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連載

#2 山下メロの「ファンシー絵みやげ」紀行

島根・隠岐で発見「あの」アイドルグッズ 地道すぎコレクターの苦労

こ、この愛称と言えば……
こ、この愛称と言えば……

目次

80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。インターネットで探せない代物を見つける旅は、いつもハプニングだらけ。そんな道中を紹介する連載の第2回、今回の舞台は島根県です。

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ファンシー絵みやげ紀行

「ファンシー絵みやげ」は流れ着いているか

皆様、島根県に隠岐諸島という群島があるのをご存知でしょうか。

昔から罪人が送られる流刑地として知られており、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれます。そこで、まだ当時離島ビギナーだった私は、島ならではの衝撃的な事件に何度か遭遇したのです。

隠岐島で起こったこととは…
隠岐島で起こったこととは…

その日、私はライフワークとも言える「ファンシー絵みやげ」の保護活動のために中国地方をまわった後でした。

ファンシー絵みやげとは80年代から90年代にかけて日本中の観光地で売られていた子ども向けの雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

山下メロさんが保護する「ファンシー絵みやげ」の数々
山下メロさんが保護する「ファンシー絵みやげ」の数々

日本海に浮かぶ隠岐諸島は島前(どうぜん)と呼ばれる中ノ島(海士町)、西ノ島、知夫里島と、隠岐の島町の島後(どうご)の4つの島で構成されています。

私は松江からバスで七類港へ移動し、まず高速船で中ノ島へ渡りました。

いざ、隠岐島へ
いざ、隠岐島へ

保護しなければ、なくなっていく現実

中ノ島にはフェリー乗り場に新しく出来たと思われる売店があるのみ。

ファンシー絵みやげがいまだに残されているのは、個人経営で昔から続いているようなお店です。新しいお店にはまず取り扱いはないですし、売れるものしか置きたくないお店の店頭からは消えているケースがほとんどです

中ノ島のお土産店。看板は非常にファンシー。
中ノ島のお土産店。看板は非常にファンシー。

フェリー乗り場の近くにはすでに廃業したのか、閉まっている店が一つあるだけでした。看板の書体などを見ると非常にファンシーなため、かつてはファンシー絵みやげが売られていた可能性を非常に感じます。訪れるのが、少し遅かったようです。

島内フェリーで渡った西ノ島には、西側に国賀海岸という名勝があります。島内バスで向かうも、こちらも閉店済みの店舗のみ。そこもやはり看板はファンシー……どころか、そこにはどこかで見たことのあるキャラクター。

看板はこちらもファンシー。近付いてみると……
看板はこちらもファンシー。近付いてみると……
ん? これは……?
ん? これは……?

店の名前は「磯っぷ(いそっぷ)」、なのにキャラクターは明らかなノンタン!? こんなことがよしとされていたのも、バブル時代の豊かさなのかもしれません。

その日は西ノ島の港周辺で宿泊予定だったので、島東部に戻りました。そこで気がかりだったのが、あるお店です。

「みやげ」とは書いてありますが……。
「みやげ」とは書いてありますが……。

釣り具店だと思ってスルーしていた店に、念のために行ってみました。看板に「みやげ」の文字があったので少し期待していたのですが、店の中には釣り具しかありません。

店の人にお土産がないか聞いても「釣り具屋なので、そんなものはウチには無い」との返答。しかし時間があるので、店内をキョロキョロしていると、釣り具の棚の後ろに何か挟まっているのを発見。

取り出すと、なんと、ありました。国賀海岸のコンパクト。二頭身の男女のイラストが描かれたファンシー絵みやげです。店の人に言うと「こんなのあったっけ? もう忘れてた」といった反応。

国賀海岸のコンパクト
国賀海岸のコンパクト
人々の記憶から消し去られた「ファンシー絵みやげ」の保護活動は、一筋縄ではいきません。

ここで重要なのは、釣り具店に見えても、油断してはいけないということ。(「ファンシー絵みやげ」はみやげ店にあるとは限らない)
そして、店の人が「無い」といってもその言葉を信用してはいけないということ。(店の人も存在を忘れている場合がある)

ファンシー絵みやげの保護活動には、スキルとテクニック、コミュニケーション能力が要求されます。

特に住民との「コミュニケーション」は非常に重要です。それを知ることになるのが、隠岐島で一番大きい隠岐の島町(島後)でのことです。

かつて経験したことのない展開に……

分かりやすく土産店が密集している場所もなさそうなので、まずは観光協会で土産店の有無を確認。すると、ここには昔からの土産店はほとんど残っていないとの回答。それは残念なのですが、私は言われ慣れているので動じません。

しかし地図を見ながら思い出したように、観光協会の方がこう言いました。

「ここにある京見屋分店……ここはギフトショップなので、そういったものは無いのですが……一応行ってみたらいいかもしれません」

地域の人向けのギフトショップでは望みも薄く、何を意味しているのかよく理解できずで、とりあえず宿に戻りました。しかし、時間もあるし気になるので町をぶらつくことに。すると目の前に先ほど聞いたギフトショップ・京見屋分店が現れました。

こちらが京見屋分店
こちらが京見屋分店

見るからにとても洗練されたお店です……ですが、言われた以上調査するしかないので入店。そして店内を見回すも、非常に上品で趣味の良いギフトショップであり、自分が欲するようなものは見つかりません。

そして不審な行動のためか、ついにお店の方が「何かお探しですか?」というご質問。

「こういったものを探しているのですが……」と返すと、驚きの返答が返ってきました。

「まあ、座って話を聞かせてくれないか」

かつて経験したことのない展開に、私は一度たじろぎました。しかしお店の方の目は真剣です。私が自分の活動のことを話すと、真剣に聞いてくださる。共感してくださる。確かに店内にはレトロな扇風機やホーロー看板がディスプレイされていて、古いものを大事にされているようです。

そして、さらに驚きの発言が。

「よし今から行こう」

どこへ行くのかもよく分からないのですが、とにかくテンポが速い。店を出て連れられる道すがらこんな話をしました。

会ったばかりなのに……

「普通、うちの店にくるお客さんは、まず店のドアの前で様子をうかがいながら入ってくる。でもキミは何の迷いもなく入ってきた。そんな人は珍しい。すぐに普通じゃないことを察した」

「旅をしている色々な人が来るから、そういう人たちの話を聞くのが好き」

「観光協会の若いのは知り合いだから、ウチのことを紹介したのだろう」

なるほど。観光協会の方は知り合いだけあって、よく分かっていたのですね。正解だったのです。このギフトショップが情報を得られる場所だということだったのです。

お店の方に連れられて向かうと……
お店の方に連れられて向かうと……

隠岐の島町の商店街には、昔から営業しているお店がたくさんあります。その中でも閉店した店舗に入り、やはり知り合いであるその家の人に「これは東京から来た友人だから、古いものを見せてくれ」といって、在庫を見せてもらえるよう話してくれる。

1階が商店で、倉庫が3階にあれば、「これ友達だから…」などと言いつつ、お茶の間である2階でくつろぐご家族を尻目に3階へ上がっていく。さっき会ったばかりなのにもう「友達」と呼んでくれる!? 想像だにしない展開なのです。

そこにあったのは、キスミントの金属製の筒状のごみ箱。さらには、80年代のトップアイドルだった酒井法子さんの「のりピー」壁掛け時計(お菓子のノベルティ)……当時倉庫で使用されていたものまで保護させていただきました。

「のりピー」壁掛け時計など、レトロなアイテムたち
「のりピー」壁掛け時計など、レトロなアイテムたち

京見屋分店に入ったおかげで、「昭和レトロ」「平成レトロ」の数々のアイテムを手に入れることができました。

お店の方や住民の方の親切こそが財産であり、ファンシー絵みやげ保護の要なのです。滞在中は毎日立ち寄って話したり、一緒にどこかへ行ったりしている中で、ある話を聞きました。

それは、常連の神主さんのことです。昭和レトロを集めている方で、すぐに自分が求めているものを理解してくださいました。「もしかするとあるかも」と言ったかと思えば姿が見えなくなり、しばらくして戻ってきたその手にはファンシー絵みやげの灰皿が……。

神主さんにいただいた灰皿。「BOCCHAN MADONNA」の文字が。
神主さんにいただいた灰皿。「BOCCHAN MADONNA」の文字が。

愛媛県の松山で購入したというその私物の灰皿を、なんとお譲りいただきました。「レトロ」を愛し、収集する人の思いはどこでもつながるものかもしれません。

「のりピー」の時計、よく見ると……

色んなお店のレトロ案件を保護して、とうとう帰る日がやってきました。往路は船でしたが、帰りは飛行機。これは楽だなと油断していたら、保護したアイテムの中でもキスミントの金属製筒状ごみ箱がサイズオーバーで預けられませんでした。

それもそのはず、出雲縁結び空港までが小型のプロペラ機だったのです。

ごみ箱、預けられず……。
ごみ箱、預けられず……。

小型機は預けられる荷物のサイズ上限が小さいのです。仕方なく、狭い飛行機の中で、膝の上にでかいごみ箱を両手で抱えたままのフライトとなりました。

こんなものを抱えて本土を目指す人は他に見当たりませんでしたが、だからこそ重要な保護活動なんだと自分に言い聞かせて小型機特有の揺れと羞恥心に耐え続けたのです。

やっとの思いで持って帰ってきたキスミントのごみ箱
やっとの思いで持って帰ってきたキスミントのごみ箱

東京に戻り、さっそく保護したのりピーの壁掛け時計を部屋に掛けました。「のりピー」の手書き文字がたまらない。文字盤の数字も手書きでかわいい。何もかもがかわいい。そう思っていました。

何もかもがかわいい。そう思っていたが……
何もかもがかわいい。そう思っていたが……
しかし、よくよく見ると、ある事実に気づいてしまったのです。

手書きの数字の中や、その近くに黒い丸があることに。
 
ん? この文字は……?
ん? この文字は……?
そうです。

つまりこれは、もともと文字盤に数字などなく、黒い点が並んでるだけだったのです

おそらく倉庫で使用するのに時間が分かりづらいから、フタを外して直接太マジックで数字を書いているのです。のりピーの手書き文字ではなく、その店のおばあちゃんの手書き文字だったのです

つまりタレントグッズではなく、
おばあちゃんグッズだったのです

おばあちゃんの生活に溶け込み、存在が溶けすぎてしまったファンシー絵みやげ。これには衝撃を受けました。

このように離島では色々と信じられないことが多数起きます。

非日常な環境の中に、濃すぎるほどの日常がそこにあります。

是非、隠岐諸島へ。そして京見屋分店を訪ねてみてください。

お世話になった京見屋分店のご夫妻
お世話になった京見屋分店のご夫妻

  ◇

山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは週1回、山下さんのルポを紹介していきます。

ファンシー絵みやげ紀行

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