熊本地震からもうすぐ3年。被災の経験を忘れず、次の世代に伝えようと、防災ゲーム「クロスロード」の熊本編ができました。元々は阪神・淡路大震災をきっかけに生まれたクロスロード。「熊本地震編」ではなく「熊本編」にした背景には、普段はスポットライトが当たらない小さな声に耳を傾けたいという、制作者の思いがありました。(朝日新聞熊本総局記者・池上桃子)
「あなたは大学生。友人からSNSで拡散希望の連絡がきました。内容は、ちまたで性犯罪や連れ去りが横行しているというもの。でも、地震発生から間もないため、真偽は確かめようがありません。 あなたは、情報を拡散しますか?」
3月21日、熊本県庁の会議室。スクリーンに映し出されたこんな問いかけが読み上げられました。6人ずつに分かれてテーブルを囲む参加者には、「YES」「NO」のカードが配られています。数秒後、各自でカードをどちらか選び、一斉に真ん中に出します。
YESを選んだ人も、NOを選んだ人も順番に、なぜそれを選んだのか、自分ならその時どうしていたかを話し合います。
ルールは、自分の言葉で話すこと、そして他人の意見を否定しないこと。「真偽のわからない情報を拡散したら、みんな混乱してしまう」「仮にこの情報はうそだとしても、いつ起こってもおかしくない。注意喚起すべきでは」……。それぞれに意見が交わされます。
「クロスロード」は、阪神・淡路大震災で人々が直面した「ジレンマ」を考えるゲームです。
例えば、「あなたは避難所の食料担当。避難者3千人に対し、2千食しか確保できなかった。あなたは非常食を配布しますか?」など。あっちを立てればこっちが立たない。どちらを選ぶのが正解かなかなか分からない問題を、平時から考え、災害に備えようというゲームです。
答えは多数派には青の座布団が、1人だけ違う意見を出した少数派には金の座布団が配られますが、数を競うものではありません。
SNSの拡散の問題は、熊本地震で実際に起きました。案を出した熊本大学准教授の女性は、「教え子で拡散した子もいれば、慎重だった子もいた。中高生の娘がいる家庭では、不安になって避難所に行くことをやめたケースもあったようです」。
情報を発信することで不安をあおってしまうことと、拡散しないことで被害を予防できないことのジレンマがあります。
また、当時は震源地に近い動物園から「ライオンが逃げた」というツイートが拡散され、投稿者が逮捕される事案もありました。(投稿者は後に不起訴になっています)
問題をつくったのは、県内の消防士、大学教授、薬剤師、主婦、小学生などが参加する「くまもとクロスロード研究会」。熊本地震後にできた有志の集まりで、あの災害で実際に起きたジレンマを集め、編集して33問の問題集にしました。これで完成ではなく、今後も付け足されていきます。
問題には、たとえばこんなものがあります。
「あなたは学校の先生。地震による休校からようやく学校が再開したが、余震は時折起きている。緊急時の動きを子どもたちに理解させるため避難訓練を行いたいが、被災時の記憶がよみがえってパニックになる子どもが出る心配もある。学校再開後すぐに避難訓練をしますか?」
「あなたは社会人。住まいは賃貸で自治会とのつながりは全然ありません。地震が発生し近所の小学校に避難しましたが、仕切る人がいないため避難所は大混乱しています。あなたは混乱を治めるため、仕切り役として出て行きますか?」
「あなたは看護師。休日に子どもと過ごしていたところ震度6の地震が起きました。子どもは余震におびえています。病院から『来られる人は来てください』と連絡がありました。病院へ出勤しますか?」
「あなたは福祉避難所(障害がある人など、特別な支援が必要な人のための避難所)の担当者。多くの住民が避難してきた。近くの避難所を紹介するが、断続する余震の恐怖から『避難所は一緒だろ!入れろ!』と怒号が飛び交う。一般住民を受け入れますか?」
くまもとクロスロードの会代表の徳永伸介さんは「答えを出すのがゴールじゃない」と言います。
「どの問題も、年齢、立場、経験によって見方が違います。答えを出してすっきりするんじゃなくて、色んな意見に触れてモヤモヤしながら帰ってもらうのが理想です」
徳永さんは消防職員でありながら、防災士や救急救命士の資格も持っています。クロスロードは「ゲーム感覚で楽しく、自分とは違う立場に立って学べる。僕がはじめてクロスロードを体験した時も、年配の人から子どもまで、職業も色んな人が集まって笑顔で参加していました。また、熊本地震後は、経験を吐き出す機会にもなっています」。
今回の33問は、「熊本地震編」ではなく「熊本編」。地震をきっかけに作られましたが、地震だけに限定したものではなく、むしろ被災体験を通して別の問題にもスポットを当てる仕組みになっている問題がいくつもあります。
「あなたは72歳の農家。中山間地でお米と野菜を作っていたが、地震で緩んだ地盤が崩れ、田植えしたばかりの田んぼに土砂が入ってしまい、今年は稲作をあきらめざるをえない。都心に住む息子が『こっちで同居しないか?』と言ってくれている。あなたは農家をやめますか?」
この問題を作ったのは研究会のメンバー、熊本大学の田中尚人准教授。これも県内のある集落で実際に起きたことでした。「ジレンマのきっかけは地震だけど、以前からあった農村部の課題が本質にある」と話します。
「高齢の農家の跡継ぎ問題は地震と関係なく、前からあったこと。それ自体は直接的には災害時のジレンマとは言えないかもしれないが、地震は元々地域にあった課題を加速化させ、深刻化させます。熊本地震は都市部だけでなく農村にも被害をもたらしたので、こうしたジレンマを取り上げたかったんです」
また、仕事と家庭の両立、子育てを取り巻く環境について考えさせられる問題も加わりました。
「あなたは自治体職員の夫婦。震度5弱の地震が発生!職員は自主参集しなければならないが、子どもを保育園に預けようにも、登園中止のメールが届いた。パートナーは先に出勤し、両親も遠方で頼れる人も近くにいない……子どもと出勤しますか?」
これも、実際に自治体職員が経験したこと。子どもを連れたまま出勤し災害対応にあたった人もいれば、同僚に断られてしまった人もいたようです。子どもの安全面も考えると、どちらが正しいか簡単には答えが出ません。
田中准教授は、この問題があぶりだす別の視点にも触れました。「問題文には当事者の性別が書いていないのに、多くの人が、先に出勤したのが夫で、残ったのが妻だという前提で話し始めることがわかってきました。防災はこれまで男性目線でつくられてきた面もある。無意識の思い込みにも気づかされる仕掛けも隠れているんです」。
「くまもとクロスロード研究会」では、熊本編をつくるにあたり、「小さな声に耳を傾けること」にこだわり、時間をかけてきました。防災の主役は、意識が高くて発言力の強い人が中心になってきましたが、今回つくられた問題には、普通の人たちの小さなつぶやき、悩みがたくさん含まれています。
一方で、「被災自治体の町長」のような特殊なポジションのジレンマも登場し、多様な視点に立ってみることができるようになっています。
「あなたはアフリカからの留学生。日本で初めて地震を経験した。家族とともに大学のグラウンドに避難し、アパートは半壊で引っ越すなど、初めての経験で妻と子どもは疲れてしまっている。妻から『もう帰国したい』と相談された。あなたは帰国しますか?」
「あなたは保護者。子どもが2泊3日の宿泊研修に行く。学校は携帯電話の所持を認めていないが、本人は持参したいという。緊急連絡用に持たせようか悩んでいる。あなたは携帯電話を持たせますか?」
熊本地震は2016年4月14日、16日に発生し、関連死を含め270人が亡くなり、最大時で約4万8千人が仮設住宅で暮らしました。発生から3年が経とうとする今、町には真新しい家も増えてきたし、地震の爪痕を思い起こさせるものは少なくなりました。
一方で、地震の記憶の風化を感じるようになりました。私自身、発生当時の写真を見て「ああ、そういえばあの時はこうだった……」と思い出すことも。建物が解体された跡地を見て、「あれ、ここに建っていたのは何だった?」と思い出せないこともあります。
行政は追悼式の開催や、震災遺構の保存、アーカイブづくりなどに取り組んでいますし、私たちも災害の記憶や教訓を伝える報道がしたいと努力をしてきました。しかし、当時に比べ、世間の関心が薄れている印象は否めません。
今回つくられた「クロスロード熊本編」の、「小さな声に耳を傾け、拾い上げる」という姿勢にはっとしました。あの時あの場所を経験した人たちのジレンマ、不安、答えが出なかった悩みは、報道や式典以上に生々しい記憶を伝えてくれます。「クロスロード」は楽しく学べるゲームであるだけでなく、地震の記憶を未来に伝える役割も担っていくのだと思います。