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「地域に認められるまで10年」 障害児の就学で感じた「親の責任」
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障害を持っている子どもでも、地域の小学校の通常学級で学ぶことがあります。親が希望するだけでなく、教育委員会や学校との就学相談で勧められることもあります。インクルーシブ教育への一歩ですが、親が一緒に登校することを求められる人もいれば、ケースワーカーが学校との間に入ることで互いの理解が深まることも。3組の家族の経験から、通常学級で障害児が一緒に学ぶ環境について考えます。
通常学級での日々を通じ、地域で暮らすための道を切り開いた家族がいます。
東京都葛飾区で、ダウン症の長女(22)を持つ堀祐美子さん(54)は、15年以上前のやりとりが忘れられません。
就学相談で、堀さんが「うちの娘は地元の小学校に行きたいと言っています」と意向を伝えると、教育委員会の関係者から「なぜ、普通の学校を選ぶのですか」という趣旨のことを言われたそうです。特別支援学校へ行くことを暗に促される内容だと感じました。
ところが、秋に見学で訪ねた地域の小学校の校長からは、それまでとはまったく違う言葉が投げかけられました。
「君みたいな子が、みんなに影響を与える。そしてみんなが君に影響を与える……」
地域の小学校で受け入れてくれてくれました。ただし、毎日、登校時から下校時まで学校の教室で母親が付き添うことを求められました。幼稚園の教員の仕事を辞めました。
堀さんは「娘の面倒より、他の子どもたちのけんかを止めたり、担任の先生が忙しそうだったりしたので丸つけも手伝いました」と振り返ります。
地域の小学校の通常学級に通わせようと考えた理由の一つには、区立保育園での同級生の保護者たちの存在がありました。
「一緒の学校に行こう」「何かあったら助けてあげるから」などと声をかけてくれたそうです。
小学3年生になった時、担任から「学校で責任を持つので、お母さんは付き添わなくてもいいですよ」と言われたことで母子通学が終わりました。教室では、教育系大学の学生がボランティアで付き添うなど工夫を凝らしてくれました。
当然、トラブルもありました。
5、6年生になると授業の内容が分からず、トイレに閉じこもってしまうことがありました。また、言葉がうまく伝わらず、下級生の髪の毛を引っ張ってしまったり、同級生の女の子の頭をラケットでたたいて切ってしまったりすることがありました。堀さんはその都度、相手の親子に謝罪に行ったと言います。同性にいじめられたこともありました。
一方、トラブルがあったというと、とても荒っぽい子どもの印象を受けることがありますが、長女は、小学生時代から地元の公立図書館や児童館で、乳幼児への絵本の読み聞かせのボランティアをしていました。関係者からも「赤ちゃんの反応が違う」と評価されていたそうです。
地域で暮らしていく――。
こう考えたとき、堀さんは通常学級に通わせるだけではなく、月1回ある、地域の清掃活動に母子で参加し、地域の住民に長女を知ってもらおうと努力し始めました。当時、高齢者の中には「あの子と遊んじゃだめ」と孫に言い聞かせる人もいたそうです。
「地域の人に認めてもらうまで、10年かかったかな」
堀さんは今、長女と一緒に、知的障害や自閉症など障害の疑似体験を通じて障害児への理解を深めてもらおうと「葛飾キャラバン隊SUN RISE」を作って活動しています。
これまで9回、小学校、中学校、大学などを回りました。
ダウン症の子どもは指先が上手に使えない人がいます。疑似体験では、軍手を重ねて付けてもらい、おりがみをしてもらいます。
聴覚が敏感な自閉症の子どもの疑似体験には、4人に本を同時に読んでもらい、聞き取りにくさを感じてもらいます。
「こうした疑似体験を通じて、障害を持たない子どもたちがどう感じるか、どうしてあげたいかを考えてもらいたいです」
日米の違いを実感した人もいます。
アメリカのテキサス州で暮らす主婦(42)は、小学4年生の長男(10)と小学2年生の次男(8)と夫の4人家族です。
長男は「自閉症スペクトラム」と診断を受けています。自閉症といっても親からすると「ベラベラよくよく話をします」という感じです。次男は発育が遅いため、発達検査を受けましたが、診断名は付かなかったそうです。いわゆる「グレーゾーン」です。
日本で長男は当初、就学相談や健診などの結果、教育委員会側から「通常学級で出来るんじゃないですか」と言われていたそうです。ただ、小学校では幼稚園のように頻繁に教師と親子で話し合いながら学んでいけるのか不安を抱えていました。
入学して早々、学校から呼び出しがあり「トラブル」を知らされました。集団行動ができない、体育館に移動できない、教科書やノートが多く思ったように取り出せないとパニックになって大声を出す……。
「他のお子さんの学習に支障をきたします」
複数の先生に囲まれ、結局、その場で特別支援学級に移ることを了承しました。
特別支援学級の情緒障害のクラスに移った長男の授業参観に行くと、動きが激しい児童などへの対応に教師が追われ、「長男が学習をしているように思えませんでした」。
また、後日、図書室や保健室で本を読んでいたことを教師に褒められましたが、「一日安全に本を読んで過ごせばいいだけ?」とも感じました。
「他のお子さんの学習のために我が子は支援クラスに行ったのに、我が子の学習はどこで誰がするのだろう?」
そんな時、夫のアメリカ転勤が決まりました。長男が小学1年生、次男が幼稚園の年中の年でした。
英語ができないため、1学年落として現地校の通常学級に入学し、難しければ支援員がつく学級に移るというステップを踏みました。
入学して1週間後、現地校から保護者の呼び出しがありました。
「支援員をつけるためには、この子が支援を必要としているのかを見極める必要があります。そのためのテストをしていいですか?」
本人へのテストや複数回の行動観察、親子への問診など約3カ月かけて行われ、40~50ページの報告書にまとめられました。それを示され、「●●ができた確率、○○ができなかった確率」といった客観的な分析結果をもとに淡々と説明を受け、それでも「決めるのは親ですよ」と言われました。
「日本の学校との話し合いでは、家でできることが、なんで学校ではできないのだろうと思っていました。こういう風に、客観的に説明してくれると、ああ、なるほどと納得できました」
教師と児童の割合も、支援員がつくクラスの場合、1対3できめ細かい指導が期待できました。
「今後のことを建設的に提案してくれるので、日本で感じていた『親の責任』という思いから、『サポートしてくれる仲間ができた』と救われた思いがしました」
英語力は大きな課題ですが、支援員がつくクラスでは、教師がジェスチャーやグーグルの翻訳ソフトを使って努力してくれています。昼休みや音楽、図工の時間は、決められた通常学級に移動して一緒に学んでいます。
ある時、教師に「すみません」と言うと、「謝る必要はありません。これからどうするか一緒に考えて行きましょう」と声をかけられて、涙が出る思いだったそうです。
日本での「どうしましょう、お母さん」と回答を求められた経験とは正反対でした。
渡米して1年4カ月後、夫は会社から帰国するように言われました。夫婦で話し合った結果、子どもの教育環境を選び、夫がアメリカで転職しました。
「あのまま帰国していたら、子どもの教育はどうなったのだろう。その子のペースと言われながらも、実際は特別支援学級のペースでの学習。きっと、毎日悩んでいたと思います」
親と学校の間にケースワーカーが入ったことで、通常学級に通学しても必要な支援や理解がスムーズに得られた親子がいます。
佐賀県の男性(47)は3月、次女(15)が中学校を卒業しました。幼少期に大きな病気をしたこともあり、後遺症が残りました。小学校、中学校は、通常学級で学びました。
「理解ある大人や友人らの助けを受けながら、学校という社会の中で生き、子ども自身も障害の自覚や認知にもつながって、それでもみんなと同じ世界で生きることを望んで今に至りました」
就学前の相談で、ケースワーカーから、学校内でサポートする加配の教員や支援員をつければ通常学級への通学が可能だと説明されました。ケースワーカーを中心に、小学校の校長、学年主任、担任教師、保護者を交えた支援会議は、2年生まで年間2~3回開かれ、情報共有や支援のあり方を一緒に考えてきたそうです。
他にもスムーズに支援が行われるように工夫しました。
「我が家は、子どもの様子を書いたノートを作って、家の中で起きたことや様子、学校の中で起きたことや様子を、先生と日常的に情報交換しました。通常学級での生活が無理なら、特別支援学級や特別支援学校への転校も考えていたからです」
ノートは、教員の都合もあり、毎日ではなかったと言いますが、どんな支援が必要なのか、考える材料として貴重な存在だったと言います。小学校時代は、加配の教師がコメントを書いてくれたそうです。
また、支援計画書も、まず両親がどんなことのためにどんな支援が必要なのかをまとめて小学校に出していました。
次女は4月からフリースクールに通います。男性は「佐賀のとある町でもインクルーシブを実践できたケースがあることを伝えたい」と言います。
男性は「学校に積極的に出向くことと、支援会議としてケースワーカーが学校と保護者の間に入ってくれたことが大きいと思います。そうでないと、学校対親といった対峙する構造になってしまうからです」とアドバイスします。
人によっては、授業中に大声を出してしまったり、移動してしまったりすることがあるため、障害がある子どもと障害がない子どもが一緒に学ぶことに慎重な親がいます。
「言葉でうまく表現できなくて、感情表現をしてしまうことは迷惑でしょう。でも、そうならないための支援は何かといった観点で支援会議に相談すればいいのではないでしょうか」
男性は、小学2年生だった次女からこんな言葉を聞いたそうです。
「私はみんなのようにはできないけれど、ちょっとでもできるようになりたいからみんなのところにいたい」
第三者が中立的な立場で加わった支援会議が広がれば、障害児の就学で悩む人たちが少しでも減り、スムーズにいくようになるかもしれません。
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