連載
#61 平成家族
「学校、必要ない?」自問する母 不登校から復帰、息子が得た答えは
その日は、突然、小6の秋にやってきました。
子どもが「学校に行きたくない」と言い出した時、戸惑う親は少なくありません。不登校は世の中に周知され、学校以外の居場所も増えつつあります。そうはいっても、「本当に学校って必要ないんだろうか」と心のどこかで思う親は少なくないようです。親自身も、その子のきょうだいも不登校にならなかった家庭ならなおさらです。目の前の子どもの心を第一に考えながらも、どこか納得しきれなかった母親に聞きました。(朝日新聞記者・宮坂麻子)
学校って、必要ないんだろうか――。
九州地方のますみさん(48)は、不登校になった息子(14)の成長を追いながら、繰り返し考えてきました。
小1の5月の連休明けから、登校前に玄関先で嘔吐(おうと)するようになりました。聴覚過敏で読み書きも苦手。教室から飛び出すと、担任が追いかけてきて、無理やり連れ戻されました。小2、小3も登校できたりできなかったり。登校する日はますみさんが校内で待機するよう言われた時期もありました。
小4の1年間は先生に恵まれてなんとか登校できましたが、小6は登校しても居場所がなく、プリントも給食も1人だけもらえなかったこともあったと言います。
上の2人のきょうだいは、毎日楽しく学校に通っていました。ますみさんは「息子が体調を崩さなかったら、無理やり登校させていたかもしれない」と、振り返ります。
「不登校の子の親」という初めての経験に悩んだますみさんは、あちこちの親の会に顔を出してみました。学校とたたかい、我が子のことを必死にサポートしようとしている母親たちの姿をすごいと思いました。
でも、同時にわかったこともありました。「私はそんなに頑張れない」
生き物が大好きな息子は、自宅でヘビやカエルなど生物を次々と飼って、観察や研究を続けています。近くの水族館の学芸員に成果と才能を認められ、「生物博士」のように、研究方法を教えてもらったり、フィールドワークに連れて行ってもらえたりするようにもなりました。平日、休日にかかわらず、山や沖縄などの遠方までも学芸員たちと生物探しに出かけます。
「すごいじゃない。今の時代、学校に行かなくてもいい。好きなことをしていいところだけ伸ばせばいいよ」
息子の突き抜けた部分が知られるにつれ、周囲のみんなからそう何度も言われるようになりました。
でも、どうしても腹に落ちませんでした。
「学校も、先生も友達もいろいろだし、ひどいこともある。でも、学校でしか学べないことってあるんじゃないか……」
一方で「学校に行くも行かないも決めるのは本人だ」とも、思えてきました。「本人が決めるまで待とう」
そう自分に言い聞かせ、あえてできるだけ「やる気のない母」でいるようにしました――。
その日は、突然、小6の秋にやってきました。「僕、中学に行ってみようと思う」と息子が言い出したのです。
「このままだと学校というものを知らないまま終わっちゃうから」
ますみさんは、耳を疑いました。
よく話を聞くと、周囲に不登校の友達が増え、だんだん学校のことも互いに話せるようになってきて、「学校は嫌だけど、みんながいろいろ言うほど僕は学校のことわかっているのか」と思えてきたのだと言います。
親子で相談した末、自宅から車で30分ほど離れた小規模校を見に行きました。1学年20人足らずで、住んでいる地域の学校よりずっとこぢんまりしていました。見学した後、息子が言いました。「ここなら行けそうな気がする」
ますみさんは、息子の勘を信じてみようと思いました。
入学前、本人から先生たちに自分のことをあらかじめ説明させました。不登校だったこと、ザワザワする雑音が嫌いなこと、読み書きが苦手なこと……。
中1は、遅刻して行ったり、1時間ぐらい休憩したり。学校が嫌なことは変わりませんでしたが、なんとか通い続けました。理解を示してくれたのは、学年主任の先生でした。中2はその先生が担任になり、互いに交換ノートでやりとりし、授業も面白くなりました。
ある日、帰宅した息子が、こう言いました。
「お母さん。学校は嫌だし面倒だけど、無駄じゃないよ。1人で家で勉強することでは得られないものがある」
思わず、それが何か聞いてみました。
「例えば……」と挙げたのは、地理でした。これまで、生き物が好きで様々な生物を飼育してきましたが、本などで調べた知識を元に温度や環境の管理を徹底しても、死んでしまうものも少なくありませんでした。地理の授業で、コスタリカのことを知りました。調べていくうちに、飼っていた生物の知識とつながり、「だからか」と納得できたと言います。
学校というところは、いつ自分の知りたい新しい知識や情報が出てくるかわからない場だと、本人は思っているようです。自分で家で勉強する時は、自分が求めていく範囲でしか広がりませんでした。でも学校は、「自分の学びたいことを富士山とするなら、その裾野の部分の知識を広げてくれる場所だ」と言います。
変化はそれだけではありませんでした。脱線する先生の話や、友達の反応が面白い、と言い出しました。もちろん、運動会などの行事はどうしても好きになれないし、トラブルも、行きたくない日もあります。
でも、ますみさんは、息子が周囲との距離の取り方も学んでいると実感することが多くなりました。
最近、「中学を卒業したら高校にも行く」と言い出し、これにも驚かされました。学校を知るために中学は行く。でも高校は行かない。それが、入学当初に息子の決めていたことだったからです。今は、大学に行って、将来は生物のストレスについて研究したいと言い始めています。
成績が上がったことで、周囲からはスーパーサイエンスハイスクールなど、理系に強い学校への進学も視野に入れないかと言われ始めました。ただ、ますみさんは「周囲の評価の高い学校」ではなく、本人がやりたいことが学べる、本人にあった学校を選びたいと言います。
先生と交換ノートをする息子が、登校したくない時に読み返す先生の言葉があります。
「自分で決めるということは自分の考え一つでどうにでもなるということですから、同時にしっかりとした自覚と責任も必要です」
毎日、学校まで自家用車で送迎するますみさんは、いま思い始めています。
「子どもによって、学校の意味も必要な時期も違うのではないか」と。
現在中2のますみさんの息子は、中1の夏にこんな作文を書きました(抜粋)。今は、学校に行くこと自体が目的ではなくなり、学校に行くことが自分を成長させるため、自分の未来を切り開くための手段になったと思うそうです。
◇ ◇ ◇
「○○の言ったことを嘘、偽りだとか考えたことはありません。安心してください」
この言葉を聞いた時に僕はこの先生を信じてみようと思いました。
僕は小学校の時、1日に何回かは泣いているか先生に怒られているかでした。いつ先生に怒られるかビクビクして過ごして、毎日疲れていました。学校なんか大嫌いだったし、僕のことをわかってくれる先生なんかいないと思っていました。
でも、そんなことを言って学校を休む自分も嫌いだし、このままじゃいけないとずっと思っていました。
中学になる時、僕は環境を変えてみようと思って、みんなとは違う中学を選びました。そして何かを変えるためにここを選んだのだから、自分自身も変わりたいと思いました。
入学してからは毎日きちんと登校して、授業を受けて、部活動も頑張りました。でもいつもどこかで「小学校の時のように嫌われたらどうしよう」とか「先生に怒られたらどうしよう」とか考えて、空気を読む努力をしてだんだん疲れてきました。
そのうち、「やっぱり僕は学校に合わない人なんだ」とか、「どこに行っても同じかもしれない」とか考えるようになりました。登校するのが苦痛になって、先生に対しても「どうせ言ってもわかってくれない」と気持ちを伝えることをあきらめかけました。
そんな時に○○先生が言ってくれました。こんなにグダグダしている僕が言った「不登校になるつもりはない」という言葉を信じてくれる先生がいることに驚きました。(中略)
言葉で伝えることが苦手な僕は文章で気持ちを伝えています。先生はそれを読んで返事をくれます。すごく厳しい言葉が返ってくることもあります。でも、僕が正直に書いているように先生も正直に書いているのだと思います。
僕は自分を変えたいと思っていたけど、まだ不満ばかり言って何も変わった気がしません。でも先生は「学校へ来るだけで成長している」と言います。(中略)
心身の成長に多少の負荷が必要なこと、周りに楽しくしてもらうのではなく自分で楽しくしていくこと、先生に教えてもらったことを実行してみようと思います。(中略)
僕は今でも学校が楽しいと思いません。毎日、今日行く理由を考えながら登校します。でも、僕を信じて認めてくれている先生がいるから、僕もこの中学を選んだ自分と、先生の言葉を信じて、これからもここで頑張ろうと思います。
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