連載
匿名希望さんからの取材リクエスト
障害がある人のきょうだいも、ケアが必要では?
#15 #まぜこぜ世界へのカケハシ
障害のある「姉のため」に生きる日々から卒業するため
きょうだい児について深掘りしてほしいです。私は兄が知的障がいがあるきょうだい児なのですが、メディアで情報収集するとどうしても障がい児の親の声が大きくなってしまって、きょうだい児に必要なケアや支援がまず無いものとみなされてしまい、むしろ障がいがあるきょうだいや親のケア等を期待される現状が本当に悔しいです。(なお、私はそれで心身を壊し、健常者だったのに障がい者となりました。) 匿名希望
障害のある兄弟や姉妹をもつ人が、時に「きょうだい(きょうだい児)」と呼ばれることがあります。進学や恋愛、結婚など、成長の中で社会からの偏見にさらされ、ありのままの姿を周囲に受け入れてもらえる障害者を見て「嫉妬した」と言うほどに悩むことも。障害者自身や親とは異なる思いがそこにはあります。(朝日新聞文化くらし報道部記者・森本美紀)
今は、「どう生きるのかは自分の思いと選択で決められます。仕事でもたくさん夢を持てるようになりました」と笑顔で語るのぞみさんですが、幼少期からの二十数年間は、ひたすら「姉のため」「親のため」に生きる日々だったといいます。
小学校2年生のころ、自分の名前について調べる宿題があり、のぞみさんは父(70)に「私の名前がひらがななのはどうして?」と聞いたことがありました。父ははっきりとは言いませんでしたが、言葉の端々から、知的障害があるかおりさんが書きやすいようにするため、と受け止めました。
「大事な名前さえ、姉のことを考えてつけられていたのか……」。そう考えたのぞみさんはショックを受けました。
「姉をケアするという、父が求める役割を演じて生きるのが自分が生まれてきた意味だ」。のぞみさんは強く思ったといいます。
姉のかおりさんは、コミュニケーションや身の回りのことはできても、計算や難しい読み書きが苦手です。
のぞみさんは、小学生の頃から、親から何かとかおりさんの世話を頼まれることが増え、学校では姉の障害を理由にいじめられたこともありました。家では本当は姉の世話をしたくない時も親が望む自分にならなければとがんばり、学校では内心は姉をからかわないでほしいと思いながらも同級生に同調して明るく振る舞いました。まして親には、いじめられるような「悪い子」だと思われたくなくて相談できませんでした。周囲がこうしてほしいだろうと自分が思う「無言のプレッシャー」のなかで自分の思いを封じ込め、周囲に合わせなければいけないと、自分で自分を追い込んでいきました。
でもそれは、心の疲労を伴うものでした。小3から中学まで登校拒否になり、高校でもほぼ、引きこもりの生活が続きました。親は「好きなことをしていいよ」と言ってくれましたが、相談できる友だちも先生もいません。姉の世話をして、親から「ありがとう」と言われることだけが生きがいでした。
高校を卒業後、のぞみさんは福祉職の専門学校に進学します。進学の動機は「姉のケアに役立つと思ったから」。「父が私を必要としてくれると思ったんです。生きるためのポジションが欲しかったんです」
心身に重い障害をもつ人が通所する施設へ実習に行くと、ご飯を食べたり、排泄(はいせつ)したりするだけで、「すごいね」と言葉をかけられる障害者に「嫉妬した」と言います。自分は孤独を抱え、親の顔色を見ながら必死で生きても、誰からもほめられないのに……と。
障害者の作業所に就職しましたが、人間関係につまずいて退職。それでも父が望む自分でいたいと、障害者向け通所施設などを転々としました。
転機が訪れたのは、30歳になった頃でした。かおりさんの世話、家事、仕事がおおいかぶさり、つぶれそうになってしまいました。
自分と同じ立場の「きょうだい」は、どう生きているのだろうーー。
人見知りで自分からは話せなかったけれど、同じ思いの人々の話を聞いていると「1人じゃない」と思えました。参加していた女性から「周りの顔色を見るのはあなたのクセ。それさえ直せば、あなたらしい生き方はできる」と言われたのも、うれしい経験でした。
自分が育ってきたこれまでを見直すと、無意識にしまいこんでいた記憶の引き出しが、一つ一つあいていくように感じました。父が望む自分を演じたかったのは、障害者の「きょうだい」であることが大きく影響していると気づいたのでした。
生きづらさを抱えるのは、私の性格に問題がある――。のぞみさんは、そんな罪悪感から解き放たれ、「自分で人生を決めよう」と思えるようになりました。姉以外の障害者も支えたいと、社会福祉士や精神保健福祉士などの資格を取る未来も描けました。
2014年にかおりさんがグループホームに入ったのを機に、のぞみさんは一人暮らしを始めました。
そして15年、自分と同年代の「きょうだい」とつながるために「ファーストペンギン」を立ち上げました。会員は現在約100人。「『きょうだい』も、自分の人生を生きる」をモットーに、1~2カ月に一度、東京都内で語り合いや食事会などを開いています。
のぞみさんにとって最もつらい親の一言は「好きなように生きていい」でした。
「私のことを思って言ってくれたのでしょう。でも、突き放されているようでした。聞きたかった言葉は『あなたはどうしたいの?』。障害のある姉も、自分も大切にされていると感じられるんです」
悩みを抱える「きょうだい」たちができることは、いろいろあるといいます。家族から物理的に離れて暮らす、福祉サービスを利用し第三者の支援を活用する――。将来は、「きょうだい」のための相談支援員が福祉サービスに位置づけられれば、救われる人が増えると、のぞみさんは考えています。
のぞみさんは、父、かおりさんと離れて暮らすことで、良い関係が持てるようになりました。今では週末に3人で食事をしたり、買い物をしたり。でもそれは「姉、父のため」ではなく、自分も心から楽しめるから。そう思える今が幸せだといいます。
苦しい思いを抱いている「きょうだい」には、こう伝えています。
「今いる世界がしんどいと思っていても、そこが全てではなく、別の世界はあるんだって知って欲しい」
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