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この発想はなかった!野球少年が絶賛する練習器具 町工場の力が結集
ベンチャー企業がパワポを使って新規事業を説明する「ピッチ」は、IT系だけのものではありません。大阪のコテコテの下町にある町工場の職人たちによる「ピッチ」から生まれた画期的なアイテムがあると聞き、機械音と油のにおいに包まれた「スーパー町工場」を訪れました。3Dプリンターなどの工作機械にイベントスペースもある「ガレージミナト」。池井戸潤さんの小説のような取り組みを追いました。
2月半ばの土曜日。大阪市内の野球場で、中学硬式チーム「大阪堀江ボーイズ」の選手たちがティー打撃をしていました。ティー打撃とは、地面から垂直に立つスタンドに球を置き、バットで打つ練習です。
ただ、選手たちが使っている2種類のスタンドは、あまり見慣れないものでした。ひとつは、通常と同じで球をスタンドに置くタイプ。スタンドの根本には金属、先端にはウレタン素材を使っています。球を打つと、ウレタン部分がパタンと前に倒れ、起き上がり小法師のように自力でもとの位置に戻ってきます。
もうひとつは、足踏み式のポンプでノズルに球を吸着させ、打つタイプ。ノズルの中を真空に近い状態にすることで、球は数十秒間落ちません。
斬新な発想の野球の練習用具の名は「サクゴエ」。選手たちはこの器具で、柵越えの打球を連発していました。主将の尾崎大嘉(たい・が)選手(15)は「これなら思い切り球の下をたたける。ティー打撃でも、打球の飛距離を伸ばす練習ができる」と、笑顔で話していました。
通常のティー打撃用スタンドは、球を遠くに飛ばす練習には不向きです。球の下をたたくと、バットがスタンドに当たってしまうからです。あまり曲がらないスタンドに当たった衝撃で、スタンドが倒れたり、球が飛ばなかったりするからです。
この課題を解決しようと、同市港区の中小企業7社が共同開発したのが「サクゴエ」です。アイデアを出したのは、奈良県の社会人野球チーム代表の弓場(ゆ・ば)直樹さん(42)。日本で使われている野球の練習用具は高価なうえ、何十年も形が変わっていないと感じていました。
下町発の野球用具開発プロジェクトは、港区のある町工場が昨年始めた取り組みがきっかけで生まれました。
JR弁天町駅から徒歩約10分。マンションや住宅が立ち並ぶ一角を抜けると、工場から漏れる機械音と油のにおいに包まれます。ここに本社と工場を置く「成光精密」は、金属加工を手がける従業員数24人の中小企業です。岡山県出身の高満洋徳社長(42)が01年に設立しました。義父が経営していた鉄工所が倒産した際、貯金200万円で工作機械4台を買い取り、残った従業員5人と再スタートした会社です。
08年秋のリーマン・ショックを引き金にした世界同時不況では、売り上げが7割減るという危機も経験しました。そんななか、高満さんはひたすら金属を削る技術を磨き、政府の助成金を活用して最新の工作機械も導入。いまでは「手に持てる大きさの切削品は、どんなものでも加工できる」(高満さん)といいます。0.01ミリ単位の高い精度が求められる金属部品を機械で削り出すのが得意で、受注の9割は、1~5個単位の試作品です。大手自動車メーカーが次世代車を開発するための生産ラインにも部品が採用されています。
そんな「スーパー町工場」が昨年4月、3Dプリンターなどの工作機械をそろえたベンチャー向けの共同作業場を、本社工場の2階に開設しました。「ガレージミナト」と名付けられ、50人規模のイベントが開けるスペースや、ベンチャーや研究者らが入居できる小さなオフィスのほか、キッチンなども備えます。そこを拠点に月1回、近所の町工場向けの勉強会も始めました。
「港区発で、何か面白いことがやれないか」。昨年5月にあった最初の勉強会で、近所の町工場の職人や参加者が議論しました。来場していた弓場さんが「町工場の技術で、最新の野球道具をつくれないか」と発言したところ、職人たちが「それならすぐにできそうだ」と応じ、開発計画がスタートしました。
高満社長が目指すのは、港区という町全体を一つの工場に見立て、各工場がもつものづくりの技術を生かしてベンチャーや大学と協業する体制づくりです。中小企業を支援するベンチャー「リバネス」(東京)と連携し、同社のシンガポールや米国などの拠点を通じて国内外から仕事を呼び込もうとしています。
それぞれの町工場は、大企業からの下請け仕事で培った技術を生かして、開発の手助けをします。アイデアを元にした製品の試作も請け負います。「サクゴエ」の開発は、そのモデルケースと言えます。
大阪港に隣接する港区には、金属加工や機械製造などの製造業が集まっています。ただ、1990年代半ばと比べると、工場の数は約4割減りました。造船業の衰退や工場の海外移転などで、大企業の下請け仕事が減ったためと言われます。高い技術をもつ成光精密ですら、「大企業の下請けだけを続けることに危機感があった」(高満さん)といいます。売上高の4割が自動車関連で、その仕事の量に業績を左右される状況が続いたためです。
高満さんの目標は、港区全体の「下請け構造からの脱却」です。大企業からおりてくる下請け仕事に頼るこれまでのビジネスモデルでは、大手の仕事がなくなった途端、経営危機になりかねません。仕様が決まった製品を町工場同士で奪い合う「コスト競争」にも陥りがちです。この構造を、大企業と町工場、ベンチャーや研究者が横並びで新製品開発に望む構造へと転換しようとしているのです。高満さんは「1社では無理でも、地域で力を合わせれば難局を乗り越えられる」と話します。
ガレージミナトで毎月1回行われている勉強会。新事業や新製品のアイデアを発表する「ピッチ」の時間には、出席者から「これやったら、すぐできる」「このやり方で製品化はちょっと難しい」といった声が次々とあがります。
創業支援が社会課題となっているいま、ピッチイベントは関西各地でも開かれています。ただ、その全てが盛りあがっているとは言いがたく、なかにはほぼひとりの出席者しか発表者に質問をしないような会も少なくありません。それだけに、この勉強会の盛り上がりが際だって見えます。
国内では最近、町工場のもつ技術を生かしてものづくりベンチャーを支援するビジネスが、各地で広がりつつあります。共通するのは、地域経済の地盤沈下への危機感です。ガレージミナトの盛り上がりは、そうした危機感の裏返しなのだと感じます。
日本の町工場がもつ、部品や材料の構造や組み合わせを微妙に変えて性能を高める「すり合わせ」の力は、ものづくりの経験のないベンチャーにとって「宝の山」なのだそうです。ものづくりの世界では、いくら素晴らしいアイデアでも製品化できなければ意味がなく、その手助けをしてくれる存在は貴重です。
「製造業大国ニッポン」が長年培ってきた強みの生かし方を変えて、再び地域を元気にしたい。
「サクゴエ」には、衰退する地域経済の未来を考える、中小企業経営者の熱い思いが詰まっていました。
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