感動
7年後に発覚した双極性障害 それでも家族が壊れなかった理由
仕事にやりがいを感じ、帰宅が深夜になることが当たり前だったのに、突然起き上がれなくなり、「うつ病」と診断される。そして7年後 実は「双極性障害」(双極症)と分かる――。「病気になったばかりのころ、同じ病気の人が書いた闘病記を必死に探しました」。そう振り返る海空るりさんが、今年、自身の闘病記を一冊の本にまとめました。ひどい時は、ネットで本を買いまくり、1000万円のクルーズ旅行を予約したり、1億円の家を買おうとしたりしたことも。それでも、夫と小学生の子ども2人の家族が崩壊せず、「寛解」にたどり着きました。適切な治療や福祉サービスなどソーシャルリソースの存在と、それを知るための人間同士のネットワークの大切さについて考えます。
自宅を訪ねると、海空さんと夫が出迎えてくれました。ともに40代。子どもはお稽古ごとで外出中でした。大きなテーブルを囲み、2005年の発症前後の生活から振り返ってくれました。
「2003年に結婚しましたが、ほとんど新婚生活というものがなかったですね」
海空さんがこう言うと、夫もこう付け加えました。
「付き合っていたころから、ワーカーホリックだったからな」
海空さんが取り組んできた活動が社会的に評価され、大学勤務という希望の職種・職場に就けたところでした。深夜に帰宅ということが多くなり、結婚後も夫は「相変わらずやっているな」と思っていたところでした。
ところが、希望の職場で働き始めてから1年後、海空さんは異変に気付きました。
「ある日突然起きられなくなって、定時に職場に行けなくなったんです」
まもなくして全く職場に行くことができなくなりました。夫が、嫌がる海空さんを病院に連れて行くと、「うつ病」と診断されました。
休職し、治療を始めますが、処方薬の効果があり、不調がうそだったかのように朝早くに目が覚め、「もう治ったんだ」と思ってしまうほどでした。それでも、家事はできても、パソコンで作業をしたり、外出するのに化粧をしたりすることはできないままでした。
「私は仕事を始めるとアクセルを踏みっぱなしにして、ブレーキをかけられなくなり、みずからを過労に追い込んでしまう」(著書抜粋)
こう考え、発症から半年後に退職したそうです。
症状が落ち着くと、それまで仕事一辺倒で考えてこなかったことを考えるように。
「子どもが欲しい」
仕事を辞め、子育てをする時間的余裕があると考えたからです。医師には服薬中でもあり、「今は勧められない」と言われました。服薬による胎児への影響や服薬を休止して体調が崩れた際に抗うつ薬が使えないこと、体調が良くなっても1年は服薬を続けた方がいいことなどの説明を受けたそうです。
「心の風邪」
こういう表現をよく聞くことがありますが、海空さんも、この言葉がイメージさせるように、軽い病気という認識だったそうです。退職後、1カ月後に妊娠。医師に告げるとすぐ断薬となり、「もう、うつは治ったんだ」と理解していたそうです。
妊娠中からフリーランスで仕事を再開し、2007年に出産後も育児に、仕事に「絶好調」でした。ところが、出産から8カ月後、また動けなくなったそうです。著書でこう反省しています。
「今、考えると、躁転していたのだろう。出産後、すぐに医師に診察してもらい、私の様子を診てもらえばよかったのに、妊娠・授乳中は薬を飲んでいなかったので、病院からは足が遠のいていたし、調子がよかったのでもう治ったかと思い込み、受診しなかった」(著書抜粋)
海空さんが、双極性障害と診断されるきっかけとなったのは、東日本大震災での避難生活でした。
震災は、2人目の子どもを出産してから1カ月後のことでした。家で仕事をしていた夫と、産後ヘルパーと一緒にマンションの外に駆け出しました。1週間してもドラッグストアに粉ミルクが並ばない。「子どもが餓死するのでは……」と不安になり、神奈川県から西日本の地方都市に子ども2人を連れて避難生活を始めました。
そこで海空さんのアグレッシブな面が顔をのぞかせます。自分の避難生活先で、ある自治体関係者から「福島県などから県外避難した人たちには必要な支援物資が届いていないのではないか」という話を聞きました。それをきっかけに、近所にちらしを配って支援物資を集め、自治体に寄付する活動を始めました。
その後、家賃の負担が重くなり、2カ月で夫のいる自宅に戻ると、その1カ月後、また動けなくなったそうです。
下の子どもを遠方に住む夫の母親に一時的に預かってもらい、寝込んでから1年経ったころ、海空さんの母親に大学病院での診察を勧められました。2泊3日の検査を受けると、「双極性障害」だと分かったそうです。2012年夏、「うつ病」と最初に診断されてから7年が経っていました。
双極性障害は、躁状態とうつ状態を繰り返す病気で、躁状態は病気の認識がない場合があり、うつ病と間違われることがあると言われています。治療法も違います。
海空さんも新たな治療が始まりましたが、躁状態のときには「家族に迷惑をかけた」と、今振り返っています。
例えば、本をネット販売で購読しまくり、1人1000万円もする豪華クルーズ船旅行の見積もりを送ってもらい、1億円以上する家の購入手続きを始め、夫がキャンセルに走り、謝罪して回りました。
このように、夫にとっては躁状態のときの方が大変だったそうです。ただ、こういうことの繰り返しから適切に薬を服薬していないことに気付いた夫が、医師と相談し、正しく服薬することに注意をするようになると、まもなくしてこのようなことがなくなってきたそうです。
「うつ状態のときは寝ていることの方が多いですが、躁状態になるとやり散らかすので大変でした」(海空さん)
働き盛り世代の家族が、うつ病や双極性障害を発症すると、家族関係にひびが入ってしまうことがあります。海空さん夫婦は、そこをどう乗り越えてきたのでしょうか。
夫はこう振り返ります。
「いくつかのファクターがあると思います。もし、ひどいうつ状態や躁状態に対応すると言っても、サラリーマンだと時間が割けないですよね。我が家は私が起業していて、フリーランスのような状態だったので、対処する時間と環境がありました」
そしてもう一つはこう言います。
「僕の人格が出来ていたのかな(笑)。僕は楽観的な人間なので、絶対なんとかなると考えるとともに、がんばりすぎないようにしていました」
こう話すと、海空さんからも笑い声が漏れます。
海空さんが「子どもがいたことが大きいのかな」と言うと、夫は「面倒くさいから、子どもを連れて別れようという発想はなかったですね」と返します。
家族がバラバラにならなかったのはなぜか?
夫はこう言います。
「俺がこれだけ働いているのに妻は寝ているとか、公平さを考え出す人がいますが、僕は比較する発想はなかったです」
また、海空さんの場合、正しい診断まで時間がかかり、それまでの間には、個人の判断で断薬してしまうことが度々ありましたが、その後、正しい診断と適切な服薬により治療効果が出ていたことも背景にあったそうです。
夫や2人の母親の支えも大きかった海空さんですが、社会的なサポートも欠かせなかったと振り返ります。
「赤ちゃんが泣いても、起き上がれませんでした。無認可保育園に午後5時まで預けられたので助かりました」
夫もこう言います。
「子育てが好きなので苦にならなかったです。保育園に迎えに行くと、子どもが僕のことを『ママ』と呼んでいました」。
加えて、「ヘルパーさんの存在も大きかったです」と海空さんは指摘します。
家事支援サービスです。自治体によって制度が違い、独居の高齢者の人向けに行う自治体もあれば、障害者の人向けにも行う自治体があります。また、夫が居ると家事支援サービスの対象外になる自治体も少なくありません。海空さんの場合、最初は産後支援のためのヘルパーの制度を利用し、その後は障害者支援のためのヘルパーに切り替えたそうです。
「寝たきりになると、私も子どもも食べることができない状態になります。部屋はぐちゃぐちゃですが、食事や洗濯を手伝ってもらいました」
そして、子どもの入浴。
そこは保育園の友だちのママが助けてくれたこともあったそうです。
夫はこう振り返ります。
「これからの時代は、ソーシャルリソースをどれだけ持てるかでしょう」
海空さんもこう言います。
「障害年金の制度やヘルパー派遣の制度を知ったのは、ツイッターを利用した患者同士の情報のやりとりからでした」
「病院の中には、ソーシャルワーカーと接点がなかったり、患者会がなかったりして、十分な情報が得られないこともあります」
だからこそ、患者や家族が手にとって読みやすい厚さの本『うつ時々、躁 私自身を取り戻す』(岩波ブックレット)を執筆しました。そこには、11のポイントについて、アドバイスがまとめられています。
① 主治医を見つける
② 病歴をまとめる
③ 薬物療法を受ける
④ 生活リズムを整える
⑤ 病気について学ぶ
⑥ 躁うつのコントロール
⑦ 心理社会的治療を受ける
⑧ 補完代替療法を受ける
⑨ 家族の協力を得る
⑩ 福祉サービスを活用する
⑪ 同病患者との交流
今、夫婦が心がけているのは、再発しないためにどうするかという点です。
勝手な断薬はしないことはもちろんですが、がんばりすぎないことにも気をつけています。
「元気になると元の自分が出てしまいます。自分のマネジメントが大切です。だから、がんばり方を変えました。1日3時間だけ活動するとか。今はスマホのカレンダーで予定を入れていい日といけない日を作るなど、可視化する工夫をしています」
夫もこうアドバイスします。
「外に出すぎていると、翌日動けなくなります。体調を崩す前の小さなサインを周囲の人、観察力のある人が見逃さないことだと思います」
突然にうつ,そして七年後には「双極性障害」だとの診断.子育ての悩み,寛解に向けての日々を綴る.
私が海空さんと知り合ったのは、まさに最初にうつ病と診断される前のワーカーホリックと言われるころでした。手がけていた大学での仕事も、ビッグピクチャーがあり、研究者だけでなく、様々な人たちが学び合い、社会を動かしていこうというミッションを掲げていたことを思い出します。
医療分野の取材経験から、うつ病は再発を繰り返すことがあり、双極性障害は新しい薬が出てきたものの早期に診断しにくい病気というイメージがありました。ただ、ここ数年は、リワークと言われる復職支援のプログラムに取り組む医療機関なども増え、再休職にならないように注意する企業もでてきています。
2000年代前半は、「患者学」的な研究をする人が社会で注目され始めた時代です。医療者も、患者から学ぶとともに、患者やその家族も先輩患者やその家族から学ぶ、という動きです。その一つが「闘病記」であり、「闘病記文庫」を病院内に設置する動きでした。
もちろん、治療法は変わるし、生存率や寛解率などのデータも新薬の登場で変わっていきます。また、ケアへの考え方も変わってきています。自分と同じ病気、同じような家庭環境の患者が、どのように闘病生活をして、どのような経過をたどったのか。海空さんが、それを知りたくなった気持ちは、多くの病気の患者に共通するでしょう。
本が売れなくなり、まず、インターネットで情報を探す時代。使い方によっては便利なブログやSNSの書き込みですが、非科学的な情報もあふれています。その見分け方は十分注意が求められます。
海空さんは、著書の最後に「患者の心得」として、11項目を挙げ、アドバイスをしています。11番目が「同病患者との交流」として、患者会への参加を挙げています。病気のことだけでなく、生活も含め、経験者やその家族、行政機関や医療機関の関係者らによる情報が集まっているからです。
治療だけでなく、生活支援も含めた患者や家族のためのポータルサイト、情報サービスがあったらいいな、と痛感しました。もちろん、あらゆる疾患について、ワンストップで身近で必要な情報が得られるためのものです。
あらためて海空さん夫婦を訪ねると、夫はこう話してくれました。
「もし、妻がシングルマザーで病気を発症したら、住む部屋さえ借りられなかったでしょう。貸す側は、『お金は大丈夫?』『後見人は?』と考えるからです。妻のような病気に対して、タブー視しない人たちが周囲にいて手を差し伸べてくれたことが大きかったと思います」
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