連載
#26 「見た目問題」どう向き合う?
髪を抜き続けた30年、夫にも秘密に 「私たちは美しい」と思えるまで

髪がなくても、女性は生き生きと輝ける――。かつて髪に強いコンプレックスがあった土屋光子さん(39)は今、そんな信念を持っています。土屋さんは約30年間、自分で自分の髪を抜くことをやめられない「抜毛症」に悩んできました。3年前にブログで公表し、自ら髪を剃(そ)り上げ、病気を治そうとしない道を選びました。「抜毛症と向き合わず、幸せを他人に依存する自分と決別するためだった」と言います。
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土屋さんが髪の毛を抜き始めたのは、小学校低学年のころ。姉が枝毛を抜く姿を見て、まねをしたのがきっかけでした。「プチッ」という感覚が気持ちよく、やめられなくなってしまいました。
「父と母が不仲で、よく言い争いをしていました。それが原因かどうかはわかりませんが、ストレスを感じていたのは確かです。母は髪を抜く私を見て『私のせいでこうなっちゃった。ごめんね』と言いました。私は母のことが好きだった。でも、母に『ごめんね』と言われ続けたため、私もいつしか、『お母さんのせいだ』との思いが強くなってしまいました」
「抜毛を『してはいけないこと』と思いました。髪を抜かないように、寝るときに手袋をしたり、テレビを見るときに手に物をもったりと、いろいろ工夫もしました。でも、やめられない。『どうしてだろう……。私はダメな人間なんだ』と自分を責めました」
髪の毛は頭のてっぺんから、徐々になくなっていきました。髪の毛を結んだり、襟足ウィッグを使ったりして隠しました。「ばれてはいけない」との思いが強かったと言います。
「日に日に醜くなっていく恐怖心。周りの視線が気になりました。はげ頭を見られることは、私にとって下着を見られるのと同じくらいの恥でした。背の高い男子が近づいてきたら避けました。ばれないことが何より重要なことでした」
「小学校高学年のとき、両親が離婚。父親と姉の3人で暮らすことになりました。中学生のころ、父が育毛剤を買ってきました。父なりの気遣いだったと思います。でも『余計なことをしないで』『その話題に触れないで』とうっとうしく感じました」
高校生になると、髪の毛がない範囲がサイドまで広がり、ヘアスタイルでは隠すことができなくなりました。焦った土屋さん。数十万円するカツラを購入するため、母親からお金をもらいました。
「母に『あなたのせいでこうなったからお金を出して』と詰め寄りました。当時は精神的に荒れていて、親の事情を考えたり、思いやる気持ちを持つことはできませんでした」
高校を卒業。ヘアメイク、エステティシャン、一般企業、芸者など様々な職を経験します。ただ、髪の毛を抜く症状は治らず、ウィッグは欠かせませんでした。32歳のとき、芸者の先生と結婚。2人の子どもにも恵まれました。
「夫にも抜毛症を隠し続けました。自分自身が抜毛症であることをまったく受けいれていないのに、他人に伝えることはできませんでした。たとえ、夫であっても」
「髪の毛を抜くことがやめられないのは『きっと私が寂しいから。自分が愛されていないから』と思い込んでいました。だから幸せな家庭を築けたら、自然に治るだろうと期待しました。でも、結婚しても、子どもが生まれても治りませんでした。抜毛症も心の寂しさも、他人のせいにする自分がいました」
土屋さんは「隠し続ける人生」に疑問を感じるようになりました。
「子どもが2人生まれ、これからお金がかかるときに、ウィッグに数十万円ものお金を使うことがもったいないと思うようになりました」
「そして、幸せや愛を他人に求めるばかりで、私自身が抜毛症や自分と向き合っていないことに気づいた。抜毛症であることを否定せず、ちゃんと向き合ってみよう。抜毛症であることも含めた自分を、丸ごと愛してあげられるようになりたいと思いました」
土屋さんは夫に髪がないことを初めて告白。「もうウィッグにお金を使いたくない。剃っちゃおうと思う」と伝えました。すると、夫は「尼さんみたいになるんだね。御仏(みほとけ)につかえる身になるんだね」とユーモアで返してくれました。そして、2016年9月、ブログで抜毛症を公表しました。
「ブログに公開したのは、抜毛症を受け入れ、共に生きる覚悟を示すためでした。とはいえ、やっぱり怖かった。髪の毛をそる2日前には全身にじんましんがでました」
夫への告白、ブログでの公開を通し、土屋さんは「隠さなければならない」「抜毛症を治さなければならない」という執着心から解放されたと言います。
「治ったらいいな、という思いは今もあります。でも治そうとは思っていません。髪が伸びてくると、今も髪に手が伸びます。かつては『ダメなことをしている』と自分を責めました。でも今は『あっ、また抜いちゃったよ!』くらいにしか思いません。髪を抜いてしまうことを、自分の一部として認められるようになった」
土屋さんは今、髪のない女性が生き生きと暮らせる社会を目指す団体「ASPJ(Alopecia Style Project Japan)」の中心メンバーです。スキンヘッドのパフォーマーとしても活動し、自分の経験をファッションやアートを通して届けたいと考えています。
「抜毛症だけでなく、円形脱毛症や抗がん剤の副作用などが原因で、髪を失う女性はたくさんいます。『髪は女のいのち』という価値観に、当事者たちは苦しんでいます」
「ASPJでは、病気を治すことにこだわるのではなく、『楽しいこと』や『心地よいこと』にフォーカスしています。患者である前に、私たちは女性。交流会ではファッションやメイクを楽しんだり、お互いの経験や知識をシェアしたりしています。交流会に参加し、『一人じゃなかった』と涙を流し、かつらを人前で初めて外してくれた方もいました」
「髪のない女性は、『隠さないといけない』という意識が強く、オシャレを純粋に楽しみづらいんです。例えば、化粧品売り場のコスメカウンターに足を運べません。店員に前髪をかき上げられ、ピンでとめられると、ウィッグがずれる恐れがあるので」
ASPJでは今、クラウドファンディングに挑戦しています(8月8日まで)。
「全国各地で、ASPJの交流会や、プロのカメラマンに綺麗な姿を撮ってもらうイベントを開きたいと思っています。地方に暮らす方々は、こうしたイベントが少ないと聞いていますので」
「おしゃれを楽しむ私たちの姿を見て、思春期の当事者に『髪がなくてもきれいだなぁ』と感じてもらえたら。女性の美しさを決めるのは、髪の毛ではなくて、その人の生き方。髪のない自分を受け入れ、美しくなろう、幸せになろうと前を向く女性は美しいと思います」
「カミングアウトやウィッグを外すことを勧めているわけではありません。隠したい人は隠してもいい。ウィッグでも、素頭でもいいんです。私もファッションの一部として、ウィッグを楽しんでいます」
「髪がない自分を責めずに、許してあげてほしい。そして、オシャレを純粋に楽しんで、もっと自分を好きになってもらいたい。それが、私が当事者に伝えたいメッセージです」
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