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連載

#1 ラグビーW杯の楽しみ方

ラグビーW杯の歴史、「ブルームフォンテーンの悪夢」が衝撃的だった

藪木宏之さん。お持ちなのは大会マスコットだそうです。
藪木宏之さん。お持ちなのは大会マスコットだそうです。

目次

 ある日、テレビのラグビー中継の解説に見覚えがある人がいました。経済部の新米記者として鉄鋼業界を担当していた時、神戸製鋼所の広報担当だった藪木宏之さんです。当時は気が付きませんでしたが、藪木さんは神戸製鋼の日本選手権7連覇を支えたラガーマン。今年は日本でラグビーワールドカップ(W杯)があります。初心者でもまだ間に合うW杯の楽しみ方を教えてもらおうと、久しぶりに再会しました。まず教えてもらったのは、日本のラグビー史を語る上で欠かせない「ブルームフォンテーンの悪夢」から。(朝日新聞記者・志村亮)

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藪木宏之(やぶき・ひろゆき) 1966年山口県生まれ。明治大学をへて88年に神戸製鋼ラグビー部に入る。神戸製鋼が89年~95年に日本選手権7連覇を果たしたころの主力メンバーとして活躍、98年に引退。企業人としては広報畑を歩み、2016年4月に日本ラグビーフットボール協会へ出向。現在、同協会の広報部部長。

「神戸製鋼の主力」凄さ分からず

 

志村

藪木さんに初めてお会いしたのは2005年ごろです。私は経済部の新米記者として鉄鋼業界を担当し、藪木さんは神戸製鋼所の広報担当でした。

 

藪木

はい。

 

 

でも、恥ずかしいことにラグビー界で有名な方だというのを最近までよく理解していませんでした。あのころを振り返ると、確かにラグビー好きの先輩記者が「あの人は凄い人だ」と騒いでいた記憶もあるのですが、私に余裕がなく、関心を持とうともしなかった。たいへん失礼しました。

 

 

いえいえ。私も、意識的にラグビーと企業広報の仕事は切り分けていましたから。

五郎丸に感動も、2019年が来てしまった

 

 

それで最近、たまたまラグビーのテレビ中継を眺めていたら、解説が藪木さんだった。それをきっかけに、いまは日本ラグビーフットボール協会で広報部長をなさっていると知りました。

 

 

そのぐらいラグビーがわかっていない私でも、15年にあったW杯イングランド大会での日本代表の活躍は印象に残っています。特に五郎丸歩選手の「男泣き」のシーンです。次の19年は日本であるんだな。よし、それまでにもう少しラグビーのことを勉強しておこう。その時は思った。でも、思っただけで、19年が来てしまった。
前回2015年のラグビーW杯米国戦で、キックでゴールを狙う前に集中する五郎丸歩選手。このポーズが社会現象になった
前回2015年のラグビーW杯米国戦で、キックでゴールを狙う前に集中する五郎丸歩選手。このポーズが社会現象になった 出典: ロイター

 

 

そういう人って結構いるんじゃないかと思うんです。15年の日本代表の活躍も、今年W杯があるのも知っている。興味がないわけではないんだけれども、ラグビーがよくわからない、という人が。

 

 

はい。

 

 

それで考えたんです。藪木さんに教えていただけないかと。

 

 

このインタビューの想定読者はラグビーに詳しいファンの方々よりは、ラグビーをよく知らない方々です。ファンが読むとなんでそんな当たり前のことを調べもせずにあの藪木さんに聞くのだと怒るかもしれない。

 

 

それでも恥を忍んで、藪木さんに習いたい。そして、ラグビーをよく知らない方でもこれさえ読んでいただければ9月開幕の大会の楽しみが増え、あわよくば多少のうんちくもまわりに披露できるそんなインタビューをめざしたいのです。

 

 

前置きが長くなりましたが、よろしいでしょうか?

 

 

はい。喜んで。こちらこそよろしくお願いします。

人気カードの売れ行きは好調

 

 

いよいよ9月に開幕ですが、チケットの売れ行きはどうですか。

 

 

おかげさまで日本戦をはじめとして人気カードの売れ行きは好調です。ただ、予選だけで計40試合ありますので、まだ余裕のあるカードもあります。
W杯に向けて改修された東大阪市の花園ラグビー場。世界中から観客を迎える準備が進む
W杯に向けて改修された東大阪市の花園ラグビー場。世界中から観客を迎える準備が進む 出典: 朝日新聞

 

 

盛り上がってきていますね。それではまず、ラグビーのW杯が日本に来ることの意義から教えて欲しいのですが。

 

 

はい。ラグビーのW杯は、1987年にオーストラリアとニュージーランドで第1回が開かれ、今年2019年の日本大会が第9回になります。

 

 

ラグビーにも、サッカーのFIFAのような、ワールドラグビーという統括団体があります。そこが世界ランキングを公表していて、日本はいま11位(19年1月現在)です。われわれは10位以内の強豪国をティア1(ワン)と呼びますが、これまでのホスト国はみんなティア1でした。日本はティア2(ツー)。だから、初めてティア2の国がホストになるW杯になります。

 

 

ほう。

 

 

日本にW杯が来ることが決まったのは10年前の09年です。15年イングランド大会と19年日本大会の開催が同時に決まりました。加盟各国へのロビー活動を経て、選挙をするのです。当時の日本協会の関係者の情熱や努力のたまものでした。

2019年のW杯招致が決まり喜ぶ日本ラグビーフットボール協会関係者ら=2009年7月28日、ダブリン
2019年のW杯招致が決まり喜ぶ日本ラグビーフットボール協会関係者ら=2009年7月28日、ダブリン 出典: 朝日新聞

「強豪じゃない国」で開かれる初めてのW杯

 

 

第1回から、日本はすべてのW杯に出場しています。ただ誘致が決まった09年当時、それまでのW杯で何勝していたと思いますか?

 

 

わかりません。

 

 

1勝しかしていなかったんです。当時の日本のW杯の通算成績は20試合で1勝18敗1分けでした。

 

 

だから決まったとはいえ、そんな実力ですから、どうせ日本大会は盛り上がらないだろうというのが、世界のラグビー関係者の見方だったんです。イングランドはラグビー発祥の地だから、15年大会のほうは盛り上がって収益も上がるだろう。だからまあ、次はいいか、みたいな。

 

 

藪木さんはどう受けとめたのですか。

 

 

正直なところ、ホントにできるのかな? という印象でした。たとえば会場があるのか。それまでの開催国はみんなラグビーが盛んな国ですから、観客収容人数が5万人、6万人といった専用スタジアムがいくつもある。日本はどこでやるんだろうとなあと

 

 

ちなみに日本の1勝の相手はどこだったんですか。

 

 

アフリカ代表のジンバブエ(19年1月現在世界ランク40位)です。91年の第2回大会で52対8で勝ちました。

 

 

ずいぶん前なのですね。
W杯の会場の一つである愛知県豊田市の豊田スタジアムにあるラグビーボールのオブジェ。「一生に一度だ。」の文字が躍る
W杯の会場の一つである愛知県豊田市の豊田スタジアムにあるラグビーボールのオブジェ。「一生に一度だ。」の文字が躍る 出典: 朝日新聞

128点差で負けた「ブルームフォンテーンの悪夢」

 

 

日本がそうみられる理由のひとつとして、95年の第3回南アフリカ大会での記録的大敗もありました。試合のあった場所から『ブルームフォンテーンの悪夢』と呼ばれています。

 

 

お、サッカーでいう「ドーハの悲劇」みたいな。

 

 

ニュージーランド(同1位)に17対145で負けたんです。

 

 

高校生の県大会とかならありそうですが……。

 

 

国同士ではふつう、考えられないです。ラグビー界では、国際試合で30点差以上あくとミスマッチといわれます。それどころではなかった。

 

 

当時、藪木さんはどこにいたのですか。

 

 

神戸製鋼の現役プレーヤーでしたが、私は行ってません。テレビで観戦していました。

 

 

でも、チームの仲間やライバルチームの選手たちが出ていたわけですね。どんな気持ちで観ていたんでしょうか。

 

 

もう、愕然です。

 

 

というのも、ニュージーランドのメンバーは主力ではなく、野球でいう2軍クラスにあたる若手中心だったんです。その相手にこれか、という感じでした。

 

 

とにかく圧倒される感じだったんですか。

 

 

止まらない。相手の攻撃が止まらないんです。日本がタックルに行けども、行けども、外される。はじかれる。

 

 

その悪夢を、世界のラグビー関係者もよく覚えていた。

 

 

そうです。
第3回南アフリカ大会初戦でウェールズと戦う日本代表。この試合は10対57で敗戦。次戦も負け、3戦目のニュージーランド戦で記録的な大敗を喫した=1995年5月27日、南アフリカ・ブルームフォンテーン
第3回南アフリカ大会初戦でウェールズと戦う日本代表。この試合は10対57で敗戦。次戦も負け、3戦目のニュージーランド戦で記録的な大敗を喫した=1995年5月27日、南アフリカ・ブルームフォンテーン 出典: 朝日新聞

「日本のラグビー」真剣に考えるきっかけに

 

 

昔から、ラグビーは国内でも日本選手権とか、早慶戦とか、毎年それなりに盛り上がっているイメージはあります。その試合は、日本にどんな影響を与えたのでしょうか。

 

 

日本代表が国際レベルでここまで引き離されるのはどうなのかと考えさせられました。国内だけ盛り上がっていればいいのかという意識を、ほんとうにたたきつけられました。

 

 

95年というと、われわれ神戸製鋼が日本選手権で7連覇を達成した年です。国内では、社会人が大学生に100点以上取って勝つわけです。でも一方で社会人で組んだ代表が海外で100点差以上をつけられる。日本のラグビーはどこを向けばいいのか、と初めてみんなが真剣に考えたように思います。

 

 

世間の反応はどうでしたか。

 

 

マスコミさんから、強化態勢がなっていないと相当批判されました。ニュージーランド戦は3戦目だったんですが、1戦目のウェールズ(同3位)も10対57で負け。2戦目のアイルランド戦(同2位)も28対50で負けての3連敗でしたから。

 

 

たぶんサッカーなら国際試合で0対10で負けるぐらいのイメージではないでしょうか。それから20年間、W杯で勝利を挙げられない時期が続くのです。だからそういう位置にしかいない日本が本当にW杯をできるの? と思われるのも仕方がないところがあったんです。

 

 

じゃあ不安はありますね。誘致したのはいいが、失敗したらどうすんだという……。

 

 

開催自体は、施設が整えばできるかもしれません。でも、大会の成功というのは、やはり開催国が活躍することですからね。
【V7戦士に聞く ラグビーW杯の楽しみ方(連載)】
昔取材した広報マン、実はラグビーの名選手 W杯の楽しみ方を聞いた
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