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「気まぐれ」解散風はやんだのか 永田町の疑心暗鬼が消えない理由
「風というものは気まぐれで、誰かがコントロールできるようなものではない」。安倍晋三首相がそう語った衆議院の「解散風」は、吹いているのかいないのか。夏の参院選にあわせたダブル選挙は見送られましたが、政治家がひしめく永田町では疑心暗鬼が尽きません。そもそも「解散風」って、どんな風?(朝日新聞編集委員・藤田直央)
*通常国会閉会時の安倍首相の記者会見での発言を受け、6月27日に内容を更新しました。
冒頭の安倍首相の言葉は、まだダブル選挙あるかもと永田町で語られていた5月末、経団連総会でのあいさつで出ました。トランプ米大統領とのゴルフの話から「風という言葉には今、永田町も大変敏感なんですが」とあえて言及。笑顔で「マスコミが聞いているので風の話はこれ以上はやめたい」と語りました。
そんな永田町界隈で、昔から吹いたり止んだりの「解散風」。まずその「解散」ですが、日本中の衆院議員465人を任期4年の途中で選び直すために、一斉に失職させることです。すべての衆院議員が一気に「クビ」宣告を受けます。
この解散は憲法に根拠があり、実際は内閣を率いる首相に権限があります。戦後に今の憲法が施行されてから衆院選は25回を数えますが、任期満了によるものは一度だけ。ほとんどが首相の解散による選挙です。
首相は衆院で多数を占める与党のリーダーが兼ねるのが基本ですから、衆院選で勝って政権を維持したい首相にとって、ちゃぶ台返しをできる解散権は「伝家の宝刀」と言われるのです。
では「解散風」が何かといえば、近いうちに首相がその伝家の宝刀を抜くのでは、と取りざたされる状態です。20年も政治記者をしていてこれをどう説明するか、今も難儀するのですが、たとえをひねり出してみました。恐怖の抜き打ちテストです。
「永田町大学」では卒業は4年間の成績次第という建前なのですが、2~3年に一度の抜き打ちテストで赤点を取ると退学という習わしがあります。テストはいつあるのだろうと学生たちは教授の顔色をうかがい、言葉に耳を澄ませます。
教授が「そろそろかな」なんて言うたび講義は締まりますが、学生たちは気が気ではありません。テストに備える日々に疲れた学生たちが「早くやってください」と騒ぎ出さない程度にしないと「オオカミ中年」になる、とも教授は考えます。
「そんなひどい大学あるか」などなどのつっこみが来そうですが、一寸先は闇の政界の厳しさを伝えるためということでご容赦願いつつ、ここから本題の「解散風」について説明します。
大学の講義に劣らず、首相の政権運営も大変です。国政の懸案にせよ自身のこだわりにせよ、やりたいことをやろうとするには、与党をまとめ、野党と渡り合わないといけません。
そんな政界で、首相が近く衆院解散に踏み切るかもという「解散風」が衆院の与野党議員の間に吹くことは、首相の当面の政権運営を助けます。議員たちは国政を論じるより、次の衆院選で生き残ることに意識を向けざるをえないためです。
ただ、「解散風」で与党議員たちが選挙準備に動き出すと、そのうち物心両面できつくなって「早く解散を」と言い出すかもしれません。そんな時、与党のリーダーである首相の心中は、抜き打ちテストの準備に疲れた学生たちが騒ぎ出すのを心配する「永田町大学」教授よりも複雑です。
「解散風」が吹けば与党だけでなく、野党も脇を締めるからです。
与野党とも次の衆院選に備えてつらい消耗戦になりますが、各野党は候補者擁立だけでなく、擁立する選挙区を調整して助け合うといった協力を進めることもできます。首相が与党を勝たせようとする「伝家の宝刀」を受けるべく、野党も刀を研げるというわけです。
戦後の衆院解散は平均3年弱ごとにあるので、任期4年の半ばを過ぎると何となく「解散風」が吹いてきます。それを打ち消すのか、あおるのか。どちらが政権に得かによって、首相はじめ政権幹部の物言いも変わるわけです。
そこで近頃の話です。前の衆院解散から、この原稿を書いている時点でまだ1年8カ月。ところがもう「解散風」がざわめき、安倍首相もそれに任せているように見えます。与野党関係者への取材をふまえ、どうしてかを考えてみます。
まず、なぜもう「解散風」なのか。つまり、なぜ衆院議員の任期半ばもいかないうちに、首相が近く解散するかもとざわめく状態になっているのかです。
わかりやすい理由としては、安倍政権にとって得な早めの解散による衆院選に踏み切れるタイミングがあるからです。その一つが、冒頭に触れた夏の参院選と同時のダブル選挙でした。実際に過去二度、1980年と86年にあり、与党の自民党が圧勝しました。
当時は衆院は一つの選挙区で複数人が当選する中選挙区制でしたが、今は1人当選の小選挙区制です。複数に割れている各野党にすれば候補者調整が重要になりますが、衆院選が早まるほどそうした協力を深めにくくなります。ダブル選挙となれば、多くの選挙区を埋めるための候補者捜しにすら苦労します。
安倍首相は6月26日の記者会見でダブル選挙を否定しましたが、次のタイミングがすぐ来ます。今年10月に消費税率10%への引き上げが予定されており、与党にすれば衆院選がそれ以降になると世間の反発が気がかりだからです。安倍首相は自民党総裁として三期目の2021年9月までを「最後の任期」と明言しており、解散を遅らせて衆院選で負けが込めば政権がレームダック(死に体)になるという不安もあります。
早々に「解散風」がざわめく理由でさらに大きいのは、そもそも安倍首相なら早々に解散しかねないと思われていることです。
確かに、首相の解散権は政権維持のためというのが永田町のリアルです。ただ、解散とは任期途中で国民が選んだ衆院議員を、ひいては首相を選び直すことですから、そこまでの決断をする大義が問われます。
ところが安倍首相の過去二度の解散の理由は、2014年が消費税率10%への引き上げ延期、17年が少子高齢化と北朝鮮の核・ミサイル問題への対応です。いずれも国民の間に強い異論はないテーマでした。大義とは建前に過ぎないと開き直り、政権への支持を調達し直そうとするその場しのぎを露骨に感じました。
安倍首相自身が解散の大義のハードルを下げた過去二度の衆院選で、自民党は連勝しました。その実績が、安倍政権の「解散風」は風にとどまらないのでは、と思わせているのです。
では、なぜ安倍首相はじめ自民党の政権幹部は「解散風」をそのままにするのでしょう。早めの解散が政権に得だとしても、それを野党が警戒して衆院選の準備を進めるなら、首相の真意はともかく「解散風」を打ち消しておいた方がいいとも言えます。
政権幹部が「解散風」を放っておくと、前に述べた効用があるのです。自民党の衆院議員の引き締めです。
今の自民党政権には、民主党政権への失望によって2012年に復活し、民主党の分裂によって長期化している面があります。12年以降の三度の衆院選で当選してきた自民党の若手について、ある中堅議員は「敵失に甘え、ろくに地元を回らないのがいる」と嘆きます。緩みを象徴する「魔の3回生」です。
「解散風」で衆院議員の尻をたたける。参院議員は選挙を衆院議員の応援に頼りがちだから、ダブル選の可能性がちらつけば一石二鳥――。自民党内にはそんな思惑がありました。特に安倍首相は最初に首相を務めていた2007年に参院選敗北で退陣しており、参院選への警戒感には根強いものがあるのです。
ダブル選挙はなくなりましたが、7月21日投開票の参院選の結果や、10月の消費税率10%アップに向けた政局次第では、また「解散風」が吹くことでしょう。それにしても、「風」も含めて解散が軽くなったものです。
私は20年前には小渕恵三首相の「番記者」でした。当時は日中、首相につきまといながら何度もやり取りができましたが、解散のことははいくら聞いても「常在戦場」などとかわされ続け、思わせぶりなことも口にしない頑固さを感じました。小渕首相は解散をしないまま2000年に倒れて亡くなりました。
小泉純一郎首相の頃も官邸担当でしたが、2005年、郵政民営化法案を自民党内の造反で参院で否決されて衆院解散を決断した時の表情には鬼気迫るものがありました。解散とはまさに、首相が政治生命を賭け国民に信を問う切り札だと感じました。
それに比べ、冒頭の安倍首相の「風は気まぐれ」という発言はいかにも軽い。自身がハードルを下げてきた解散と呼応するかのようです。自民党の古参は「遊んでるね。みんなが右往左往しているのを楽しんでいる」と複雑な表情でした。
安倍首相は、夏の参院選を乗りきれば11月に歴代首相で在職日数が最長になります。「気まぐれな風」を操りながらどう次の解散に踏み切るのか、見つめ続けます。何せ衆院選のたびに国費だけで600億円もかかるのですから。
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