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連載

#14 平成B面史

「自分探し」平成で定着 「解放」の尾崎豊から「探求」のミスチルへ

私がしていたのは「自分探しゲーム」だったかもしれない……。

「自分探し」の変遷とは。J-POPの変化で振り返る。
「自分探し」の変遷とは。J-POPの変化で振り返る。 出典: (左)innocent world/Mr.Children(販売元:TOY'S FACTORY)、(右)十七歳の地図/尾崎豊(ソニー・ミュージックレコーズ提供)

目次

就職活動のとき、自己アピールを練るために行う「自己分析」で、とても悩みました。いまや当たり前に使われている「自分探し」という言葉、どうやって定着したのでしょう? その手がかりになるのがJ-POPです。尾崎豊からミスチルへ。歌詞や社会背景からひもといていくと、平成の時代の中で「自分探し」をとりまく環境には大いなる変化が起きていました。(朝日新聞デジタル編集部・野口みな子=平成元年・1989年生まれ)

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「自分探し」増えるのは1994年頃から

そもそも、「自分探し」という言葉自体に、やや違和感があります。「自分」は「探す」もの? 概念はきっと昔からあるはずですが、言葉はいつからあるものなのでしょうか。
 
朝日新聞の過去記事を調べてみると、さかのぼれるだけで一番古い(※1)のは、1989年9月。平成が始まった頃でした。登場したのは、千利休の生き方や思想を考えるシンポジウムのタイトルとしてでした。(※1 朝日新聞東京本社発行の地域面を除く記事)
 

その後、1994年頃から増え始め、2004年には年間43本の記事で「自分探し」という言葉が使われていました。それから徐々に減っていき、2010年に37本の記事で使われた一方、その後は15本前後で推移しています。

「自分探し」という言葉にも、はやり廃りがあるようです。《自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究》などの著書がある大妻女子大学の牧野智和准教授(教育社会学)に聞いてみました。

尾崎豊からミスチルへ、「自分探し」の変遷

ーー牧野先生、「自分探し」って一体なんなんでしょうか……。

「僕が授業で『自分探し』をとりあげる際は、若者論の話の中ですることが多いです。若者の感性を象徴するものとして『音楽』をあげることができると思うんですが、各時代の代表的な楽曲が話の導きに使いやすいからです。

色々考え方はあると思うのですが、分かりやすいところとして『尾崎豊』をその出発点としてみましょう。『卒業』はご存知でしょうか」

ーーはい、「この支配からの」……ですよね。

「1985年に出されたこの曲には、『あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう』という歌詞があります。『自分探し』を連想させるような『本当の自分』という言葉が、このとき既に出てきています」

「卒業」が収録されたアルバム「回帰線」
「卒業」が収録されたアルバム「回帰線」 出典: ソニー・ミュージックレコーズ提供

「でも、彼の別の代表曲『15の夜』(1983年)で『とにかくもう 学校や家には帰りたくない』と言って出ていくのは、『夜の帳りの中』です。本当の自分で居られる場所、それが一体何なのかは、尾崎自身もわかっていないようにみえます。

『街の風景』(1983年)や『僕が僕であるために』(1983年)を合わせみるならば、多分『街』へと脱出していくこと、自分を抑圧する何かから『解放される』ことが希望のありかになっていて、その先はみえていない、というかみえていないことに希望があるように思える」

「15の夜」や「街の風景」などが収録されたアルバム「十七歳の地図」
「15の夜」や「街の風景」などが収録されたアルバム「十七歳の地図」 出典: ソニー・ミュージックレコーズ提供
ーー自分が何者かよりは、抑圧からの解放という側面が大きいと。

「これに対して、1990年代の分かりやすい例として『Mr.Children』の歌詞をみてみます」

ーーミスチル……!

「ミスチルの90年代中頃の曲は、『自分探し』という言葉でくくれそうなものが多いですよね。

1994年の『innocent world』では、窓にうつる自分に『mr.myself』(ミスターマイセルフ)と語りかけています。1995年の『【es】 〜Theme of es〜』は『エス』、つまりフロイトの精神分析用語をタイトルに冠して、『栄冠や成功も地位も名誉も 大してさ 意味ないじゃん』(※2)という世情に対して『僕を走らせる』内的衝動が追求されています」
innocent world/Mr.Children
innocent world/Mr.Children 出典: 販売元:TOY'S FACTORY
「さらに1996年の『名もなき詩』では、『自分らしさの檻の中で もがいてるなら』(※2)というほどに『自分らしさ』が自らを拘束するまでに大きくなり、1998年の『終わりなき旅』では『もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅』(※2)と歌って活動再開を宣言する。
 
当時の『深海』(1996年)というアルバムタイトルも象徴的ですが、自分自身に向き合い、自分自身を深く探求していこうとするような楽曲が次々と発表されました。そしてそれが、大ヒットしていた1990年代は、尾崎豊が支持を集めた80年代とは異なる状況にあったといえるのではないでしょうか」

ーー自分自身と向き合う、という方向に変わっていっているのですね

「僕は『自分探し』という言葉は、今述べたような90年代の中頃がピークだと思っています。既に当時からそうだったかもしれませんが、この言葉には陳腐なイメージがあっという間につき、またこの後、『自分』への関心は違う方向に進んでいくからです」
 
(※2 いずれも作詞:桜井和寿)

「自分探し」より手軽にした「心理テスト」

ーーどうして、90年代に「自分探し」が受容されていったのでしょうか。

「少なくとも、二つの方向性から考えられると思います。

一つ目は、『自分自身』に向き合う直接的な手段が、この時期以降に増えたことです。もしそれ以前に『自分探し』のようなものを試みようとして、何をすれば答えを得ることができたのでしょうか。

1980年代であれば、沢木耕太郎の『深夜特急』(1986年)のように旅に出ることがその手段だったかもしれません。90年代はこれに対して、もっと直接的な『自分探し』の手段が一般的に広がってきたのではないかと思います」

ーーどういうことでしょうか。

「私たちの日常的な『自分』に関する知識や技法の増殖です。その多くは専門的なものというよりは、専門的な背景はあるのだけど、それを深く理解していなくても使える、心理テストなどの『ポップツール』とでもいえるものです。

象徴的なものとして、テレビ番組『それいけ!!ココロジー』(日本テレビ)を挙げることができると思います。フロイトやユングの精神分析理論をもとに、『こういうシチュエーションがありました。あなたはどう思う?』という質問から、『実はあなたにはこんな欲望が……』と展開する心理テストバラエティーでした。

精神分析自体がこのとき、日本人に知られたわけではないでしょうが、番組をきっかけにして、『ポップな形で自分自身の内面を解釈できる』という認識が緩く広く拡散しました。同種の心理テストが女性向け雑誌や就職情報誌など、さまざまな媒体で応用的に掲載されるようになります。

また、『二重人格』や『トラウマ』というような、自分自身の内面を解釈するような言葉が出そろってきたのもこの頃ですよね」

心理テストの普及によって「ポップな形で自分自身の内面を解釈できる」という認識が広がったという(写真はイメージ)
心理テストの普及によって「ポップな形で自分自身の内面を解釈できる」という認識が広がったという(写真はイメージ) 出典: PIXTA

ーー「自分」の解釈が手軽にできるようになってきたのですね。

「二つ目に、時代的にはバブル経済が崩壊した頃ですから、『物よりも心』というメッセージが、入り込みやすかったのだと思います。恐らく、バブル以前であれば、『心は大事』ということは人々に響かなかったでしょうし……。

この後続く不況は、頑張って働いても会社が倒産するかもしれないとか、偉くなることばかりが人生じゃないと思うようになってきたけど、『じゃあ実際どうするんだ』というように、人生行路を自分自身で考えねばならないというリアリティを広げたと思います。

また、これ自体はいいことだと思うんですが、結婚や子どもをもつことに対する価値観が多様化してきたことも、自分自身で人生を決めていかないといけないという意味で、それを決める『心』への関心を高めたのではないかと思います」

ーーなるほど……。

「このように、『自分探し』は社会状況の側面と、人々が『自分』に向き合う手法、これは文化といっていいかもしれませんが、そうした両側面によって、実質を持ったムーブメントとして根付いていったのだと思います」

「自己分析」すすめる日本の就活

ーー私が「自分は何者か」で特に悩んだのは、就職活動の「自己分析」のときでした

「就活では『自分のやりたいことをはっきりさせる』ということが、当たり前のように言われていますよね。これは今だと、厳選採用のなかで、自分がやりたいことを明確にしないと勝ち抜けないぞ、という文脈で使われることが多いと思うのですが、もともとは違ったようなのです」

ーーどういうことでしょうか。

「就職情報誌『就職ジャーナル』を過去に遡っていくと、バブル絶頂期の『自分のやりたいこと』という表現は、たくさん内定をもらって、なんでも選べるからこそ、やりたいことをはっきりさせないと絞れないよねというような文脈で使われています。これが、バブル崩壊後に反転するわけです」

ハローワークの「学生職業センター」で求人票に見入る人々=1999年
ハローワークの「学生職業センター」で求人票に見入る人々=1999年 出典: 朝日新聞

ーー同じ「やりたいこと」でも、意味合いがそんなに変わってるんですね。でも、よく考えると「自分とは何か」ってプライベートな領域なのに、「自己分析しなさい」と他人から言われるのってなんだか違和感があります。

「日本では、新規学卒一括採用の慣行がここ数十年根付いていますが、この慣行だと応募者は実際の仕事上の成果を持っていません。だから、仕事上の能力の代替物を証明しないといけませんよね。これについて、学歴が仕事上の能力、訓練・適応可能性の代替指標になっているという見方が教育社会学にはあります。

この訓練・適応可能性のなかには、知的操作の能力だけでなく、勉強にしても、仕事にしても、『なぜこれをやらなきゃいけないかわからないけど、頑張って適応して成果をあげる能力』のようなものも含み込まれていると思うんです。

こう考えるとき、自己分析にも同じことがいえるのかなと思っています。企業が求めているものに、内面からいかに自分をすり合わせられるかどうか、面倒な課題であってもちゃんと適応してエントリーすることができるか、そうした見積もりの指標になっているというか。でも、自己分析という慣行自体が半ば形式的に踏襲されているだけかもしれないとも思うのですが……」

企業説明会に訪れた学生たち=2000年
企業説明会に訪れた学生たち=2000年 出典: 朝日新聞

私がやっていたのは「自分探しゲーム」だった…

ーー自分探しの「ゴール」って、どこにあるのでしょうか……。

「うーん、原理的にはないんじゃないんですか」

ーーやっぱり……。

「でも多分、この社会のなかに、サイズの小さいゴールはいくつもあると思います。ただそれは、この社会のなかにあるものだから、純粋な意味での『自分探し』ということにはなりえない。

たとえば就活の場合なら、どれだけ自分自身が『これこそが自分自身の本心だ』って思っても、内定がもらえなければそれは成立せず捨てざるを得ないし、『そもそも就職(活動)なんてしたくない!』という答えはまさに論外ですよね。

女性誌でよくとりあげられる『自分らしさ』の場合も、『恋愛しない私』のように、雑誌が目指している方向性と異なるものはあまり推奨されない。男性であれば、仕事に向き合わない自己啓発をしたとしても、それは逃げてるだけ、みたいになってしまう。

だから制約なしに自分探しをすることって結構難しいというか、ポップなツールでは扱いきれないのだと思います。そういう意味で、ポピュラー文化における自分探しは、『自分探しゲーム』といえる側面があると思います」

ーー「自分探しゲーム」……!

「僕自身、自分探しという言葉を使ってあれこれ言っているものを見て、それって本当に自分探しっていえるのかなあ、と思って研究を始めたところがありますし」

「ポピュラー文化における自分探しは、『自分探しゲーム』といえる側面がある」と牧野先生は語る(写真はイメージ)
「ポピュラー文化における自分探しは、『自分探しゲーム』といえる側面がある」と牧野先生は語る(写真はイメージ) 出典: PIXTA

ーーそうだったんですね。いまや「自分探し」には、少し揶揄するニュアンスも含まれてきていると思います。

「そうですね。それに、『自分探し』的な言い方がひろがってまもなく、『自分』への関心は、探す方向よりも、磨くとか、高める方向に変わっていきます。

1990年代後半以降、自己啓発本のベストセラーが毎年のように出てきて、自分を発見するだけでなく、夢を実現したり、自分の気持ちを切り替えたり、仕事上のちょっとしたスキルを増やしていったりというように、自分自身を強化するためのポップツールがそろってきて、『自分探し』の新鮮さが失われていったんですね。

言葉自体が陳腐化したこともあるでしょうが、『自分』をただ探すのではなく、より生産性のあるものにしていくべきだというような関心の変化もあると思います」

ーー自分が「探す」対象じゃなくなってきたということでしょうか。

「例えば、『自分探し』に関連づけられるものとして、さっきも例を挙げたように『旅』があると思うのですが、観光研究の論文なんかを読むと、『未知なるものに出合いにいく』というよりは、『サイトやSNSにあった通りのものを体験したい』みたいな傾向に変わってきているとのことです」

「インスタ映え」する写真を狙ってジャンプする若者たち=香川県、2018年
「インスタ映え」する写真を狙ってジャンプする若者たち=香川県、2018年 出典: 朝日新聞

「あまり何でもかんでもインターネットのせいにするのは話を雑にしてしまうのであまりしたくないのですが、総表現社会の中で、あらゆる言葉とイメージが出尽くしたといえる現在、『探す』という行為は既に先回りされているようにどうしても思えてしまう。

『誰も経験したことがない』ということを求めても、結局『〇〇にすぎない』ということが割とすぐわかってしまうような状況で、『自分探し』という言葉のリアリティは以前ほどなくなっているのではないでしょうか」

ーーそれはそれで、すこし悲しいですね。

「それは、いいこととも悪いことともいえないし、もう戻れないからどうしようもないですけど、『未知なるものへの希望』を抱きづらくなっているのかもしれないなと感じています」

取材を終えて 「自分探しですか……」

「そういえば、最近『自分探し』って聞かないなあ」と思ったのが、取材のきっかけでした。というのも、筆者自身、大学時代に「自分探しの旅」に出たことがあります。非日常な生活を送り、充実して帰ってきましたが、そこで過ごした自分が「本当の自分」だったのかは今もわかりません。

どうして「自分」を探したかったのか、取材を通して胸に手を当てて考えると、当時の日常から逃げたい気持ちがあったと思います。ひとりで旅に出たことがない私に、勇気を与えてくれた「自分探し」という理由に感謝しています。でも、今当時の自分に声をかけてあげるなら、「旅に出る理由はいらないよ」と言いたい。

ちなみに、取材の事始めに一人旅の商品が豊富な大手旅行会社に話を聞いてみました。おそるおそる「『自分探し』を動機とした旅で、人気の旅先はありますか?」と聞くと、「あまり『自分探し』が目的とおっしゃるお客様はいないですかね。そもそも旅行の動機は個人的なもので、お客様には聞かないので……」。

確かに、旅行カウンターに「自分探しに行きたいんです」という人はあまりいないかもしれません。それに、必ず自分が見つかる場所があるのであれば、きっとそこに移住した方がいい。質問しながら「そりゃそうだ」と自分で自分にツッコミを入れました。

本当の自分はどこにあるのかーー。これまで「見つけなければ」と思っていたけれど、その疑問を問いかけているのは誰なのか、何なのか、考えさせられる取材でした。

 

withnewsでは、平成が終わりを迎えるにあたって、平成を象徴しているのに普段は忘れられがちなアイテムや出来事を「平成B面史」と名付けました。みなさんの中で「そういえば……」とひらめいたものをハッシュタグ「#平成B面」をつけてツイートしてくれませんか? 編集部が保存に向けた取材にかかります。

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