連載
#17 #まぜこぜ世界へのカケハシ
ダウン症のある兄の妹に、母親が遺した「言葉」家族を縛っていたもの
障害のある人の兄弟姉妹が「きょうだい(きょうだい児)」と呼ばれることがあります。彼ら、彼女らの生きづらさの背景には、障害に対する親の特定の価値観に縛られるケースが少なくありません。一方で、こうした親への心理的な支援は乏しいとの指摘もあります。母との葛藤を乗り越え、「きょうだい」だけでなく、親への支援の輪を広げる活動に踏み出した女性がいます。(朝日新聞文化くらし報道部・森本美紀)
しかし、こうした活動ができるようになるまでの道のりは平坦ではありませんでした。恭子さんは、ダウン症の兄(54)を巡って、特に母とよく衝突しました。
家族全員が兄の世話に当たってほしいと考える母と、兄にもできることはしてもらい、家族でもそれぞれが自立して暮らしたいと考える恭子さんの溝は、なかなか埋まりませんでした。
でも昨年12月、84歳の母が亡くなった後に見つかった1冊のノートには、「恭子へ」と題して、こんなメッセージがしたためられていました。
◇
恭子へ
ママをたすけてくれてありがとう
心より御礼をい々ます
命を大切にマー君とター君と
に見守られて幸せな時をすごして
下さいネ。
今朝は桜吹雪です。きれい
◇
マーくんは恭子さんの夫、ター君は兄の愛称です。
「私がずっと言ってほしかった言葉をママは最期に遺してくれました。今は『ありがとう』と言いたい」。恭子さんは涙を流し、声を詰まらせました。
幼少の頃、母は家事で忙しい時などに口癖のように言いました。「ター君のこと、みておいてね」。
妹の自分だってお母さんに面倒をみて欲しいのに……。でも、母の思いにこたえようと、自分のそんな気持ちにフタをしました。
社会人になってからは「(親が亡くなった後を)よろしくね」という言葉がとても重く、「妹というより、姉のように扱われている」と思っていたそうです。
でも、母が遺したメッセージを読み、恭子さんが周りの人に「見守られる」存在でいていいのだ、という「承認」を初めてもらえたように思えました。
やっと自分を肯定してくれた――。長年のわだかまりが解けたといいます。
恭子さんは「子どもへの接し方に悩む親たちに、私の経験や母の言葉を伝えていきたい」と話します。
1月、障害のある子をもつ親が開いた「きょうだい児の子育て」と題した講演会で、母の写真や母のメッセージを紹介すると、会場からすすり泣く声がもれました。
兄は身の回りのことは自分でできましたが、ご飯の時間、入浴の時間など、全て兄のペースに合わせる生活でした。
何をするにも兄が優先。小学生の頃、小柄であどけない表情の兄と一緒にいると、周囲からは「お姉ちゃんは偉いね」と言われました。
その度に「私は妹なのに」と心の中で叫びました。
恭子さんはこう語ります。
「母は、家族全員で障害のある兄を育てようとしていました。子どもを授かって初めて障害者に直面した母は、戸惑うことが多かったと思います」
「でも、私には、生まれた時から兄がいた。だから、あえて障害を受け入れようという意識はありませんでした。障害に対する向き合い方が、親ときょうだいでは根本的に違います」
恭子さんは高校卒業後、通訳の専門学校を経て、夜間の大学へ進学しました。夜、帰宅して明かりをつけると、兄が眠れなくなると母にとがめられました。
家を出るように促され、21歳で一人暮らしに。外資系企業に勤めましたが、25歳のとき、今は亡き父の仕事のつてで、英国の金融情報サービスの企業で働くことになりました。
母は「家族を置いて海外に行くなら親子の縁を切る」とまで言って引き留めましたが、兄が中心の窮屈な生活から解放されたくて渡英しました。
恭子さんは「自分の人生を選択したければ、時には全力で逃げてもいいと思います」と当時を振り返ります。
英国での生活は自由で解放感がありました。障害のある兄がいることで周囲の冷たい視線にさらされることもなく、ずっと海外で暮らしてもいいとさえ思っていました。
ですが、2年半ほど過ぎたころ、ヘッドハンティングされ、28歳だった1994年に帰国。絶縁状態だった母は恭子さんの帰国を喜び、再び実家との行き来が始まりました。
2003年に父が亡くなった頃から、母は恭子さんに「よろしくね」とよく言うようになりました。
親が亡くなった後、兄の世話を託すという含みを持ったその言葉が、「ものすごく重たかった」といいます。
その後、母が寝たきりになり、母と兄の世話を担うようになった恭子さんは、椎間板(ついかんばん)ヘルニアを患い、仕事にも支障が出るように。
周囲の勧めもあり、母は高齢者施設、兄は障害者施設へ入ることになりました。09年、恭子さんが43歳、兄が45歳、母が75歳のときでした。
2年後に結婚し、13年、ケアラーアクションネットワークを設立。各地での講演や、「自分のために生きる」という電子書籍の執筆など活動を広げていきました。
そして今、「きょうだいが自分を認め前向きに生きるには、親との関係がカギ。だからこそ、親への心理的なサポートが欠かせない」と言います。
「障害のないきょうだいに、どんな言葉をかけてあげればいいの?」。多くの親からの質問にこう答えています。
「まず、話をよく聞いてあげて。子どもがほしいのは『そうだよね』という同意の一言。子どもと同じ気持ちになって聞くうちに、おのずと必要な言葉かけはできるようになります」
子どもの自尊感情や自己肯定感を高めること、家族だけで抱えず福祉サービスを使うことも大切だと助言しています。
親が不安や苦しみを分かち合い、つながりを持てる場づくりや、親に適切に寄り添える人材の育成などをさらに充実させることが必要という指摘もあります。
恭子さんは「親がわが子に障害があることを受け入れるには時間がかかります。でも、孤独になりがちな親の不安や苦しみを受け止めるサポート体制はまだ十分ではありません」とした上でこう語ります。
「親が子に障害を持たせてしまったという罪悪感に悩んだり、障害者が家族にいることがかわいそうという世間のイメージにとらわれたりする親御さんも少なくありません。そうした気持ちを切り替えるヒントは、障害のある人と自然に接している子どもたちの姿にこそあるのではないでしょうか」
「親が明るくおおらかに物事をとらえると、きょうだい児にもプラスに影響するのです」
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