お金と仕事
孤独死は「大人のひきこもり」の最終地点か 高齢者問題ではない現実
孤独死の取材を始めて、4年が経つ。
私はその間、様々な孤独死現場を訪ね歩いてきた。孤独死の現場で感じるのは、社会で崩れ落ち、立ち上がれなくなった人たちの姿だ。
年間3万人と言われる孤独死だが、ひときわ現場で目立つのは、高齢者ではなく、現役世代だ。
孤独死者の属性は、近年社会問題となっている大人のひきこもりとリンクすることが多い。
孤独死した人は、何らかのきっかけで人生でつまずき、ひきこもるようになってしまった人ばかりだ。
また、ひきこもりではなくとも、かろうじて仕事には行っているものの、一たび部屋の中に入ると、ゴミ屋敷のようなセルフネグレクト(自己放任)に陥っていて、自らを死に追い込むような生活を送っている。
いや、そんな生活を送らざるを得ないほど、社会や親によって傷つけられ、立ち上がることすら困難だったというのが真相である。
そんな大人のひきこもりが迎える最終地点は、孤独死だ。
孤独死した人の人生をご遺族の話や遺品からたどっていくと、いびつな社会の実態がまざまざと浮かび上がってくる。
男性は会社組織での権力闘争やパワハラ、ブラック企業での長時間労働、女性は会社組織での理不尽なトラブル、離婚や死別、失恋などをきっかけに、心を病むなどして、セルフネグレクトに陥っていたことがわかった。
ある大手手業に勤めていた40代の男性は、職場のパワーゲームに巻き込まれ、子会社に左遷、そこからアルコールに溺れ、家に引きこもるようになり、孤独死した。
また、一部上場企業に勤めていた50代の男性は職場の上司からパワハラに遭い、20年以上に渡って引きこもり、熱中症で孤独死した。東日本大震災で物資がなくなったという恐怖心からタワーのように異様なお菓子の防壁を築き、部屋のドアは一面カビまみれだった。
「孤独死する人は、真面目でうまくこの社会で生きられない人、生きるのに苦しんでいた人たちばかりです」
原状回復を手掛ける特殊清掃業者から出てくるのは、そんな言葉ばかりだ。
「いい人」「うそを吐けない人」「心の優しい人」「真面目な人」が、社会からひっそりと脱落し、引きこもるようになり、その後遺体が何日、何カ月も発見されないという事実に、私は打ちのめされた。
それは、決して私の人生と生前の彼らの人生とが無関係であるとは思えなかったからだ。
私自身、引きこもりの当事者でもある。小学校時代からいじめに遭い、それがきっかけで中学1年から2年間は不登校となり、完全なひきこもりになった。
私が長年にわたって孤独死現場の取材を行っているのは、私と彼らを隔てるものが、ほとんど何もないと感じるからだ。
先日、九州地方に住むゴミ屋敷に住む40代の女性を訪ねた。
「私の体ってもしかしたら、におうかもしれない。それでも大丈夫ですか。会ってもらえますか」
「気にしないから大丈夫」というと、彼女は少しほっとした表情を見せた。
彼女は3日もご飯を食べていなかった。親とも不仲で友人もおらず、誰も頼れない。
会社でパワハラを受けて左遷され、それから会社を休職中で、精神疾患を患っていた。
エアコンはとうの昔にホコリが詰まって使用できなくなり、40度は下らない蒸し暑い室内にごみを積み上げ、その真ん中にくぼみを作って、体を横たえていた。
心の寂しさを埋め合わせるように、話を誰かに聞いて欲しくて占いにハマり、借金は400万円にふくれあがって、その返済から食費が捻出できずにいた。
こうなったのは全て自分が悪い。生きるのが苦しく、死んでもいいと思っていると、自分を責めていた。
職場の人と道ですれ違うのが怖く、真夜中にしか出歩けないと打ち明けてくれた。
その瞬間、かつての私も同じ気持ちを感じたことがあることを思い出した。
私もひきこもりだったときは近所の人の目が気になって、外出することすらできなかった。
近所の人とすれ違うとジロジロ見られているような気がして、スーパーでさえ行くのが怖くなった。
昼夜逆転の生活を送り、いつも死にたいと思っていたが、かろうじてパソコンでネットにかじりつく日々が続いた。
当時の私と同じく、彼女もネット=スマホだけが世界とつながる手段だった。そして、Twitterを通じて、私に連絡してきたのだった。
このような窮地は、果たして彼女が言うように、自己責任なのだろうか。私はとてもそうは思えない。現在彼女は、友人の民間のサポート生活団体をつなぐことで、手助けを経て、少しずつではあるが、前を向こうとしている。
私は、現役世代の孤独死にスポットを当てた記事を何度も何度も発信し続けている。
なぜ、孤独死が多い社会になっているのか。なぜ私や彼女はこんなにも生きるのが苦しいと感じているのか。そして、どうすればこの社会はそんな状況から脱することができるのか。
前述したように年間3万人が孤独死しているが、実数は5万人とも6万人に及ぶとも推測されている。
原状回復を手掛ける特殊清掃業者は年々増え、今この瞬間も、彼らはひっきりなしに過酷な孤独死現場と向き合っている。現に私のもとには特殊清掃業者から、今月も孤独死の依頼が殺到していると情報が寄せられている。
孤独死は梅雨の時期から一気に増え始め、秋には収束する。
孤独死といっても、布団でポックリ突然死するというケースは実は少数派だ。
数時間あるいは数日生存していたというケースも多く、か細い声で外に助けを求めていたという例もあるし、苦しみにあまり玄関にたどり着こうとしてその導線で亡くなっていることも少なくない。
私はその故人の物語というミクロの視点で孤独死現場を取材し発信し続けているが、日本社会が抱えるこの途方もない闇の正体はまだつかみきれずにいる。
◇
菅野久美子(かんの・くみこ)1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。最新刊は、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)。
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