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<金正男暗殺を追う>検察が突然、罪名変更 「死刑」免れた真相
金正男(キム・ジョンナム)氏に毒を塗ったとして、殺人罪(死刑)に問われていたベトナム人のドアン・ティ・フォンさん(31)に、判決が下ったのは、エイプリルフールの朝だった。予定されていた審理が端折られ、急に言い渡された判決には「これで裁判に関わる人の時間が節約できる」という驚きの内容も盛り込まれていた。国際社会を揺るがせた暗殺事件、運命の「判決理由」を追った。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
4月1日、裁判所では被告人質問が予定されていた。フォンが初めて自らの言葉で、裁判官に訴えを届ける機会だ。フォンにとっては死刑を回避できるかどうかの大きな分かれ道だった。
ところが、朝8時過ぎ、裁判所に護送されてきたフォンに、緊張した様子はなかった。普段は力なく顔を伏せて裁判所に入るところだが、この日は眉をきれいに整えて化粧をしていた。裁判所にはベトナムから父タインさんも駆けつけていて、何らかの「異変」を予感させた。
開廷後、検察が文書を読み上げると、傍聴席がざわめいた。検察が突然、フォンの罪名を殺人罪(死刑)から罰則がより軽い罪に変更したいと提案したのだ。その刑は、マレーシア刑法の324条。「危険な凶器で傷害を負わせた罪」(最大禁錮10年)だった。
検察の提案の裏には、ベトナム政府からの強い働きかけがあった。すでに3月11日には、もう1人の実行役のインドネシア人被告がインドネシア政府からの働きかけなどで釈放されており、ベトナム政府も「同じように便宜を」と要請していた。
ここで注目されるのは、検察が2被告の処遇に差を付けたことだ。インドネシア人被告については「無実ではないが起訴を取り下げる」として釈放したのに対し、フォンについては「空港という公共の場で行われた重大な犯罪」だとして刑罰を求めた。検察はその理由を明かしていないが、フォンはインドネシア人よりも強い証拠が見つかっていて、放免しにくい状況にあったのは確かだ。
フォンは検察の提案に従った。「危険な凶器で傷害を負わせた罪」への変更を受け入れ、罪を認めた。それが死刑から逃れる、数少ない道だった。
フォンの弁護士は、裁判官に訴えた。「フォンは貧しい家に育った末っ子です。うぶで、用心深さを欠いていました。そこに北朝鮮の男たちがつけ込み、架空の撮影話を持ちかけて、彼女を操ったのです。どうか、情けを」
裁判官はフォンに向かって、語り始めた。「あなたは本当に幸運と言うほかない。有罪なら死刑となる殺人罪から、軽い罪に変えてもらったのだから」。続けて、酌むべき事情も説いた。「あなたに前科がないことや、まだ若いことに加えて、あなたが罪を認めたことで、裁判に関わる人たちがこれ以上時間を費やさなくてよくなったことも考慮に入れて、禁錮3年4カ月とします」
3年4カ月という刑期は、実は「遠からず釈放される」ことを意味していた。これまでの勾留期間などを差し引くと、残る刑期は1カ月余り。フォンは近く刑期を終えて、帰国する見通しとなった。
閉廷後、フォンは弁護士と肩を寄せ、記念撮影した。集まった記者に「やりたいことは?」と問われると、しまい込んできた思いを口にした。「私は歌いたい。女優になりたい」
裁判は終わり、被告は去る。事件が語れることも減るだろう。弁護士は裁判後、こう言い残した。「正義はまだ、果たされていない。北朝鮮の男たちが、裁かれるまでは」
【フォンの歩み】(捜査資料や供述調書から)
1988年 ベトナム北部ナムディン省で生まれる
2010年 ハノイの大学で学ぶ
2014年 ハノイのレストランやバーで働く
2016年4月 ユーチューブの番組に出演
2016年6月 オーディション番組「ベトナム・アイドル」に出演
2016年12月 北朝鮮の男に「いらずら番組」に出ないかと誘われて快諾
2107年1月 ハノイやプノンペンなどで「いたずら」の撮影
2017年2月4日 北朝鮮の男とともにハノイからマレーシアに移動
2017年2月11日 事件当日と同じ場所で「いらずら」の撮影
2017年2月13日 正男氏の顔に液体を塗る「いたずら」の撮影、正男氏は死亡
2017年2月15日 正男氏殺害の実行役として殺人容疑で逮捕される
2017年10月2日 初公判で無実を訴える
2019年3月11日 政治判断などで、もう1人の実行役のインドネシア人被告が釈放される
2019年4月1日 政治判断などでフォンの罪名が殺人罪(死刑)から罰則の軽い刑に変えられ、禁錮刑を言い渡される
2019年5月3日 刑期から逮捕後の勾留日数が差し引かれるなどして入所から約1カ月で出所、ベトナムに帰国
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