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ホロコーストの時代、なぜインスタ?すでに1億回再生、仕掛け人に聞く
もしホロコーストの時代にインスタがあったならーー。75年前に亡くなった少女が残した日記をもとに、一つのアカウントがインスタグラム上に登場し、話題を呼んでいます。彼女の最期の日々を再現した動画の数々は、1日で1億回以上の再生回数を稼ぎ出しました。仕掛け人は、IT業界で財をなしたユダヤ人の大富豪。この企画に数億円の個人資産を投入したという、その狙いを聞いてきました。(朝日新聞エルサレム支局長・高野遼)
ーーなぜ今回の企画をやろうと思ったのですか。
マティさん 記憶が消えていく恐怖です。ホロコーストの記憶が、この国から失われて欲しくなかったのです。最近、ホロコーストが歴史の一部になりつつあると感じます。より「生きた」記憶として残していきたい。これは「記憶」のプロジェクトです。
ある歴史家の友人と「我々はどうやって記憶をつくるのか」と議論をしたのです。そこでは「本」や「博物館」といった話題が出ました。でも、今の若者はどこにいるのか。SNS上です。だからインスタグラムに動画を上げるのです。
次の世代に記憶を引き継ぐのは、私たちの世代の責務だと思っています。しかも、私にはお金がある。私の親はホロコーストの生存者で、妻の家族は殺されました。だから私にはこれをやる理由があるのです。
ーーなぜ彼女を選んだのですか。
マティさん 題材を選ぶにあたり、30の日記を読みました。その中で、「これなら何百万ドルつぎ込んでもいい」と思えるほどの文章力が、13歳にして彼女の日記にはあったのです。
それに、彼女は現代的な女の子です。両親が離婚して、寂しさを抱えた一人っ子。母親は美人で、再婚相手は有名なジャーナリスト。いまの若者にも「私みたいだ」と思ってもらえると感じたんです。
ーーそこからプロジェクトが始まったのですね。
マティさん 初めて日記を読んだのは、昨年の7月。IT企業で働く娘のマヤにも読んでもらい、「この話をSNSでやりたい」と言ったら、「じゃあインスタでしょ」と即答でした。若い女の子は何を見ているのか。すべて娘から教わりました。
マヤさん ホロコーストの話って、テレビやネットでも恐ろしい場面ばかりが強調されすぎていると思うんです。でもエバの日記には、暴力はあまり出てこない。代わりに、愛情を注いでくれない母親への複雑な感情だったり、友達との友情や別れだったり。それがとても大切です。
マティさん 2人で日記を何度も読み、10月から脚本を書き始めました。「どの場面が大切か」「この場面なら、なんて言うだろうか」ーー。2人で議論を重ねました。
ロケは3月16日から9日間、ウクライナでやりました。75年前と同じ季節です。撮影はすべてスマートフォン。「セルフィー(自撮り)」目線での映像は、今までにないものになりました。
スタッフは総勢400人。4~5人の主要キャストは、約500人のオーディションから選びました。費用は……500万ドル(5.5億円)まではいきません。もちろんすべて個人のお金です。
ーーホロコーストという重い歴史をインスタで扱うことへの批判も出ています。
マティさん ポジティブに受け止めています。みんながホロコーストを大事に思っている証拠ですから。
ホロコーストを知るには、「本を読め」という人がいます。でも、私はそれは傲慢(ごうまん)だと思うんです。少なくとも、私自身はそうありたくない。
私たちの時代のテレビと、若者たちのインスタは何が違うというのでしょうか。本の内容が素晴らしいのなら、それを今の時代に合わせて変換してあげればいいだけです。
大事なのは中身です。そこについては、事実に忠実に作りました。なかには「脚色をしてしまえばいいんだ」と助言してくる人もいましたが、断りました。専門家の指導を受け、衣装は1000着以上、髪形も20以上用意しました。家具の大きさが違うということで作り替えたこともありました。
「これを見ればホロコーストが分かる」なんて言うつもりは全くありません。ただ、知識の一つの層になりたいだけ。記憶というのは、多くの層が積み重なってできるものだからです。
ーーエバ自身は、死後にこうして日記が映像化されることをどう思っているでしょうか。
マヤさん エバはアウシュビッツ行きの列車に乗り込む前、乳母に自分の日記を託していたんですよ。彼女は、大人になったらロンドンで報道カメラマンになるのが夢でした。この日記は、きっと誰かに伝えるために書いたのだと思います。
マティさん だから、私たちが代わりにその夢をかなえてあげよう、と。エバの日記を読めば分かりますよ。これは誰かに伝えるために書いた書き方だって。当時は紙とペンで書いていた彼女に、スマホを渡してあげたら、どうしていただろうかーー。そう考えながらつくりました。
ある晩、夢にエバが出てきたんですよね。たぶん、アウシュビッツの壁の前に立っていた。「君を救いたい。75年後だけど、私は映画をつくる」と伝えたんです。エバに、夢を実現するチャンスを与えたかったんです。
ーー見た人にはどんな反応を期待しますか。
マティさん ただ、みんなにエバを愛して欲しい。それだけです。インスタグラムは、物語を伝えるのに非常に強いプラットホームです。将来は、こうした取り組みも全く珍しくなくなることでしょう。
日本で戦争を経験した人が減っているように、イスラエルでもホロコーストの生存者は高齢化が進んでいます。今回のプロジェクトは、時の流れに「インスタ」という現代の技術で対抗しようという試みです。ベンチャー企業が盛んなイスラエルらしい発想だと思い、取材を始めました。
動画が投稿されて話題になると、イスラエル国内では大手紙やテレビも特集を組むほど、大きな賛否が巻き起こりました。「インスタなんていう浅はかなメディアでホロコーストを扱うなんて」「あえて子ども向けに工夫しなくても、若者は歴史を理解できる」などといった批判もありました。
あるホロコースト生存者の娘が、私に言いました。「ヒロシマの物語をインスタで扱われたらどう思う?」。私は「事実に忠実であれば、とてもいいことだと思う」と答えました。
動画は合わせて約50分。エンドロールまでたどり着いたとき、心に重いものが残ります。あなたはこの試み、どう思いますか?
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