お金と仕事
富裕層の姿が消えた……中国人観光客「中間層」奪い合うSNS情報戦へ
中国から日本を訪れる観光客は2018年に838万人に達しました。かつては、「爆買い」が流行語大賞に選ばれるなど、ショッピングが注目されましたが、メインだった「富裕層」から「中間層」に変化しています。その結果、生まれたSNS上での情報戦です。クルーズ船が連日、寄港する福岡で起きている「先進事例」と、中国人観光客の「層」の変化から、インバウンドの将来について考えます。
中国国家観光局にある中国旅行研究院などが調べた『2018年中国人観光客海外旅行ビッグデータ報告』によると、2018年に海外旅行をした中国人の数は、世界で一番多い7125万人を記録しました。
旅行先の1位はタイ、2位は日本、3位はベトナムとなっています。人口に占める海外旅行者の数はまだ5%程度なので、今後さらに増え続けると考えられます。
海外旅行の際に使われるのがネットでの情報収集です。ちなみに、2019年6月現在、中国のネットユーザーは8.54億人、普及率は61.2%に達しています。
旅行専門のサイトの中で有名なのが「シートリップ」と「馬蜂窝」です。
「シートリップ」(携程=Ctrip)は上海市に本社を置くオンラインの旅行会社で、利用者数は3億人を超え、日本にも支社があります。
「馬蜂窝」(マーフォンウォー)は北京に本社がある中国最大の旅行情報メディアです。利用者数は1億人を超え、旅行先で体験した口コミの投稿数は毎月1000万に達する規模だと言われています。
二つのサービスで人気なのが「旅行記」という読者の口コミ投稿です。
「シートリップ」では日本に関する投稿が2万件を超え、さらに東京、京都など都市別でも多くの投稿が寄せられています。
「馬蜂窝」では、旅行先別にオリジナルガイドブックのダウンロードが可能でで、「日本」のダウンロード数は245万回を超えています。さらに、東京、京都、大阪、北海道など都市別のガイドブックも、それぞれ100万回以上のダウンロード数があります。
自社サイトとアプリのほか、両社ともに中国版ツイッターの微博(weibo)にアカウントを持っています。「シートリップ」のフォロワー数は480万人、「馬蜂窝」は337万で、両社ともにSNSでも日本に関連する情報を発信しています。
日本への旅行でネットの存在感が大きくなっている背景には、中国人観光客の「層」の変化があります。
中国人観光客のイメージとして根強かったのが「爆買い」です。2014年くらいから使われはじめ、2015年には流行語大賞に選ばれています。しかし、2016年以降、「爆買いが終わった」とされました。
それは一体なぜでしょうか。
「爆買いが終わった」背景には、為替の変化、中国政府による外貨引き出しの制限など、様々な理由が絡み合っていますが、見逃せないのが中国人観光客の「層」の変化です。
2010年ごろ、本格的な中国人の日本観光が始まった時期に多かったのは「富裕層」です。人数はそれほど多くありませんでしたが、ブランド品を中心に、数百万もする腕時計や高級バッグなどを次から次へと購入しました。銀座のデパートでは、南部鉄器や銀製品を求めて、数百万円の現金を持ってきた人もいたと言われています。
2015年あたりからは、ビザ発行の緩和政策により、「中間層」が増えます。「中間層」の買い物は自分のためだけでなく、周りの親戚や友人へのお土産に加え、日本に来られない人の代わりに代行するため、同じ商品を複数買うケースが増えました。電気炊飯器を何個も抱える中国人観光客を見た人もいるかもしれませんが、「代購(ダイゴウ)」と呼ばれる買い物代行である可能性があります。
日本を訪れる「中間層」が増える一方、「富裕層」の旅行先は次第に欧米へ移っていきました。
買い物についても、中国の国内でもオンラインストアが発達し、現地にいながら、日本の商品買いやすくなりました。オンラインになったことで、価格や性能を比較することが簡単になり、吟味してから購入する人が増えました。
現在、日本を訪れる中国人は「中間層」から「一般家庭層」にまで広がっているため、高額な商品だけでなく、コスパのよい商品を求め、ドラッグストアの薬や化粧品をはじめ、服なども人気になっています。
その際に情報源となるのがSNSです。インフルエンサーであるKOL(Key Opinion Leader)がすすめる商品は売れ行きがよくなります。日本人の間ではまだ知られていないものでも、中国のSNSで知名度さえあれば、よく売れます。
中でも人気なのが有名旅行情報メディアの馬蜂窝がweiboに発表した『日本スーパーショッピングガイド(日本超強購物指南)』です。アウトレット、百貨店、ドラッグストア、百円ショップ別に紹介があり、お得に買える場所、免税などの方法も書かれています。
今でも、銀座の街を歩くと、買い物をしすぎて、商品を入れるスーツケースをもう一つ買ってしまう中国人観光客をよく見かけます。一方で、スーツケースの中身は、「爆買い」の時期とは大きく変化しており、高級ブランド品よりも、SNSで評判のよい商品が占めるようになっています。
もう一つの変化が体験型の観光です。今、中国人の中では日本で人気の観光地やグルメを一通り体験する「打卡(ダカ)」という旅行スタイルがひろまっています。
「打卡」は、もともと会社に出勤する時にタイムカードを押すという意味でしたが、そこから有名な観光地を訪れ、記録することも表すようになりました。中国人の観光客の間では、SNSで人気の有名な観光スポットや、有名なレストランを「制覇」する際に、この言葉が好んで使われます。
例えば、築地市場を閉鎖される前に訪れることは、「打卡成功(無事に制覇した)」と表現されます。また、福岡県にあるスターバックスの太宰府天満宮表参道店は、木と竹のデザインが特別で、中国でも有名な建築家である隈研吾さんが手がけたことから、SNSで有名な場所になっています。観光客は記念撮影をするなど、「打卡」を楽しむため訪れています。
もちろん、「インスタ映え」も大事です。中国人にとって、日本は「インスタ映えの天国」のような国として見られていて、それが「体験型観光」とつながっています。例えば、京都などでは着物を着るプランが人気です。また、花火大会では、浴衣を楽しむ人も増えています。
中でもSNSと相性がいいのが「和食」です。
もともと、一食に並ぶ種類が豊富で、一皿の量が少なく、たくさんの栄養をバランスよく取ることができると考えられている和食は「健康食」として人気がありました。
そこに、器や盛り付けなど「目で楽しむ」和食のよさが「インスタ映え」として加わりました。さらに、評判のよいお店は、SNSでも注目され「打卡」の対象として訪れてみたくなる存在にもなっています。
例えば馬蜂窝の日本旅行記の中で1番人気の記事は、「リーズナブルなものからミシュランへ」と題した、大阪、京都、東京のグルメについて書かれたもの。体験記には焼き肉、串揚げ、お寿司、和牛、すき焼き、ラーメンなどの和食が「インスタ映え」する写真とともに紹介されています。
8月、福岡市にある九州和食広場を取材しました。人気なのはおすしやラーメンを作る体験教室で、おすし体験教室だけで毎月3千人以上の予約が入っているそうです。
お客の多くは、中国からのクルーズ船にやってきます。クルーズツアーオペレーション事業を行うOriental社の劉阿婷(リュー・アティン)さんによると、一般的な寿司づくり体験は20人から30人規模の教室が多く、遅延やキャンセルのリスクもあるクルーズ船の乗客への対応は難しいのが現状です。一方、九州和食広場は一度に800人から1000人に対応できるため、キャンセルのリスクを気にする必要がありません。
九州和食広場を開設したのは、中国人で鳴鳳堂社長の蘇慶さんです。蘇さんは大学で日本語を学んだことがきっかけで、日本文化へ興味を持ち、江戸時代の大名らが愛用していた豪華なお弁当箱を300点以上、びょうぶや戦国武将たちがかぶったかぶと数百点を、個人コレクションとして集めています。
そんな蘇さんが感じているのが、食事もただ食べてから帰るのではなく、「知的なものへの理解」に対するニーズです。蘇さんは文化の発信を観光の柱にしようと、福岡市に世界初の「和食文化博物館」を2019年8月5日にオープンさせました。
将来的には、茶道の体験、マグロの解体ショーに加えて、豆腐のような日本と中国につながりのある食材の歴史を紹介する食文化のコーナーも充実させる予定です。
「富裕層」から「中間層」、「一般家庭」にまで広がってきた中国人の日本観光は、求められるニーズも変化しています。
特に大きな役割を果たしているのがSNSです。限られた世界の「富裕層」と違い、多くの人が体験することを同じように味わいたいという「中間層」にとって、情報収集にも情報発信にもSNSは欠かせません。
インフルエンサーであるKOLの存在も大きく、何より、事前に多くの情報を調べてくる行動の変化に、受け入れ側も対応していく必要があります。
そんな中、クルーズ船の乗客という特殊なケースにおいて、いち早く「体験」という中国人観光客のニーズをとらえたのが、和食文化博物館だと言えます。
経営者が中国人であることもあり、日本人にとって当たり前すぎる「和食」を、中国人の目を通して観光資源としてビジネス化させています。
「爆買い」というイメージだけではない細やかな対応へのシフトは、既存の観光業界にとっても避けては通れない変化になってきています。
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