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あこがれの兄が「姉」になった日……弟が抱いた「怒り」の正体
都心近郊に住み不動産業に就いている大輝さん(31)は過去、驚きの体験をしました。男ばかりの3人兄弟の真ん中として育ち、2歳年上の兄が憧れの存在でした。しかし、ある日、両親がその兄の性同一性障害と容姿が女性に変化していくことを告げてきたのです。その時、大輝さんが抱いた感想は「『怒り』に近いもの」でした。(朝日新聞記者・高野真吾)
「僕は、やんちゃな時の兄にあこがれていました。一気に、目の前にあった、あこがれがなくなったのです。正直に申し上げると、感情としては『怒り』に近いものが湧きました」
「兄がいなくなった、あこがれていた男がいなくなった。男ですらなくなった。じゃあ、(兄は)何者なんだと」
都内にある飲食店の2階で行ったインタビューの最中。両親から「兄」が「姉」になる事実を知らされた時を振り返り、大輝さんは、こう言葉をつなぎました。言葉を荒らげることはありませんでしたが、「怒り」という強い感情の言葉を口にしました。
大輝さんは普段は非常に柔和で、誰からも好青年と思われるタイプです。その彼が感じた「怒り」とは何だったのでしょう?
大輝さんの「兄」は、東京・新宿2丁目などで女装バーなど複数の店舗を経営するモカさん(33)です。モカさんは元男性で今は女性のトランスジェンダー。24歳の時にタイで性別適合手術を受け、その数年後には戸籍も男性から女性にしています。
いまの2人は、とても仲良しです。会う頻度こそ、さほど多くはありませんが、大輝さんにモカさんがちょくちょく電話してきます。不動産業の大輝さんに物件探しを依頼するほか、不動産を探しているモカさんの友人・知人を紹介してくるそうです。
お互いをどう思っているか聞いてみたところ、大輝さんはモカさんを尊敬し、モカさんは大輝さんを信頼していました。理想の姉弟という印象を記者は持っています。
しかし、2人の関係は、大輝さんが「怒り」の感情を抱いた2006年ごろは全く違っていました。
大輝さんとモカさんは、大輝さんの四つ下の弟を含め、男ばかり3人の兄弟として両親に育てられました。
大輝さんから見た小学校に入る前のモカさんは、「ほんわかしたイメージ」だったと振り返ります。
「外に出るより、家でゲームとかをするのが好きな感じです。それでも兄弟げんかは、その頃は結構ありました」
兄のモカさんが子どもの頃、「他の人と違う」と感じたことがあったのでしょうか?
「そのころは全然なかったです。普通の兄弟でした」
ところが、モカさんの中では、どんどん自分が「普通」という感覚をなくしていきます。
思春期になると、他の男子たちの身体はゴツゴツし始めます。中学のプールの時間に発育の早い同級生の身体をみて、モカさんは「同じようになりたくない」と嫌悪感を覚えました。
そのため、中学を卒業するころから、女性ホルモンの摂取を始めました。ネットで調べ、通販で錠剤を購入し、飲んだのです。
「ひそかに実行した」と明かすモカさん。その証言と合致するように、同じ家で暮らしていた大輝さんが、モカさんの行動に気づくことはありませんでした。
高校生になったモカさんに対して、大輝さんが感じたのは、いまに続く「女性」路線でなく、「ヤンキー路線」でした。
ちょっとダボダボした服装や、ストリート系ファッション。 モカさんの小中学校時代の友達、大輝さんからすると先輩にあたる人たちは、「やんちゃ」な人が多かった影響もあったようです。
そして大輝さんもマネして、同じような洋服を買っていました。
ある時、大輝さんはモカさんから「ホルモンをやっている」と言われたことがあります。ただし、「女性になりたいから」との理由までは、打ち明けられませんでした。
そのため大輝さんは「ホルモンをやるのが、はやりなのかな」「ヤンキー系からビジュアル系にファッション変更したのかな」と理解したそうです。
ひっかかる部分はありましたが、兄が「女の子になりたい」との思いでホルモンを摂取しているとは、みじんも考えませんでした。
モカさんが、最初は家族に秘密でホルモンを摂取していたのは「平成」の半ばにあたる2000年代の出来事です。
今でこそ、LGBTという言葉の認知度も高まりました。今年も、性的マイノリティーのイベント「東京レインボープライド」のパレードが、4月28日に予定されています。
しかし、2000年代と言えば、社会に性的マイノリティーへのタブー視が、まだまだ残っていました。
上戸彩さんが性同一障害を抱えた生徒役を演じ評判となったドラマ「3年B組金八先生」第6シリーズ(TBS系)が制作されたのは、2001年です。
ようやくLGBT理解への下地が生まれていたくらい、というのが実情でした。
そんな時代背景の中、大輝さんが高校を卒業する前後ごろの2006年、両親が兄の重大事実を告げてきたのです。大輝さんは、次のような場面を記憶しています。
「両親から、話があるからと呼ばれました。言われたのは『お兄ちゃん(モカさん)は性同一性障害で、前から自分が男の子であることに違和感を持っていた』ということでした」
「父も母も感情的に話すのではなく、淡々としていました。内心ではどう思っていたのかは分かりませんが……」
そして両親からこう言われました。
「この先、どんどんお兄ちゃんの見た目が変わってくると思うけど、びっくりしないでね」
大輝さんが最初に抱いた「怒り」の感情を整理し、今のモカさんとの関係を築くまでには、数年の時間を要しました。一時期、離れた関係にもなりました。
モカさんがLGBTのカリスマとして活動している姿に接する中で、尊敬の念を抱くようになったそうです。
大輝さんは「元々関係の悪い兄弟ではなかったことも大きい」と分析しています。
「お互いの性別とか容姿とかが、どういう風に変わっても、同じ親から生まれた2人の関係の根本は変わらない気がします」
「10代の一時期は、あこがれた兄が居なくなることへの『怒り』を抱えました。しかし、少し時間が経ってみると、姉となっても、『あこがれ』や『尊敬』のベクトルは変わりませんでした。それが僕たち2人の関係なのです」
モカ、1986年3月、東京生まれの元男性。トランスジェンダーとして、東京・新宿2丁目などで複数の飲食店などを経営する。29歳の時、マンション屋上から飛び降りる自殺未遂から奇跡的に生還。現在は、電話や対面で生きづらい人やLGBT当事者の人生相談に乗る活動を続けている。自身の半生を題材に描き下ろした漫画を含む書籍『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』(光文社新書)を4月に発売。
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