連載
#27 #withyouインタビュー
平野啓一郎さん、孤独だった中学時代 「援軍」との出会い
「マチネの終わりに」が映画化されるなど活躍する作家の平野啓一郎さんですが、中学校生活は孤独だったと振り返ります。「友達は好きだったけど、ズレも感じていた」。そんな時、一人の作家に出会います。「この町から出たい」と思いながら過ごす日々の中で、居場所になったのは「僕と同じことに悩んでいる」という作家の存在でした。「この学校イヤだな」。そんな時の「考え直し方」を聞きました。
平野啓一郎さんのメッセージ
父を1歳で亡くし、幼い頃から「人が死ぬ」ということについて考えさせられることが多かったです。当時は父親がいないというのは「普通」ではなかったので、保育園などで先生が「父の日だから、お父さんの絵を描きましょう」と言ったりしたときに、遺影で知っている父を描いた方がいいのか、父親代わりで一緒に生活していた母方の祖父を描いた方がいいのかわからないというような経験がありました。でも、友達とその問題を共有することは難しかったですね。
中学くらいから多読になり、クラスメートとは興味の対象がズレていき、学校はつまらないと感じていました。友達は好きだったのですが。
ただ、文学や音楽から刺激を受けているときは、楽しさを感じる時間でした。
中学生の頃、生や死がどういうことなのかなど、形而上学的な悩みを抱えていました。その頃、(ドイツの文豪)トーマス・マンの作品に出会い、「自分という人間をどう考えるか」ということを学んでいきました。彼の小説には、自分の心情に近いことが書かれていたんです。
単純な考えではありましたが「僕の悩みとか考え方は、学校の友達に話してもまったく理解されないけど、トーマス・マンというノーベル賞作家は僕と同じことに悩んでいる」と思うと、心強い援軍を得たような気がしました。
教室にいて、自分の意見が受け入れられないときに感じる疎外感は、よく分かりますし、僕も孤独を感じたこともありました。そういうときに、文学なり、アートなりが、必ず、自分を受け止めてくれる存在になってくれると僕は思います。
「未来」も重要です。
僕は中学生の頃から「この町から出たい」と思っていました。電車通学の間、寂れ行く工業地帯を見ながら行くんです。あくまで当時の心情で、今は地元で暮らしている人たちに共感と敬意を抱いてますが、「この町の片隅で、自分にとっても他人にとってもどうでもいい人間として生き、死んでいくんじゃないか」という気持ちが強くありました。ポジティブな「ここから出たい」という気持ちではなく、不安感から「ここにいたくない」という気持ちを持っていました。大学で京都に出て、一旦、閉塞感からは解放されました。
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