらしき方が見当たらず、時間はもうお昼前です。私に残された保護活動の時間も、そろそろギリギリです。仕方ないので商店街の人に相談したところ、なんとたまたま「神尾さん」の携帯電話番号をご存じで、教えていただきました。そのおかげで出店されている場所まで行き、「神尾さん」に会うことができたのです。そして、自分の活動の説明をして、気になっていることを伝えました。
山下メロ
神尾さん
山下メロ
神尾さん
山下メロ
神尾さん
山下メロ
「神尾さん」こと神尾周治さんは、とても優しい方でした。突然東京からやってきて、色々とおかしな質問や要求をする私に、真摯に対応してくださいました。
数カ月後、再び瀬戸を訪れる
数か月後、私は名古屋から瀬戸に向かっていました。神尾さんに再び会うためです。

早速、解体を控えた工房に入れてもらいました。残されたお土産品は少ないですが、成形するための型や、着色前のもの、焼く前のものなど、普段は見ることができない珍しいものばかりです。


そして最大の疑問である「ファンシー絵みやげの陶磁器の代表的な生産拠点」については、「瀬戸ではない可能性もある」とのことでした。そして、他の東海地方の窯元にも可能性があるので、調査したほうがいいと教わりました。
確かに今回見せていただいた工房で全国の観光地に向けた陶磁器の土産品が作られていました。しかしそれは「パイナップル型のカップ」や「陶磁器製の人形」など「立体的にファンシーキャラクターを表現した」商品でした。いわゆるファンシー絵みやげの王道である「平面の絵」を決まった形の湯呑みにプリントするというものではありません。
しかし、立体的な商品のほうが技術もコストも必要で、しかも全国で目にしてきた商品群でしたので、その現場でお話を聞けるのは非常に貴重な体験です。
「このマグカップの京都のもの持ってますよ!」「この人形の高知県のバージョンって存在しました!?」
見るもの見るものが発見の連続でした。
どんどん消えていくファンシー絵みやげ
「もう少し早く来てくれたら、全国のお土産品がたくさんあったのに」と神尾さん。
すでに工房を畳む準備ということもあり、在庫はほとんど処分され、一部が「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」に引き継がれたり、せともの祭で売られたりしていたのでした。残っているはほんのわずかしかありません。

このままでは処分されてしまうということで、残されたファンシー絵みやげのいくつかをいただきました。陶磁器に彩色する筆の容器として使用されていたマグカップも、ファンシー絵みやげだったため、保護させていただきました。
神尾さん
山下メロ
さらに水族館などのお土産品と思われるイルカのオカリナを見つけたので、そちらは高知県での調査でお世話になった室戸ドルフィンセンター所長や、御蔵島でイルカと泳いでいる友人などに引き継ぎました。
神尾さんに勇気づけられて
工房を閉じる神尾さんですが、決して後ろ向きな選択だったわけではありません。現在は瀬戸焼の伝統を表す「陶製狛犬」をモチーフにしたゆるキャラ「せとこま(せとくん・こまちゃん)」の運営を行っています。
瀬戸市の非公認キャラクターながらも、パリや台湾でも公演を行うまでに活躍しています。形を変えながらも、瀬戸焼の発展に貢献し続けているのです。

話に夢中になり、気が付けば帰りの新幹線の時間が近付いてきました。保護したファンシー絵みやげでいっぱいの紙袋を手に、急いで電車に乗り込みました。話に集中しすぎて、とりあえず包まずに詰め込んだ紙袋の中で陶磁器がカチカチと音を立てています。
電車に揺られながら、保護できた陶磁器を割れないように手持ちの紙でどんどん包んでいきました。いや、包んでも包んでも終わりません。気づけばたくさんの陶磁器を保護できていたのです。
本来の目的は、ファンシー絵みやげ陶磁器の供給源を突き止めること。明確な答えにはたどり着けませんでしたが、前向きな神尾さんに勇気づけられました。ファンシー絵みやげの全貌はまだまだ見えませんが、今後もさらに調査していきたいと思います。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。