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パキスタンの格ゲー王者、再び伝説に「出国できない!」その後の奇跡
2019年5月2日、大阪千日前にある味園ビルは熱気に包まれていた。関西のサブカルチャーの発信地として知られる会場を埋めた観客たちは、パキスタンから日本に向かっているはずの「主役」を待ちわびていた。格闘ゲーム界に現れたスゴ腕チャンピオン。ネットで話題になると一気に有名人になった。「実力は本物なのか?」「まぐれでは?」。待ちわびる私たちに主催者は苦渋の表情で告げた。「アルスラン・アッシュ選手はパキスタンを出国できませんでした」(朝日新聞デジタル編集部・西田堅一)
さかのぼること3カ月。2019年2月、格闘ゲーム「鉄拳」の世界大会でノーマークのパキスタン人「アルスラン・アッシュ」が優勝した。
その後のインタビューで言い放ったのが「パキスタンには強い選手がまだまだいる」という発言だった。
少年漫画のような、格闘ゲームの世界から飛び出してきたかのような名言にゲーマーたちは胸を熱くした。その後の取材で、現地にはアッシュ選手以外にも通称「ラホールの強心臓」や「コンボの魔術師」「青シャツの神童」など、個性豊かな強キャラが実在すること明らかに。その実力を確かめたいと言う声がさらに高まっていった。
そこで、自身もプレーヤーで鉄拳実況アナの顔も持つ黒黒氏が主催者となりアッシュ選手と日本で対戦するイベントを企画。渡航費用をクラウドファンディングで募ると、たった6日間で目標額20万円を達成、最終的には目標の約2倍の金額が集まった。
イベント当日の5月2日、アッシュ選手を目当てに集まった取材班に、黒黒氏の口から信じられない言葉が飛び出した。
「アルスラン・アッシュ選手がパキスタンを出国できませんでした」。
今年に入って、インド・パキスタンの両国間では空爆が繰り返されるなど緊張が高まり飛行機が相次いで欠航。予約したラホール発の飛行機も欠航していた。
そんな中、アッシュ選手は地元ラホールからパキスタン国内を移動し、日本行きの便がある首都カラチまで来ていた。黒黒氏に手配してもらった航空チケットを手に、ようやくパキスタンを出国できるはずだった。
しかし、空港で肝心の出国許可が下りなかった。
黒黒氏が再度手配したチケットはパキスタン発日本行の1枚。パキスタン人が国外に出る際は帰りのチケットも必要だと言われ、出国が認められなかったのだ。
本来ならアッシュ選手が来日しているはずの会場。鉄拳の名だたる日本人プレーヤーたちとの対戦が予定され、ライブ配信も予告されていた。
絶体絶命のピンチ。その時……。
「僕がアッシュ選手の代わりに日本人プレーヤーと対戦しよう」
声の主は、アッシュ選手と対戦するために来日した韓国人トッププレーヤーKnee(ニー)選手。黒黒氏の友人でもあるKnee選手は、鉄拳の世界大会を何度も制し、この世界で最も尊敬と注目を集める一人だった。
ファンにとってはうれしいサプライズとなったKnee選手のはからいでうまれた時間を使い、黒黒氏はアッシュ選手になんとか日本に来てもらう方法を模索した。
黒黒氏は、すぐに帰りのチケットを用意したが間に合わず、アッシュ選手の出国は翌日となってしまった。
パキスタンに生まれただけで飛行機の乗り継ぎに時間制限がかけられたり、そもそも乗り継ぎができない国があったりという現実。
1日だけだったはずのKnee選手のイベントは翌日も継続された。
3度のチケット購入でクレジットカードの使用限度額を使い切った黒黒氏。そして、ようやく出国が認められた。
日本到着は予定から3日遅れのイベント5日目。
やっとアッシュ選手と対戦することができる。緊張した表情の日本人選手。アッシュ選手の実力が本物かどうか確かめるために集まった報道陣。そして、イベントやライブ配信を成功させるため準備に準備を重ねる黒黒氏……様々な思いを受けて、「主役」は登場した。
待ち焦がれたアッシュ選手の登場に沸く会場とは対照的に、「主役」のコンディションが万全ではないことは明らかだった。
パキスタン国内を移動し、空港内を駆け回り、その後日本へのロングフライト。対戦が始まる前だというのにその表情には疲労が浮かんでいた。
対戦「ルール」は「10先(さき)×10カード」。格闘ゲーム「鉄拳」は3ラウンドして2本先取した方が勝ちとなる。その勝ちを1セットとして10セット先取した方が勝ちになる。
通常の公式戦では「3先」や「2先」が一般的なことから、非常に長時間の対戦となることが予想される。
さらに今回は相手を代えながら、その「10先」を10試合連続でおこなう。格闘ゲームながら、まさに空手の百人組手を彷彿とさせる過酷さだ。
逆に言えばそれほど不利な状況でも勝利することができたならアッシュ選手の実力は本物と言うことになる。
観客は対戦相手と報道陣だけ、しかし世界にライブ配信されているという独特の雰囲気の中、ゲームが始まった。
「10-0」
それまでのトラブルを感じさせることなく、アッシュ選手は初戦を圧勝した。
その後も順調に対戦相手をなぎ倒していくアッシュ選手。
手元に注目すると、対戦相手と全く異なるコントローラーの入力モーションをしていることに気づく。現地で取材した際、話題になった「ピアノスタイル」だ。
ボタンの上に指を軽く置き、指の腹ではなく指先でボタンを静かに押す。その入力モーションには予備動作がほとんどない。
指を振り上げて強く振り下ろす動作のない、シンプルな動き。まるで脳から発信された電気信号が直接ゲームのキャラクターに届いているように素早くアッシュ選手の意図を反映していた。
アッシュ選手4連勝で迎えた5人目の対戦相手は、Knee選手だった。「鉄拳」世界最強と呼び声の高いKnee選手とアッシュ選手の対戦は最注目のカード。イベント中、2度マッチメイクされている中の初戦となる。
実はこの二人、過去に対戦経験がある。アッシュ選手が彗星のように現れた2019年2月の大会でアッシュ選手はKnee選手に勝利し、一気に注目度を上げた。
3カ月ぶりになる対戦は二人にとっても待ち望んだものだった。
ゲームスタート。一進一退の攻防が続く激しい闘い。結末は「8-10」でKnee選手の勝利だった。日本に来て初めての負けとなったアッシュ選手だが、この時すでに会場の誰もその実力を疑う者はいなかった。
敗戦を悔やむ間もなく次々と立ち向かってくる対戦相手。そんな激しい試合の中でアッシュ選手が急にゲームをやめてしまう場面があった。
「礼拝」だ。
パキスタン人のアッシュ選手は敬虔なイスラム教徒。ゆえに一日5度の礼拝は絶対に欠かさない。それはたとえ試合の最中であっても守らなければならない。
また食事休憩の際、黒黒氏はスタッフを呼びとめ細かくメニューを確認してから買い出しを頼む。イスラムで食べてはいけない豚肉などを誤ってアッシュ選手に食べさせないために細心の注意が払われていた。
この日8戦目、アッシュ選手が初めて日本人選手相手に追い込まれる。今回参加した日本人選手で屈指の実力者である破壊王選手との対戦だった。
途中まではアッシュ選手が順調に勝ちゲームを重ねていたのだが、ステージが破壊王の使用するキャラクターの有利なステージに変わったところから潮目が変わる。そこから連続で破壊王選手がゲームを取り、波に乗る。
この時点で軽く80ゲーム以上を戦っているアッシュ選手の集中力に限界が来たかに思われた。しかし、最後の最後に追い込まれてからアッシュ選手は驚異の集中力を見せる。
厳しい状況、そして会場の空気もこの時ばかりは完全に破壊王選手に傾く中、最終セット・フルラウンドの末、アッシュ選手は勝利した。
会場は自然と拍手に包まれ、この日一番の盛り上がりを見せた。しかし、伝説はこれで終わらなかった。
8勝1敗という驚異的な成績で最終試合を迎えたアッシュ選手。その10戦目にして最後の対戦は、2戦目となるKnee選手だった。
出国トラブル、ロングフライト、112ゲームの闘いを経て疲労困憊の中で、今回の対戦相手で最も強いとされ、さらに唯一負けている選手との再戦。試合前の大方の見方はアッシュ選手に厳しいものだった。
しかし、いざ試合が始まるとアッシュ選手が序盤から猛然と攻め立てる。イベントが6時間を超えたあたりからアッシュ選手が見せていた疲れを示す行動、具体的には目頭を押さえたり、上を向き目をつぶるなどの動きが一切無くなった。そればかりか時に笑顔を見せながらプレーをしているのだ。
ある種の「ゾーン」に入ったかのようなアッシュ選手の猛攻に、実況の黒黒氏は「時代が変わるのか! 時代が変わってしまうのか!」と叫ぶ。アッシュ選手の勝ちが続き、会場が異様な空気に包まれる。
アッシュ選手、Knee選手ともに使用するキャラクターは変わっているものの、アッシュ選手は明らかに1戦目を経験してKnee選手の戦い方にアジャストしていた。
終わってみれば、アッシュ選手が「10-3」でKnee選手に完勝。アッシュ選手選手が5試合目の借りを返す形となった。試合後、二人のヒーローは笑顔で握手を交わした。
この日のアッシュ選手の総合成績は9勝1敗。この圧倒的な成績はアッシュ選手が「本物」であることを示すのに十分な結果だった。
試合後、過酷な闘いを終えたばかりのアッシュ選手に話を聞いた。
――このイベントに対する感想は?
とても素晴らしいイベントだと思います。
ツイッターを見ると、多くの人がこのイベントを見てくれているようでした。
かなり人気のようです。
クロクロさんに招いていただいて、とてもうれしいです。
多くの人の助けで大阪に来られたので、みんなに感謝です。
特にクロクロさんの努力に感謝したいです。
――日本はどうですか?
日本人はとても優しいです。
私はパキスタンの家にいるような居心地の良さを感じます。
――出国時にトラブルがあったそうですが、その原因についてどう思いますか?
インドとパキスタンの戦争が原因で、最初のフライトに間に合いませんでした。
だから戦争はイヤですね。
でも今は徐々に普通の生活に戻りつつあります。
――このイベントを見てくれた人に伝えたいことはありますか?
私はすべての日本人選手、そして韓国人選手にメッセージがあります。
あなたたちはパキスタンへ行くことは面倒で、そして困難だと思っているでしょうが、そんなに心配は要りません。
多くの選手たちがパキスタンで練習し、とても強くなっています。
だから日本人や韓国人の選手たちに言いたい。
パキスタンに来れば、私たちはサポートします。
さらに強くなれますよ。ぜひパキスタンに来てください。
インタビューでアッシュ選手は、イベントで接した人々への感謝、そして、その人々を自国に招待して恩を返したいという純粋な想いを言葉にしていた。
Knee選手との2戦目、最終ゲームを見守る会場は、まるで平成3年に貴乃花(当時貴花田)が千代の富士を寄り切った時のような盛り上がりと感動に満ちあふれていた。
五輪への採用も検討されている「eスポーツ」。あの場の興奮と感動は、どんなスポーツイベントにも引けを取らない時間だった。
そして、忘れてはいけないことがある。
2019年7月現在、外務省はアッシュ選手の住むラホールへの不要不急の渡航を止めるよう勧告している。そして、パキスタン国内には渡航中止勧告や退避勧告が出されている地域も多く存在する。
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