連載
#25 「見た目問題」どう向き合う?
アルビノを愉しもう フェス開いた女性の思い「苦労話あえて避けた」
アルビノを愉(たの)しもう――。生まれつき髪の毛や皮膚が白いアルビノの人たちが「アルビノフェス」を開きました。特徴的な外見を「美しい」と言われたり、ときには就職差別などネガティブな対応をされたりするアルビノ。実行委員長のきゃさりん@47さんは「アルビノは多様性の象徴。個性や才能にあふれる人がいる」と語ります。13日は「国際アルビニズム啓発デー」。きゃさりんさんに、イベントに込めた思いを聞きました。
アルビノフェスは、都内で1日に開かれました。裏方を含め、計14人のアルビノの方々が参加。計70人ほどの来場者を前に、プロ・アマチュア問わず、歌や演奏、ゴスペル、トークショー、ファッションショーなどのパフォーマンスを披露しました。
――アルビノフェスを開こうと思ったきっかけは
去年11月に都内であった「東京アルビニズム会議」に出席したのがきっかけです。アルビノの人たちが襲われ、殺害される「アルビノ狩り」がアフリカで起きていることが報告されました。実際に両腕を男たちに切り取られたタンザニアの女性の話に、衝撃を受けました。
もちろん、差別の事実を世の中に知らせることは大切なことです。一方で、アルビノの魅力を発信することも大事だと考えています。ニュースを通し、アルビノは「かわいそうな人たち」「迫害される人たち」とのイメージが先行しがちです。だからこそ、「魅力のある人たち」との情報を発信する必要があると思いました。
こうした私の考えが元にあって、この会議を通して知り合った当事者数人と、アルビノフェスを開くことになりました。特に、アルビノの子どもを持つ親に「子どもがアルビノでも大丈夫だよ」とのメッセージを伝えたかった。アルビノの子を産んだことに不安感や罪悪感を覚える親が多いので。
――とはいえ、アルビノをエンターテイメントにすることや、美しいなどポジティブな面ばかり強調されるのに、抵抗感がある当事者もいるのでは
確かに、アルビノであることを受け入れられない人もいます。このイベントの趣旨に批判的な人もいるでしょう。同じアルビノであっても考え方は多様です。
ただ、多様性を認める社会になってほしいと願っている点で、私たちは一致していると思います。外見に特徴があるアルビノは、その多様性の象徴です。だからこそ、それぞれの立場で、いろんな考え方を発信していけばよいのではないかと考えています。
アルビノであることに悩んでいる人に、私は言いたい。「あなたには魅力はあるよ。アルビノだからって、自信を失う必要はないよ。堂々と生きていればいいんだよ」と。
――トークショーでは、きゃさりんさんは、差別体験について尋ねませんでしたね
「アルビノに生まれてよかったことは?」との質問しかしませんでした。登壇者も語ってくれたように、「顔をすぐに覚えてもらえる」「実年齢より若く見てもらえる」とか、アルビノであるがゆえに、ポジティブな面もあるんです。
苦労話はあえて避けました。これを話し出すと、どんどん深みにはまって、今回のイベントの趣旨とあわなくなってしまうなと考えていました。また、「こんなに苦労しているのに頑張っているんだね」という見方をされるのも嫌でした。ただ、今から思うと、ネガティブな側面も登壇者に尋ねるべきだったかなとも感じています。
――きゃさりんさんは、アルビノであるがゆえに苦労した体験はないですか
福島県の小さな村に生まれました。姉もアルビノで、私が生まれたとき、母親は「またか……」と、なかなか受け入れられなかったそうです。田舎でしたから、周りの目もあったかもしれません。
子どものころは、日焼けしてひどい目にあったり、弱視だから授業中に黒板が見えなかったりと、多くのアルビノの方々と同じような体験はしています。上京して芝居の世界に入ったんですが、最初の師匠に「そんな髪色のおまえには時代劇は無理だ」と言われたときには、確かにショックを受けました。
だからといって、私はアルビノであることを「生きにくい」と感じたことはありません。多くのことが工夫次第でどうとでもなるし、やりたいことをしない理由にはなりません
アルビノの人たちも多様です。体験も一人一人違うし、同じ体験でも、どう意味づけるかが違う。私にとっては、アルビノで苦労した体験も、今やネタに過ぎません。
――今後の目標は
来年も、国際アルビニズム啓発デーにあわせ、アルビノフェスを開きたいと思っています。今回は私の思いつきで数人のメンバーで突っ走ってしまった面があります。来年はより多様なアルビノの人たちに参加してもらえるよう、準備していきたいと考えています。
取材前、アルビノフェスには当事者の間でも賛否両論があると耳にしていました。正直に言えば、「一枚岩でないようだけど、盛り上がるのかな」と感じていました。
でも、参加してみると、和気あいあいとした雰囲気。まさに学校の学園祭のノリ。何よりも出演したアルビノの人たちが実に楽しそうに、歌を中心に自分の特技を披露しているのが印象的でした。
自身もアルビノで、アルビノと社会の関係について研究する立教大助教の矢吹康夫さんは、「福音と世界6月号」(新教出版社)に収録された論文「まとまりに欠ける人びと~『アルビノはどうやって生きてきたのか』をめぐるせめぎ合い」の中で、今回のアルビノフェスに関連して、次のように言及しています。
「『差別されてきた人びと』という一面的な見方に対して、よりポジティブな側面を発信しようとする動きがこれまでにも何度かあった。これを当事者コミュニティの内側から眺めていると、ついつい『まとまりに欠けるなぁ』と思ってしまうのだが、かといってそれが致命的な分断に発展することもなかった。考え方や生き方の違いは、分断の火種になるのではなく、多様性のひとつとして許容されてきたのである」
きゃさりんさん自身も「アルビノは多様性の象徴。アルビノの中にも、いろんな考え方があっていい」と取材に語っていました。当事者の中には、トークイベントや展示などで、差別といったネガティブな側面にも触れたほうがアルビノの多面的な姿を知らせることができると考える人もいます。そうした考えも参考にしながら、来年はよりよいイベントにしてほしいです。
取材者の立場からすれば、マイノリティの人々を取り上げるとき、「こんな苦労して頑張っている人たち」とのお決まりの感動ストーリーに陥りがち。どんなカテゴリーに属する人たちにも多様な側面があることを意識した報道を心がけたいと思います。
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