連載
#10 #インクルーシブ教育のいま
「教室にいて当たり前」じゃダメ?障害ある子の学び方、一つじゃない
障害がある子どもたちが、義務教育を終えた後でも学びが継続できる場をつくる取り組みが進んでいます。学びのスピードは人によって違います。校長時代、インクルーシブ教育に向けて学校改革をした小学校の元校長は今、NPO法人「特別支援教育研究会」を保護者と一緒に設立し、未来教室を開いています。目指すのは、障害を持つ子どもたちにとってまだまだ溝が深い「学校と社会の架け橋」です。
東京ドームが見える坂道にあるビル2階に、「未来教室」があります。フロアでは、15歳から18歳までの生徒がカリキュラムに沿って様々な学びをしていました。児童発達支援事業は、小学校への就学前の子どもを対象にしたところが多いです。ここは区による助成も得ているため、義務教育を終えてから、18歳までを対象にしています。
「ここで取り組んでいるのは、学びの継続です。この子たちに自信を付けさせたいと思っています」
こう語るのは、室長で児童発達支援管理責任者の秋山明美さん(67)です。東京都文京区の小学校で校長を6年間していましたが、その後退職。2014年4月から未来教室を始めました。
漢字、繰り上がり計算、時計の読み方、リコーダーの演奏、英検、美術、習字、水泳……。特別支援学級や特別支援学校などに通っていた小中学生時代には、こういった学びについて自分の持つ可能性が芽生えなかった子どもたちに教えています。
障害があっても個人個人で違う特性を把握し、個別支援計画を立て、生活の自立を目指して指導しています。子どもたちは、登校するとこの計画に基づき自分で共用パソコンにその日の予定を入力し、学びを始めます。
教員を退職した後、1年間、公教育を外から見てきて、またその後5年間、未来教室を運営してきて、感じていることがあります。
「教育現場では、この子は障害があるからこれで良しとしてきたところがありました。評価の基準を低くしていました。だから、持っている力を引き伸ばしていくことが十分できなかったと反省しています」
「この子たちは、一人一人持っている特性が違います。足し算が出来なくても、九九ができる子もいます。聴覚優位の子は、パソコンに表示される文章を目で追いながら音声で文章を聞き取れば、本に書いてあることが理解できます。そういうソフトも充実してきました。音楽会では、リコーダーやマリンバ、鍵盤ハーモニカで第九を演奏もしました。教師の指を見て覚えているんです。持っている力が埋もれたままで成長していく子もいますし、このように開花していく子もいます」
未来教室に通っている子どもは、自閉症や知的障害、ダウン症の子どもたちです。
「この子たちに1年間で何を培っていくか、子どもによって違います。山の登り方は色々あっていいのです」
秋山さんは、「時代は変わりました」と言います。授業中、黒板の文字をノートに書けなくても、「合理的配慮」としてタブレットを使えれば、黒板に書かれたことを画像に収められたり、タブレットで動画を見たりして学ぶことができるようになりました。
秋山さんが小学校の校長時代、特別支援学級に転校してきた子どもが、今、高校に通いながら秋山さんのところにも通っています。高校生は、パソコンを使ってYouTubeにアップされている数学の授業の動画を見ながら勉強したり、進路の相談にのってもらったりしています。
この高校生は、秋山さんが小学校赴任時に出会った際、子どもの特性を理解して十分な教育ができていなかったかもしれないと感じたそうです。学びの場を特別支援学級から通常学級に移し、学ぶ環境を変えることで本人の学習意欲を高めて、その後も学びを継続させることができました。
「目的意識を持たせることが大切です。例えば漢字検定なら8級が受かれば次は7級を目指すといったように。行事もできるだけマンネリ化を防いでいます。その子なりの身近な目標設定をしています」
未来教室では、社会のルールや集団のルールを地域社会の中で身につけていく取り組みをしています。夏は琵琶湖畔で夏季宿泊学習に行きます。新幹線を利用し、複数の子どもたちが同部屋になって寝食を共にして過ごします。電車の中では静かにする、新幹線の中ではトイレ以外は出歩かない、こうしたことも経験を積ませ、社会のルールとして教えています。また、時には近くの大学の学生食堂で食事をすることもあります。
「例えばその子が人をたたいてしまう前に、その子に社会のルールを教えることが重要なのです。できるだけ危機回避できるように、社会のルールを生活体験の中で実践しながら教えていくことが重要です」
かつて障害がある子どもの就学先は、就学相談委員会でどの学校に入学させるかを検討していました。しかし、今は、子どもごとにどのような支援が必要かを考え、決定に際しては親子の意見を尊重する時代です。学校はどう変わっていけばいいのか、秋山さんの校長時代の取り組みについて聞いてみました。
「目標は、小さな共生社会をつくるということです。それが中学につながり、地域につながっていきます。それをきちんと伝えることが必要です」
通常学級と特別支援学級の教師が別々の職員室を持って仕事をしている学校があります。このようなケースでは、特別支援学級の職員室を廃止して、学年ごとに職員室の机を集めて意思疎通を図ります。1週間の指導方法は、同じ学年の通常学級の教師と特別支援学級の教師が一緒に組み立てていきます。
「教師の意識改革」です。
一方、子どもたちの学校生活にも工夫が必要です。清掃、遠足は縦割りです。修学旅行や運動会も一緒です。
「通常学級で学び、支援が必要な子どもには必要な支援する形です」
秋山さんは、必要なサポートを外部から招きました。「教師は学校がすべてだと思っていますが、療育や行政、医療といった関係者と一緒に、その子どもに合った支援を考えていかなければなりません」。例えば、言語聴覚士や作業療法士を招いて、教師も学び、教室で実践できるようにしました。
通常学級で学ぶものの、国語や算数などは特別支援学級などで個別指導することがあります。そういった場所に障害がない子どもたちが「いってらっしゃい」と素直に言える状況を作り出すことが大切であり、それは「居て当たり前。居ないと心配になる」という環境作りです。仲間意識の芽生えでもあります。
「体育でサッカーやドッジボールをするとき、『○○ちゃんが点を入れたら1点のところを3点にしよう』ということが自然に出てきます」
発達障害の子どもの中は、毎朝日替わり集合場所が変わる朝礼に不安を感じ、パニックを起こす子がいました。それを毎朝、教室での朝の会、授業といった流れにそろえて、朝礼は昼食後に行うといった対応をすることで、子どもたちが落ち着きを取り戻したこともありました。
秋山さんのNPO法人では、児童発達支援事業は18歳までと限定されているため、その後も学びを継続できるように「楷樹サークル」を2017年に発足させました。
「最終的には親の手を離れて、障害年金をもらいながら働けるように、今後は働く場をつくっていかないといけないですね」
すでに近隣企業の業務を受託し、就労への架け橋も作り始めています。
サポートする加配の教師や支援員・協力員が十分いないとインクルーシブ教育はできないという意見もありますが、サポートする人がいて制度があっても形骸化することがあると言います。
「教室で隣にいる支援員がべったりくっついてしまうと、壁になってしまうことがあります。その子のためにならないし、通常学級の良さは周りにモデルになる子どもたちがいるということです。子ども同士の支援を妨げるようになってはいけません」
「交流・共同学習といっても、通常学級の中に障害児を入れているだけというところもあります」
「未来教室」は、学びを通じて様々な大人と出会い、仲間とふれあう中、自分の良さを確信し、周りとつながり生きる楽しさを積み重ねる場です。
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