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女性になった兄、今も言えない「お姉ちゃん」受け入れているけど

「兄」から「姉」になったモカさん(左)と弟の大輝さん
「兄」から「姉」になったモカさん(左)と弟の大輝さん

目次

 「お姉ちゃんと呼ぶのは、どうしても恥ずかしい。いずれは言いたいのですが……」。男性から女性になったトランスジェンダーの姉を持つ大輝さん(31)は、「お兄ちゃん」と二十数年も呼んできた相手を「お姉ちゃん」と呼び変えられません。「兄」が「姉」へと女性になったことは「100%受け入れている」と語りますが、「お姉ちゃん」と呼ぶハードルは高いそうです。(朝日新聞記者・高野真吾)

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「もうお兄ちゃんと言わないで」

 「2人で話す時が一番恥ずかしい。誰か違う人がいて、そう言わざるを得ない状況であれば、しれっと『姉』とは言えます」

 「僕はずっと『お兄ちゃん』と言ってきました。本人に向かって呼び掛けるとすると、『お姉ちゃん』と言わなければいけない。どうも照れます」

 都心近郊に住み不動産業に就いている大輝さんは、こう話します。インタビューの最中も、多くは「姉」と表現するのですが、時折、間違えて「兄」や「兄ちゃん」「お兄ちゃん」が出てきました。

 その姉と2年ほど前、2人で飲んでいる時に、次のように言われました。

 「もうお兄ちゃんと言わないで、女性になったのだから」

 さらりとした口調での要望に対し、大輝さんは「ああ、分かったよ」と答えました。

 ただし、姉は「お姉ちゃんと呼んでね」とまでは、付け加えてきませんでした。

「お姉ちゃん」と言えない心境を語った大輝さん=高野真吾撮影
「お姉ちゃん」と言えない心境を語った大輝さん=高野真吾撮影

「100%受け入れられても……」

 大輝さんの姉は、東京・新宿2丁目などで女装バーなど複数の店舗を経営するモカさん(33)です。モカさんは元男性で今は女性のトランスジェンダー。24歳の時にタイで性別適合手術を受け、その数年後には戸籍も男性から女性にしています。

 容姿、声、しぐさ、戸籍など全ての要素において、モカさんは女性です。ですが、大輝さんは長らく男の「兄」として接してきました。

 「女性になったこと自体は、100%受け入れられています。それでも、ずっと『お兄ちゃん』と呼んできたから、その延長で『お兄ちゃん』を使ってきてしまいました」

性別適合手術を受け、男性から女性になったモカさん=モカさん提供
性別適合手術を受け、男性から女性になったモカさん=モカさん提供

呼称を使わない作戦

 いま大輝さんが採っているのが、「呼称を使わない作戦」です。極力、自分やモカさん以外の第三者に対しても、「兄」「お兄ちゃん」や「姉」「お姉ちゃん」と言わないようにしています。

 そうすれば、モカさんを「お姉ちゃん」と言えないまでも、嫌がっている「お兄ちゃん」をうっかり使わないで済む、という配慮です。

 しかし、ここまで来るのには、いくつかの波がありました。

 大輝さんが高校を卒業する前後の2006年、両親からモカさんの性同一性障害を打ち明けられました。大輝さんは、おしゃれな兄としてのモカさんがずっと憧れでした。

 その憧れがなくなったと「『怒り』に近いものが湧いた」と振り返ります。

10代後半から20代前半頃のモカさん=モカさん提供
10代後半から20代前半頃のモカさん=モカさん提供

自然と目を合わせないように

 その後、大輝さんはモカさんのことを「そんなに気にしないでいこう」と考えるようになりました。大輝さんが実家を離れることになり、モカさんとは物理的に距離ができたという要因もあります。

 しばらくして、大輝さんが実家に戻ると、モカさんはすっかり女性の見た目になっていました。目立って仲が悪くなったわけではないのですが、進んで近づく気にもなれませんでした。

 「自然に目を合わせないようにしていました。嫌な気持ちというよりは、僕なりに気を遣ってのことでした」

大輝さんが実家を離れている間に、モカさんはどんどん女性らしくなっていった=モカさん提供
大輝さんが実家を離れている間に、モカさんはどんどん女性らしくなっていった=モカさん提供

カリスマの姿に接し、尊敬へ

 この関係は、大輝さんがモカさんが手がけるイベントを手伝ったことで変わります。モカさんは2007年、21歳の時に女装イベント「プロパガンダ」を創設します。

 女装文化に一大旋風を巻き起こし、最盛期には新宿・歌舞伎町に450人も集めるほどになります。それを一人で仕切っていたのが、女装かいわいでカリスマになっていたモカさんでした。

 「我が家にこんな人がいるのか」

 強い衝撃を受け、一気に尊敬の念が芽生えました。

プロパガンダの会場で写真におさまるモカさん=モカさん提供
プロパガンダの会場で写真におさまるモカさん=モカさん提供

ダイイングメッセージ受ける

 歌舞伎町や新宿2丁目かいわいで有名になったモカさんでしたが、実は躁鬱病に苦しんでいました。

 症状は改善せず、ついに2015年10月23日の明け方、当時住んでいたマンションの屋上、12階にあたる部分から飛び降ります。落ちた先の地面に車があり、その上に尻餅をつく形で落下したことから、九死に一生を得ました。

 この自殺未遂が起きる数時間前、22日夜に大輝さんはモカさんに会っています。突如、電話がかかってきたのです。

 母親からモカさんが自殺未遂を繰り返していることは聞いていました。それでも直接、モカさんから「死ぬから」と言われた時は「ショック」だったと言います。

 さらに「大輝が物事をポジティブに捉えていくのは、いいところだよ」と、ダイイングメッセージのような言葉を、モカさんが残しました。

 この言葉を聞き、電話が切れた後、タクシーで約40分かけてモカさんの元に向かいました。

モカさんが飛び降りたマンションは壊され、更地になっていた=2019年3月、高野真吾撮影
モカさんが飛び降りたマンションは壊され、更地になっていた=2019年3月、高野真吾撮影

病院に足しげく通った結果……

 1時間ほど滞在し、「もう平気だから」「帰ってよ」とモカさんに言われ続けたことから、残っていた両親より先に帰宅しました。その数時間後に、モカさんは飛び降りました。

 飛び降りを止められなかった自責の念もあり、モカさんの入院中、大輝さんは足しげく病院に通いました。特に仕事の関係で両親が来られなかった土曜は、大輝さんが1人で付き添いました。

 モカさんと長く過ごし、あれこれ話しました。

 「姉の弱い部分を初めて見ました。それまでは完璧に近い、すごい人と思っていたのですけど、弱い部分も知ることができました」

 いまはそうした部分も含め、「尊敬できる」と話します。

モカさんが入院中に撮影した写真。足先と病室を写した=モカさん提供
モカさんが入院中に撮影した写真。足先と病室を写した=モカさん提供

いずれは言いたい

 「兄」が「姉」になることへ「怒り」を覚えた時もあった大輝さんですが、今は性的マイノリティーの当事者への意識も変わりました。

 月に1、2回のペースで通う飲み屋の店主は、性的マイノリティーです。「話をすると、すごい面白い」。特段、店主の性的な背景は気にしていないそうです。

 大輝さんは昨年、結婚しました。子どもも考えています

 「生まれたお子さんは、きっと話すようになったら『モカ姉ちゃん』と言うでしょうね」と水を向けると、「そうでしょうね」と答えた大輝さん。

 「いずれは僕も『お姉ちゃん』と言えるようになりたいとは思っています。直接、姉に言われたことはありませんが、姉も家族に『お姉ちゃん』と言ってもらいたいでしょうから」

4月に発売された、モカさんの半生を描いた『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』
4月に発売された、モカさんの半生を描いた『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』

モカさんの書籍発売中

モカ、1986年3月、東京生まれの元男性。トランスジェンダーとして、東京・新宿2丁目などで複数の飲食店などを経営する。29歳の時、マンション屋上から飛び降りる自殺未遂から奇跡的に生還。現在は、電話や対面で生きづらい人やLGBT当事者の人生相談に乗る活動を続けている。自身の半生を題材に描き下ろした漫画を含む書籍『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』(光文社新書)を4月に発売。

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